◆憧れの北岳バットレス 71.5歳の挑戦 別所宗郎

 
      (マッチ箱をバックに余裕のポーズ?)           (バットレスを完登、北岳頂上の2人)

数年前から憧れていた北岳バットレスに、2007年9月18日に初めて挑戦し、第4尾根主稜を完登した。
時に、71歳と5か月14日。もちろん独りで攀(よ)じったのではなく、シリウスの仲間の藤野孝人さんという
素晴らしいザイル・パートナーに恵まれてのことだ。
 2001年に初めて北岳に登った時、八本歯のコルから見た北岳の“裏側”(では表はどこ?)に、いまにも
崩れそうな岩場があり、その光景が目にジジッと焼き付いてしまった。実はその時点では、ここが有名なバ
ットレスで、アルパインクライミングの格好のルートであることは知らなかった。たまたまそのころ女房が、
近くの図書館でリサイクルのために放出した書籍の中から「北岳を歩く」というガイド本をもらってきた。表紙
を開くとグラビアに見たような風景があり「北岳バットレス」とあった。私がこの壮大な岩場の登攀に取り憑
(つ)かれたのはそれ以来のことだ。

  定年後、山登りを始めるにあたって、2つのことを心に決めた。1つは、足腰が弱る前に3000m級の高山
に登ること。2つは、頂上を極めるだけではなく、岩登りと沢登りもマスターしてオールラウンダーになること。
その実現のために、まず都岳連の個人会員に加入して、仲間と交流しながら基礎的な山の知識と技術を身
につけた。その後シリウスの仲間に教わったり、ガイドに付いたりして特に岩の訓練を重ねた。マルチピッチ
も2,3本はこなした。そうして何となく岩登りのコツが分かってきたのは最近のこと。だから、まだ本格的な
マルチピッチを登るのは早すぎると自覚していたのだが、仲間から「マシラ(猿)のべーさん」とおだてられ、
ガイド氏には「身が軽いですね」とお世辞を言われているうちに、本人がすっかりその気になってしまったの
だ。もっとも、北岳バットレスは「技術+体力」と言われているので、技術はそこそことしても、ともかく体力の
あるうちが勝負だと自分に言い聞かせて、今回の挑戦に踏み切った。
  コースは、比較的登りやすいといわれる「第4尾根主稜」。八本歯から見ると、頂上直下から弓なりに盛り
上がって落ちている尾根。以下は、強力なリーダー藤野さんとザイルを結んで登った私の「挑戦の記録」で
ある。
 9月17日(祝日) 曇り、広河原から二俣経由で「白根御池小屋」に入る。この日は「敬老の日」、私の前
途を祝ってくれているようだ。夜、空はびっしりガス。「明日もダメかな」と思う。
 9月18日(火) 午前3時起床。表に出ると昨夜の雨で地面が濡れているが、ガスが少し高くなっている。
3時半ごろ、大学生と思しき女性のペアが「ともかく行ってみる」という感じで出ていった。5時ごろ、何となく
明るくなったようだ。この分なら岩が乾くかもしれない。5時35分、遅いのは承知で「ダメならギリギリ明日も
ある」という気で出発した。
 徐々に明るくなったな、と思ったころ、女性ペアが引き返してくるのに出会った。藤野さんが聞く。「岩がびし
ょびしょ」。待てば乾きそうだが、彼女たちは今日中に帰るので諦めた、とのこと。空の好転を祈りつつ灌木の
急坂を行く。かなりへばったころ切り立った岩場に出た。ここがbガリー大滝の取り付きで、まだまだ序の口だ。
2ピッチ登り、左へ大きくトラバースして、第4尾根の下部の岩壁、カンテルートに着いた。
 2ピッチ目ぐらいを登っている時だ、右手の谷と小尾根を隔てた辺りで「ガラ、ガラガラーッ!」と大音響がし
た。音は15秒ぐらい続いた。落石というより岩なだれのようだ。後続の人がやられたのではないかと心配した
が、 ここからではどうしようもない。そのうち「ピーッ、ピーッ」とホイッスルが鳴り、谷を隔てた100mほどのと
ころから、目撃者らしい男性がこちらに何か言っている。藤野さんが、携帯で救助を頼むようにとアドバイスを
した。30分ほどしてヘリが現れ、一人を吊り上げて去っていった。この事故は、やはり我々の後から登った中
年の男女が遭遇したもので、命に別条はなかった。

