◆奥秩父・赤岩尾根 赤澤東洋

07.4.21(土) 赤澤他2名

  
1583m峰                                P1(八丁岳)

 深田久弥氏が「あたかも巨大な四角い岩のブロックが空中に突き立っているような、怪異な山」と書く奥秩父・両神山〔1724m〕の頂上に立つと、北西部に峨峨たる岩峰が目に飛び込んでくる。目前に聳えるこのギザギザの尾根が赤岩尾根である。標高は最高地点でも1589mと両神山より幾分低いが、踏み跡は不明瞭、鎖や道標等はなく岩と藪のエキスパートのみに許された、豪快な岩稜縦走が楽しめるという。「ハイグレードハイキング」(山と渓谷社)では岩場、藪、ルートファインディングいずれも4ツ星という最も困難な評価となっているコースだ。これは行ってみなくては。

 上尾市を4時半に出た愛車は川越・正丸峠を経て7時丁度、日窒鉱山の旧公民館前の広場に着いた。前日遅く着き、この広場で仮眠していたという、朝食中のMさん、Yさん、Sさん達と無事に落ち合う。他に4人組の名古屋ナンバーの車が1台。
最盛期の昭和30年代には社員、家族を含め2000名を超える人々が暮し、殷賑を極めたという日窒鉱山は現在でも石灰石を採掘し、炭酸カルシウムやシリカを生産しているとの事だが、今はすっかりさびれてゴーストタウンと化している。次々と現れる閉鎖された社宅や売店、共同浴場、病院等の廃屋のその光景は異様だ。廃墟スポットとして全国的にも有名でマニアには人気があるらしい。駐車した広場に建つ小学校のような建物は公民館で、「丹岫寮」という。これをまともに読める人はいないだろう。命名者はなかなかに学のあるお方とみえる。「丹」は赤い色という意味。丹頂ヅルを思いうかべてもらいたい。「岫」はこれを「しゅう」と読み、山の頂とか、峰を意味するという。即ち、赤岩尾根にある「赤い山頂の寮」というわけだ。ウーン。降参。

 前夜祭(?)ですっかりご酩酊のSさんは、「もう登る気になれません」と待機を決め込み、常備薬のブラックニッカをかかえてご機嫌である。青空の下、山の本に「忠さん階級の山の日々」を連載していたSさんに、にこやかに見送くられていざ出発。
赤岩峠への登山道入り口は旧給食センターの奥にあり、「群馬県上野村二至ル」と記された石標が立っていた。檜の植林帯を経て新芽を吹き出し始めた雑木林の中の登山道は明瞭で、グングンと高度を稼ぐ。暑い。Yさんはもう半袖だ。やがて左手に切り立った数十メートルの岩壁が現れるとMさんは若い頃にあの岩場に挑戦した事があると言う。ボルトを1本埋め込むのに15分位かかり、あれは登山というより土木工事という趣だったとか。かっては足繁く谷川岳の岩場に通い、モンブラン・タキュールの北壁にも登攀したMさんはクライマーとしてもなかなかのものだったのだが、後に限界を感じクライミングジャーナルを立ち上げ、出版の世界に身を転じたという。

  登山口から1時間ちょっとで小さな石碑の置かれる赤岩峠に着いた。秩父へ抜ける道路が整備される以前、この峠は鉱石を群馬県上野村まで運搬するのに使われており、峠越えは重要な産業道路であり、鉱山と里を繋ぐ生活道路でもあったという。
目前の赤岩岳の正面壁は切り立った垂壁で、登攀意欲をそそられるが今日は用具もなく群馬県側の崖の基部をトラバースする。北斜面には一面に2日前の雪が残り、ツルツル滑り歩き難い。雑木につかまり慎重にルンゼをつめて北陵に出ると、見晴らしの良い岩峰があり、目の前に大ナゲシが屹立し、我々より先に出発した名古屋ナンバーの4人組が登っているのが見えた。岩峰から樹林帯の中、明瞭な踏み跡を辿り右側から巻くように登りつめ標高1520mの赤岩岳に出た。立ち木の多い頂上から少し先に行くと見晴らしのよい場所があり、一息入れる事にする。生憎浅間山は雲の中だが、目を西方に転じれば御座山から小川山、金峰山と懐かしい山々を望むことができた。右下間近に見下ろす日窒鉱山は、小倉沢に沿って縦長に鉱山街が形成され建物の屋根が赤と青に区分けされている。Mさんが赤は住居で青は工場だろうと言う。確かにそうかもしれない。

  赤岩岳から先はいよいよ本格的な藪となった。痩せた岩稜を行く縦走路は踏み跡は不明瞭だが赤布や白いテープがうるさい程にぶら下がっていてルートを見失うなうような事はなさそうだ。只、2週間前の表妙義と異なるのは、こちらは通る人が少ないせいか岩はもろく、掴んだ木の根や枝がすぐ折れてしまい頼りない。それでなくても薄い残雪に足をとられ危なくてしょうがないのだ。小さなピークが幾つかあり、岩稜を登ったり下ったりを繰り返す。地図にある1583m峰の手前のピークは、垂壁でYさんは元気に正面突破で直上するも、よく見ると左斜面にトラロープが下がっているので、こちらは迷わずロープにつかまり裏口からルンゼを右上する。目前の1583m峰は、鋭い岩峰だがここにもトラロープも下がっており見た目ほどではなく登山口から丁度3時間で頂上に立つ事が出来た。しかし先はまだまだ長い。行く手にはP4, P3, P2,P1と越さねばならないピークが幾つも立ちはだかっている。

  この先でルートを踏み外し、樹林帯の中立ち木につかまりながら急斜面を下り迂回する羽目となる。支尾根に迷いこんでしまったようだ。
12時丁度、P3と思しきピークに立つと、谷底から時を告げるサイレンの音が聞こえた。工場のお昼の合図だ。檜や杉の濃い緑を包む込むように芽吹き始めた新緑が眩くそのコントラストがいい。両神山や狩倉山の北斜面には樹林帯にびっしりと雪が残っている。
登り始めて丁度5時間、12時45分P2の頂上に立つ。赤岩岳からここまでまったく標識がなかったので、漸くここで自分達の位置が確認できた思いである。ホッとする。P2からの下りにはこのルート一番の難所という岩場があり、ロープを出して懸垂下降が必要という事だったが、ここにもトラロープが下がっていて何なく下る事が出来た。最後のピークP1には白ペンキで八丁岳と書いてあった。書かれたのは最近の事であるらしい。この先もう危険箇所はないとMさんは「コレが楽しみ」とザックの底からビールを取り出し気持ち良さそうにあおっている。
14時50分八丁峠登山口に下山、デポしておいた車を拾いSさんの待つ公民館「丹岫寮」に向った。全行程7時間、それなりに緊張感もありいい塩梅であったかと思う。

 


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