日程: 2013年10月5日(土)~6日(日)
メンバー: 谷川岳: 藤野(幹事兼CL)、赤澤(SL)、福寿(SL)、岡田、國井、浜口、
     古林、星野
蓬峠:  坂井(L)、川崎、東京山楽会2名、ゲスト1名
報告: 岡田

 

   
虹芝寮にて    
 5日(土)早朝、東京出発時は台風23号の余波で雨模様、阿佐ヶ谷駅で福島、星野さんと共に、坂井車に同乗させていただく。赤城SAで國井車(藤野、浜口さん同乗)と合流。水上のスーパーで共同食の買い付けを行なう。11時、土合駅着。着後、藤野CLは、登山指導センターへ登山届けの提出に出掛ける。
 水上駅からのバス組 (11:55) 着と、土合駅の下りホームから「462段+24段」の階段を登って入山した豪の者2名(12:15) 着、全員13名が集結。土曜の昼時とあって我々の他、数名の登山者のみ。その登山者とちょっと話していると、何と中道会員のお知り合いで、米国グランド・ティートン遠征のこともご存知であったのに驚いた。世の中狭いものである。
 昼食後、共同食材を配分し、13時、霧雨の中を虹芝寮に向かう。想い出の旧道はパスして新道を行く、マチガ沢手前の東屋で小休止。湯檜曽川をはさんで向かいに松ノ木沢が流れ落ちている。この先、一ノ倉沢、幽ノ沢と山裾を巻くように小さなアップダウン、アルミパイプで補修された階段、また、旧道へ登る道標もあり、よく整備されている。間もなく「JR見張り小屋」、その数十メートル先に、ブナの大木を背にひっそりと今夜の宿、「虹芝寮」が建っていた。(14時着?)
 私たちの年代にはこの山小舎はあまりに有名だ。6年ほど前の残雪期に雪山研修で使わせていただいたとき以来、私にとっては二度目である。その折には左手の斜面で滑落停止、雪上確保など、小屋横でイグルー作成などの訓練をしたことがよみがえる。
 今回の食当は星野さん、手際よく調理が進む。その他の男性陣は早くも懇親会の予行演習。キッチンから良い匂いがただよう。

 代表より8周年記念山行にあたっての挨拶、東京山楽会などの方も参加されたことから、全員の自己紹介、そして乾杯!! いよいよ大宴会のスタート。
  星野さん渾身の鍋料理! 美味い!! 飲むほどに、酔うほどに、虹芝寮の寮歌(山の友に寄せて「薪割り、飯炊き、小屋掃除、皆でみんなでやったっけ・・・・」など、次からつぎへと十八番が続く、記念山行にふさわしい盛り上がった懇親会であった。

