◆交流山行「西上州 鹿岳・志賀高原 岩菅山」

日程: 2011年9月10日(土)〜11日(日)
メンバー: (L)赤澤、(SL)坂井、大塚、川崎、斉藤(幸)、福寿
報告: 福寿

 

 
 9月10日  西上州に入ると特異な形状の山が多くみられる。代表的な妙義山をはじめ、多くの岩山や断崖がそこかしこに点在し川には庭石になりそうな青石や奇石がナメ床に散在している。藤岡町の三波川にも近く、中央構造線や太平洋プレートの火山フロント・フオッサマグナも絡んだ太古の地殻変動帯であったのだろうと思わせる地形に目をうばわれる。
深い山道を鹿岳(かなたけ)登山口目指して走るがなぜか着いた所は黒瀧山登山口。ならばついでに黒瀧不動寺を参拝していこうと上州牛に引かれて急坂を登ること5分、断崖の先端に立派な鐘楼と賽銭箱、立札には世の平和を祈願して突くようにとあり銭入れからなけなしの一文を入れて撞木を引いた。戦艦陸奥の羅針盤を合鋳した梵鐘は眼前にひろがる山なみに心地よい音色を響かせていった。
奥に進むと垂直な崖の上から滴り落ちる瀧の裏側に3メートルもあろうかと思われる不動明王像あり、その前に修験者が手を合わせて立てば滝行ができるようなしつらえにしてあるようだった。裏に回れば裏滝がみられた。まだ奥も深いようであったが都合により見学はこれにて、一路鹿岳登山口へ急ぐ。
 登山道は最近になって枝打ちされた植林杉樹林の急登で結構キツイ。しばらく行くと木立の間から双耳峰の一の岳が、溶岩ドームか不動明王のように屹立し、睡壁が我々登山者を威圧してくる“どうやって登るのだろう”不安と期待が波打つ鼓動と噴き出す汗に入りまじる。垣間見えていた峰が森の中に姿を消すと間もなく鞍部に到着する。まずは一の岳へ、数段の丸木の梯子を登ると後は岩や木を頼りに登る。意外なほど簡単に登れるのは日ごろの修練のたまものだろう。あまり広くない頂上はドウダンツツジ,リョウブ他の灌木類に覆われており恐怖感はない。しばし山座同定のあと下山する。木がなければ懸垂下降でもしなければ怖くて降りられないほどの急峻さだった。雄々しく威張った一の岳に比べ二の岳は優しくなだらかな山容で楽に登頂できた。写真や案内書でみるかぎり一の岳の陰に隠れてひっそりと佇んで高さも低く見えるが本当はこちらが主峰で高度もある。実にどこかにいる夫婦のような山であった。

 9月11日 9時過ぎ高天原の登山口と手前の下山口の2か所に車を止めてリフトに乗り東館山さんちょう駅。15分登ると高山植物園と三好達治の詩碑あり。
 「雪」  太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪ふりつむ
咋日のキツイ登りに比べると楽なコースに思える。1900mを超える標高も快適の原因だったのだろう。しばらく歩くと寺小屋峰の小ピークを過ぎて金山沢の頭という赤石山への分技、魚野川の源頭でもある。
小さなアップダウンを繰り返し、谷から湧き上がる雲に視界を阻まれながらひたすら歩いているとやがて人の声が聞こえてきた。雀かムクドリのごとくに賑わしい。11時50分、ノッキリという下山路の分技に着くと団体登山者が昼食中であった。我らも隅っこで腹ごしらえをして最後の急登220mをつめて12時半過ぎ頂上到着。記念撮影を済ませると、リーダーが重い水とガス、コーヒーのセット持参してくれて皆に振る舞ってくれた。細心の気使いに感謝。おりよく見える雲の晴れ間から真っ青な秋の高空に絹雲がたなびいていてコーヒーの味をいっそう際立たせてくれた。
1時、下山開始。この山は主に安山岩という火成岩でできているが山頂は板状節理が発達していて庭では鉄平石として張り石につかう石と同質である。が、下山途中で渡ったアライタ沢の河床は緑色凝灰岩(青石の素)で場所によって、層によって異なる岩石が興味深い。沢を渡ると上条用水路という人口の水路の脇をしばらく歩き途中から右折して車を置いてきた道路に飛び出し山行を終了した。2時40分
今回の山行では、下見までして計画くださいましたリーダー、大事な別荘を使わせていただきました代表や参加者の皆様に大変お世話になりました事深く感謝もうしあげます。今後も宜しくお願いします。

 



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