  カンテルートを3ピッチ稼ぎ、いよいよ第4尾根主稜の取り付きに来た。ここまでの間に、私はまだまだ未熟
であることを知った。@ビレー地点での手順が悪くモタモタした、A藤野さんがセットしたシュリンゲの回収を忘
れるポカをやった。いずれも頭では知っていても身に付いていない証拠だ。
 いよいよ本番。大きく深呼吸をする。11時05分、第4尾根主稜の最初の取り付きは、のっぺりしたコーナー
クラック。ザイルに引っ張られてやっと登る。一息ついて気が付くと、晴れている。周りは素晴らしい光景だ。
富士山が雲と遊んでいる。ピラミッドフェースを右から巻き、「白い岩のクラック」と呼ばれる緩傾斜を快適に登
る。まだ半分も来ていないが、体は動いている。大丈夫だ。
 藤野さんとコールを交わしながら小さなアップダウンを過ぎ、このルートの核心という、おにぎりを立てたような
垂壁に来た。藤野さんが慎重にリードして行く。これをやっとこさ這い上がって、短いリッジに冷や汗をかいたら、
いきなりマッチ箱のピークにいた。ここからは10mほどの懸垂下降だ。岩登りで、どういう訳だか私が最も得意
とするのがこの懸垂下降。エイト環でザイルを滑らせながら、スルスルと重力に身を任せる。これほどの快感は
ちょっとやそっとでは味わえない。

  着地地点から次の「枯れ木テラス」まで2ピッチ。登攀は終盤に差しかかった。緩いフェースを辿って行くと、
ここが絶好の撮影ポイント。上から藤野さんの声がかかって、写真を撮ってもらう。ついVサインをやった。余裕
ってやつだ。バックにはこのルートの名所マッチ箱が写っているはずだ。残るは2ピッチ。慎重にザイルを張っ
て終了点に着いた。ヤッター。午後2時55分遂に完登したのだ。目がウルウルする。藤野さんと感激の握手。
周囲はすっかりガスに包まれて余計な風景がないだけに、2人だけの世界があった。自然の粋な計らいに感
謝した。山頂を踏み、肩ノ小屋へ。さすがに疲れた。翌日の下山で足が痙攣する初めての経験をし、藤野さん
に重いガチャ類などを持ってもらった。帰宅後、ヒザの打撲で腫れが出て、足首がむくむなどの症状が1週間
ほど続いた。やっぱり年齢は争えない。

 「山なかま シリウス」には70歳を過ぎた会員が現在、私も含めて7人いる。全会員の10%に近いこの人たち
は実に元気で、カクシャクたる人ばかりだ。早朝のマラソンとラジオ体操を毎日欠かさない超人。国の内外を問
わず、仲間を募って山地を駆け巡っている、もうひとりの超人。古希を機に岩登り、沢登りに目覚めた遅咲きの
人それはもう“華の70代”と言うにふさわしい人たちだ。
 しかし、一方でこの年代は、肉体的&精神的に大きな曲がり角に直面する年頃でもある。昨年春に70歳にな
った私も、その年の5月から12月にかけての8カ月の間に、肺、ノド、腸に、続けざまに変調が起きた。タバコを
止め、整腸剤の服用を続ける羽目になった。だが、こうした状態は私だけに限らないことが最近分かった。今年
めでたく古希を迎え、すこぶる元気にとび回っていた仲間から「足の具合が良くないので、予定の山行を取りや
める」とのメールが流れた。普段のこの人の様子からすると、めったにないことなので、驚くと同時に「やっぱり」
との思いがした。いくら超人に見えても70歳は、やはり曲がり角なのだ。
 今のこの年代は、かつての日本の高度成長期に現役で、バリバリこき使われてきたので、体も精神も鍛え抜
かれた、いわば筋金入りのグループだ。しかし、無理を重ねてきているだけに、一見すると丈夫そうでも、ちょっ
としたきっかけで、ガタガタと崩れることがあるかもしれない。平均寿命からすると、あと15年、あるいは20年も
頑張らなければならないので、この先の人生、時には“一本立てる”ゆとりも欲しい。

 


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