◆2009年新春ハイク報告  迫畑 勝三(記)
   新雪を踏んで〜「宮路(地)山からセイメイバン」〜 

           

日程:2009年1月17日(土)
参加者(敬称略):藤野孝人(L)、秋田勲男、猪瀬精孝、柿沼裕子、河内達人、斎藤幸子、斎藤光子、
     迫畑勝三、佐々木悦子、塚本稔、萩原眞理生、浜口武夫、大西光子(ゲスト)

 好天に恵まれ、新春はじめてのハイク、靴の重さも軽い。高尾駅にて定刻の小淵沢行き普通電車の2両目
に乗れば、会員の顔が揃っている。賀正の交換挨拶をするうちに大月駅着。タクシー3台に分乗して、登山口
の「薬師堂」に向かう。運転手も道に迷うほどで、ひとりでは来れそうもない、と思った。
今回のハイクは、読図の練習もするため、「25,000の地形図」、「コンパス」を持参するようにとのことであった。
登山口到着後、身支度をして、地形図で現在地とおおよその登山ルートを確認してから出発する。しばらく登っ
ていくと分岐点にさしかかる。ここで地形図を出してどちらに行くか確認する。前方の小枝に目立つヒモがぶら
下がっていたが、読図の結果、こちらには行かず印のない方に進んだ。「このような山は仕事道や間違い踏み
跡などがあることから、マーカー、踏み跡は過信しない」、とのことであった。

  なだらかなルートを樹々の間から漏れてくる陽射しを浴びて、ゆっくり登っていくと、左手に雪をすっぽり着た
富士山を見る。その間、ポイント、ポイントで、読図の説明や、地形図とコンパスを使った遠くに見えるセイメイ
バンの同定などを行った。地形図、コンパス、高度計の三点セットがあると便利と思った。
宮路(地)山(1,112.7m)の手前は、急勾配と積雪(12cm)となり、冬山ハイクを実感する。山頂からの眺望はあま
り良くないと聞いていたが、冬枯れの山並みが一望でき、斑雪模様が静寂さを残していた。
 昼食後、大岱山・セイメイバンに向かう。間もなく地形図では路がなくなってしまうが、地形図を良く見ると、
進行方向の尾根の鞍部で送電線が横切っている。更に良く見ると送電線が直線になっていない。「そうである
ならこのまま行くと、尾根の鞍部で送電線の鉄塔があるはずと思って歩くと、路迷いを防ぐことにもなる」とのこ
と。しばらく行くと、なるほど鞍部に鉄塔があった。浜口さんが鉄塔の下より上を見上げて「確かにこの鉄塔で
送電線に角度がついている」と大きな声。

 鉄塔の下を通って、そこから登り切ったところがセイメイバンとの分岐のコブであった。大岱山(1,179.8m)は
分岐から直ぐであった。「近くに樹齢300年の白ブナの巨木がある」とのことで、全員で見に行く。堂々とした幹
周りから、天高く枝を伸ばしたその姿は、瑞々しい生命の輪廻を感じさせるものがあった。
 セイメイバンへの尾根道は落ち葉の下が凍っており、思わず滑って転んでしまった。尾根道をゆるゆると下っ
ていくと、セイメイバンに到着した。山名の由来は、ふもとの村に水を引こうとして、この山で亡くなった陰陽師
の安部晴明? 安倍清明? からとか。休憩後、さくら沢峠を経て下山口の森屋荘に向かって下山する。途中、
地元の猟師さん達が狩猟をしているところを垣間見ることが出来た。15時、下山口に着きスパッツを外すと、
リーダーがセイメイバンより携帯で呼んだタクシーが3台、はややって来た。あたふたと乗りこんで大月駅に向
かう。
 駅前にて打ち上げの飲み屋を当たるが、付近の店は山客で満席。やっと少々狭いが「焼き鳥屋」を見つけ、
全席を我々で独占してワイワイと賀春の乾杯を重ねた。
 低山であったが、他人のマーカーや踏み跡を頼りにすると、間違いそうなところが何箇所かあった。読図の
大切さを改めて認識させられた新春ハイクであった。

<コースとタイム>
 薬師堂(8:40-55)―用沢分岐(9:50-55)―800m(10:10)―宮路(地)山(11:20-55)―送電線鉄塔―
 大岱山・セイメイバン分岐(13:05)―大岱山(13:15-25)―大岱山・セイメイバン分岐(13:25)―セイメイバン
 (13:55-14:10)―さくら沢峠(14:40)―林道―森屋荘前(15時)


会山行報告目次へ     HOMEへ