【日留賀岳・山行報告】 小室 豊

月日;2007年4月1日日曜日・日帰り
天候;晴れていたが、遠方は霞んでいた
参加者;岡田捷彦、川崎義文、赤澤東洋、猪瀬精孝、萩原眞理生、堀内晃代、小室  豊  以上7名

山行概要;上野発6時53分快速宇都宮行に乗車 (赤澤さんは大宮乗車)し、宇都宮乗換で西那須野まで行き、ここからジャンボタクシーで登山口の小山宅まで行く。登山届を出して予定時間通り10時に小山宅を出発する。小山宅の裏手が登山口で、そこには日留賀岳の前宮であろうか小さな社があり、ここで安全祈願をする。耕運機でも通れそうな立派な登山道を登ると送電線のある林道に予定時間通りにでた。30分程歩くと林道の終点になり、ここから人の歩ける程度の比津羅山を巻く登山道に入り、20分で比津羅山と1,514mPの鞍部に出た。林道の終点にはワゴン車が1台止まっていた。小山宅で一組のパーティーが入っているとの話を聞いたが、そのパーティーとは別のようだ。この鞍部から1,514mPに向けて緩やかな斜面を登るが、やがて1,514mPの南面を巻き、南東尾根の急斜面を登る。当初予想していたとおり1,400m地点あたりから残雪がある。雪道になると夏道が分からなくなり、トレース通り歩くと1,514mPの東斜面を巻き、ピークを越えた鞍部に出た。

  ここで1時間遅れの昼食をとる。昼食を摂っていると日留賀岳から下山する4人のパーティーに出会う。林道終点に駐車していた人たちとのことであった。夏道を歩くと、1,514mPから日留賀岳までは1時間30分の行程であるが、雪道になるので2時間弱を計画しておいた。昼下がりの雪道となったため、雪は柔らかくなり、踏み抜くことが多くなったため、時間のロスが出始めた。1,514mPからは雪庇がかなり出ている尾根伝いであったが、30分ほどは北側斜面の雪が吹き飛ばされ、夏道が出ていたので、ここをトレースした。昼食地点までは計画より10分の遅れであったけれども昼食後は女性軍に遅れがで始めたため、リーダーと女性軍を除く男性軍は先行することにした。しかし、夏道と別れ、尾根の雪上に出ると雪を踏み抜くことが多くなり、歩行が鈍ってきたので、頂上目前の1,750m地点で登頂を断念し、引き返すことにした。ここまで来ると展望も開けてきたので、時間的余裕を考慮すると、まあまあというところか。遅れた女性軍も同地点まで10分程遅れで登ってきた。

 男鹿山塊は大佐飛山を盟主として、鹿又岳、男鹿岳、日留賀岳などがあるが、登山道があまり開けておらず、盟主大佐飛山は南側の百村山、黒滝山の長い尾根を辿るか、鹿又岳と男鹿岳の鞍部ひょうたん峠から登るのであるが、山のガイド地図にはそのルートが表示されていない。無積雪期は藪が深く歩行がきつく、春の残雪期登攀が多いようだ。そうは言っても林道はかなり敷かれており、鹿又岳などは山頂まで林道が延びており、日留賀岳からよく望める。われわれも歳を忘れ、いずれの日か盟主大佐飛山に登ろうやと話しながらの下山であった。下りは1,514mPまでは尾根の雪上を歩く人が多く、ただ一人ワカンを持参した人はそのツールを利用し得意満面であったが、初めて装着するということで、取り外しに時間が掛かり、他の6名より遅れることが多かった。1,514mP地点手前の夏道には朽ちかけた日留賀岳奥宮の木の鳥居を発見し、記念写真を撮る。また、再建築するとのことで、資材が置かれていた。

  登りは計画より多少遅れていたが、下りは早く、特に雪がなくなった1,400m地点からは歩速が早まり、小山宅には予定より早く17時50分に到着した。既に依頼しておいたタクシーは到着していた。小山宅では栽培していた行者ニンニクを手土産に買う人がかなりいた。出発前登山届を提出していたとき、小山宅のご主人が「日帰りで行って来るの」と多少心配する気配をみせたので、「私が一週間前に同じルートを歩いているのをご存知でしょう。心配することはありませんよ」と伝えると安心していた。10時以降の登山開始で、雪を踏み抜くことが多くなり頂上の日留賀岳奥宮を参拝できなかったが、青春18切符で日帰り山行を楽しむ目的を達成でき、東京近辺からの費用が一人総額3,600円と均一した山行でした。

 


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