越沢バットレス

赤澤東洋

登山日:06.12.16 曇り
メンバー:いつもの4人組

 奥多摩・越沢バットレスに初見参。越沢と書いて<こえさわ>と呼ぶ。
バットレスは<BUTTRESS>と書き胸壁の事。これが凄いんだ。高低差80Mの岩壁。対岸から見た時は感じられなかったのだが、基部に立つと黒光りし実に堂々としていて頭上からのしかかられるようでなかなかの威圧感。 胸壁だからさしずめ巨乳ってわけで、息がつまってクラクラしちゃうのもまあむべなるかな。
 「おいおい、こりゃ凄えぞな。どこ登りゃいいんだ」と思わずため息。
改めてザックの底からガイドブックを取り出せば<ここの岩は鋭いエッジのあるチャートという岩質で、過去に墜落時に何度かロープ切断事故が起きている。ロープの流れには細心の注意が必要>なんて書いてあり、なんだかふくれあがっていた気分がいっぺんに萎えてくる。2日前の雨はまだ乾かず濡れているし、陽がささず寒いしで戦意喪失だ。
 ちなみにチャートとは<緻密で細かい石英からなる硬い岩石>の事なんだそうな。
折からいかにも場馴れした風な二人組が来たので、「ここは初めてなんだけど、どこ行ったらよかんべか」と長さん助言を求める。こういう時は見栄も外聞もない。経験者に聞くのが一番だ。しょっちゅう来ているという二人から「初めてだったら右ルートがいいのでは。そこをトラバースしてね。踏み跡あるでしょう」とのアドバイスを受け、<折角来たんだ。チョコッとやったろうか>と気を取り直す。
 2組に分かれてチーム編成、つるべで登る事とし久しぶり(2ヶ月)の岩だったので最初のリードは西さんにお願いする。もう一組は長さんと柴やん。この右ルートは通称<一般ルート>と呼ばれ、グレードX−となっているルートだ。ちなみにこのX―だが、5級マイナスという意味でグレード5級だが、5級の中では少し易しいという意味。少し難しいと5+となり、その上はY級でクラスは全部でT級からY級まである。柔道や将棋は6級から5級、4級とグレードが上がっていき、最後が1級、そのうえから段位となるのだが、岩の世界では何故か逆なのだ。しかも最近のフリークライミングではアメリカ方式を取り入れて 5.2〜5.9〜5.10a, 10b, 10c, 〜 5.15とくるのだからややこしい。さらにややこしい事にロープを使わないボルダリングの世界にもグレードがあって、こちらは柔道や将棋と同じシステムで6級より1級の方が上なんだとか。いやはや。尚、ここ越沢バットレスはフリー化される以前から首都圏のクライマーのゲレンデだった事があるからか、昔通りにW級、X級で表示されている。
 それではいざ往かん。母なる胸へ。まず1ピッチ目、天狗の肩とよばれるテラスまで30メートルは長さん迷わず一番右のV級ルートに取り付く。長さんCカップがお好きらしい。それを見て西さん、メンツにかけてもと正面突破。こちらはX−ルート。Dカップ。下から見ているとさすがは西さんだ。オーバーハングも難なく越えていく。<なんだ。思ったより易しいじゃあない>とビレイしながら思ったものだが、それは大きな間違いだったことを後で知る。
 さあ初見参のDカップ、お手柔らかにと優しい手つきで取り付いたまではよかったのだが、ものの10メートルと進まない内に指先の感覚が無くなってきて岩角に手がかからなくなってしまった。冬期は立ち木に阻まれこの岩壁には一日中陽は当らず、岩はビンビンに冷え切っており指先がすっかり凍りついてしまったらしい。まったくこれは想定外。「コレってヤバイんじゃない?」。指先にハーハーと息を吹きかけ、何度も何度もモミモミし恐る恐る手を伸ばしていくしかない。岩角にかかったはずの指先だが、硬く麻痺していて効いているのかどうか判然としない。ごまかしごまかしなんとか問題のハングまで辿り着いたはいいが、これが下から見ていたのとは大違いなのだ。
 かぶっていてとてもじゃないがまともに立ち向かえそうもない。「参ったなあ、もう。帰りたくなっちゃったよ」ブツブツ独り言。 とはいえ行くしかないのが辛いところ。直登は無理とみて右へ斜上するも益々指先の感覚がなくなってくる。指先は両手共に親指を除く4本の第一関節が固く凍り付いてしまい心なしか白く変色している。ここでも又両手もみもみ、ハーハー息を吹きかけ、頃合い計って恐る恐る手を伸ばす。スタンス確かめなんとか岩角に手がかり見つけて一気に立ち込んだ瞬間。「駄目だ!?」。「うわっー!!」。ホンのわずか落ちただけなのにガクッとハーネスにかかる衝撃。思わず胴震い。
 「もうやだよう! おーい、下ろしてくれえ!」と泣きをいれてみるも、上には声が届かないのかロープはテンションかかったままだ。アメリカ人なら「シット!!」とか「ガッデム!!」と怒鳴っているところか。こちらは日本人「エイ!、クソッ!!」「チクショウ!!」だ。 こんな所リードで登るのだから西さんさすがだと敬意を表するも、こっちの気持ちはすっかり萎えて泣きたくなったが、それで目の前の難問が解決するわけでもない。打開の道は唯一つ、 「登るっきゃない」のである。 もうヤケクソで<火事場のなんとやら>恐怖感を押しやり必死になって小ハングを乗っ越すと西さんがニコニコ笑いながら「何かテンションかかったけど、どーしたの?」とのたもう。さっきまで泣きべそかいてたこちらだが、「いやあ、指先冷えちゃってチョッと滑っちゃよ」とあくまで平静装いあまり素直じゃあないのである。
 2ピッチ目はこちらがリード。右のラインでは「ホールドが全然ないよ」「どこ行ったらいいんだ」と相変わらず賑やかな柴やん、こちらは左から攻める。少し岩に馴染んだせいか何とか問題なく通過し核心部の3ピッチ目を西さんに任せる。ここが核心の「滑り台」でツルツルのスラブ。70度位はありそうだ。大きなガバはないが、トップロープの安心感で何とか乗り切る。
 懸垂下降で基部に戻ると12時を回っており、今日はこれまでとする。メインルートの第一スラブ、第二スラブは次回気候の良い時に再訪しよう。それまでにもう少し修行をつんでおこう。母なる胸壁、Eカップも暖かい時期ならきっと優しく暖かく我らを迎えてくれるに違いない。楽しみにしてるぜ。 チュッ。

 


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