 6日(日) 起床4:30, 曇り時々晴れ。
 朝食はうどん。これも美味い! 完食!! きれいに平らげられた。星野さんはひとりで13名の夕食と朝食をまかなってくれた。しかも美味しい!大したものだ。そして「来たときよりも美しく」整理整頓、清掃。出発準備。今日は、谷川岳組の8名と蓬峠組の5名に分かれて登山し、15時に土合駅で合流の予定だ。谷川岳組は蓬峠組に見送られて(6:00)出発。途中、CLの指示により國井さんが先行した。土合駅前に駐車した車を新道の入口に移動し、余分な荷を車にデボするためである。國井さんは飛ぶように降りて行った。若い人は元気だ!! 我々が下っていくと、國井さんが駐車した入口より、はるか手前まで迎えに来ていた。ご苦労様。ゴミや余分な荷を車にデボできて大助かりだ。車道をロープウェイ駅に向かって歩き出す。谷川岳遭難慰霊碑に新しい花が盛られ、テントが設置されている。今日は地元、水上山岳会主催の慰霊祭が行なわれるそうだ。亡くなった多くの岳人のご冥福を祈る。
 休日のせいか、早朝にもかかわらずロープウェイはすでに稼動している。待つことなく10分ほどの空中散歩を楽しみながら、視界を遮っていた低い雲を突き抜けて、標高1,320米の天神平へ。心配していた天候も青空が覗いている。気温もこの時期にしては高めのようだ。半そでシャツでも寒くない。既に先行パーティがリフトやトラバースルートを登っていく。我々も二つのルートに分かれて登りだす。リフト組みは天神峠まで登り、そこから尾根どおしに行くため、トラバース組みより少し遅れて分岐で合流した。ここでA氏が「体調があまりよくないので、付近をゆっくり散策し早めに降りる」とのことで、パーティを離れる。お酒は飲まない方なのでお酒のせいではない。
 熊穴沢の避難小屋には30分ほどで到着。残雪期には小屋の屋根まで完全に埋まる雪深い場所である。ここで一本。先ほど分かれたA氏を案じ、SL.の福寿さんが本隊との連絡用の無線機を持って残ることになった。A氏はベテランではあるが、体調不良の人をひとりにすべきではない、という配慮なのだろう。私も数年前に冬の蓼科山で体調不良のため、福寿さんに同行していただき、本隊よりずいぶん遅れて登頂したことを思い出した。
 この先、トップをリードするSLの赤澤さんのピッチか早く、息があがる。ラストのCL.より「ゆっくり!!」の声が飛ぶ。赤澤さんは自転車でカナダを横断(5,000Km)してきただけに快調だ。尾根の上部が広がり岩石の流出防止帯を休み休み越えると、ガスの中に、かの有名な鐘が吊るされた肩の小屋に到着。ひと息いれて頂上(トマノ耳)に向かう。狭い頂上は先行パーティで賑わっていた。記念写真をすませ、展望のきかない頂上をあとに、肩の広場へ戻って昼食(11:05-11:35)とした。
 往路は早めの出発だったため、往来待ちはほとんどなかったが、いざ我々が降り出す時間帯は、まさにラッシュアワー。昨年秋に行った北穂高のような長い梯子や鎖場はないものの、子供連れや、10人、20人・・・・中には50人を越えるような団体との行き交いは大変である。老若男女、色とりどりの最近のファッションを楽しみながら小休止する。それにしても数珠繋ぎである。無線の連絡で聞いていたとおり、SL.の福寿さんが天神平のロープウェイ駅で待っていてくださった。A氏は既に下ったとのことであった。
 土合駅への道すがら、蓬峠組との交信で、蓬峠組にも体調不良者が出て、「土合駅への到着は1時間程遅れる。既に元気になったので大丈夫。5人一緒に車で帰るので先に帰って貰いたい」とのこと。列車の時間もあることから、谷川岳組は先に帰ることになった。往路、坂井者で来た星野、岡田の両名は、國井車で水上駅まで送って貰い、列車組と一緒に帰途についた。

 

<コースタイム> 
6日=虹芝寮6:00―7:35ロープウェイ駅―天神平8:00―熊穴沢避難小屋―肩の小屋―10:50トマの耳―11:00肩の小屋11:20―12:55天神平

 

虹芝寮(こうしりょう)について:
 「虹芝寮は、1932年(昭和7年)、旧制成蹊高校旅行部(後の山岳部)の現役学生によって建設され、以来管理人を置かずに現役学生やOBを主体として毎年守り引き継がれてきました・・・。」これはパンフレットからの引用です。
 戦前、戦後をとおし多くの岳人が、この小屋から巣立って行ったことから、虹芝寮はあまりにも有名です。数年前シリウスの雪山研修で、虹芝寮を利用させていただくことを聞いたとき、嬉しさいっぱいで古い岳友に話したほどでした。思うと感慨深いものがあります。そして今回、記念すべき山行に使わせていただくことは、まことに有難いことと思います。
 私にとっては2回目の宿泊でありましたが、次の機会がありましたら、皆さんも是非参加されることをお勧めします。そして薪スト―ブを囲んで、山の歌を歌っていただきたいものです。

 

 
虹芝寮にて
  天神平
 
熊穴沢避難小屋までの稜線にて
  トマの耳にて

 



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