◆安達太良山〜厳と艶と詩の山へ〜  鳥澤 誠

[日 時] 2008年3月29日(土)〜30日(日)
[場 所] 安達太良連峰・安達太良山
[参加者] 藤野孝人(L),猪瀬精孝、斉藤幸子、別所宗郎、鳥澤 誠

 

 高村光太郎は妻を思って詩った。
「智恵子は東京に空が無いといふ/ほんとの空が見たいといふ/私は驚いて空を見る/
 (中略)智恵子は遠くを見ながら言ふ/安多多羅山の山の上に/毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ/あどけない空の話である」

 光太郎の八十数年も前の詩である。私が中学生だか、高校生だか定かではないが、国語の教科書に載って
いたような気がする。その後、ずっとセピア色の記憶のまま、年月は過ぎ去っていった。五十歳代半ばに、ひょ
んなことから、百名山を完登しようとおもいたってまもなく、安達太良山の山行を計画したときであった。上記、
「智恵子抄」の一節が鮮明に蘇ってきたのである。この哀愁を帯びた抒情詩に魅せられながら訪れた、十一月
の安達太良山は、意に反して、強風と濃霧に悩まされた。それから十数年たった五年前、雪の安達太良山を目
指したのだが、吹雪のために登頂できなかった。心の内ではもう一度と思っていたのだが、そこに登場したのが、
藤野さんの「安達太良山」である。

 高田馬場、七時集合。食料を買出ししてくれた名倉さんは、都合により不参加とのこと。わざわざ届けてくださ
ったご苦労に申し訳なく、後ろ髪を引かれる思いで出発した。首都高から東北道へ。二本松I.C.まではかなりの
長丁場である。一人で運転する藤野さんにはありがたいとおもいつつ甘えるほかは無い。天気は良いので、途
中、懐かしい山々が展開してくる。宇都宮辺りまで来ると、遠く日光の山々が眺められた。矢板からは目前に鶏
頂山が見える。こんな低山に夢中になって、三百名山を登り続けていたころが、もうずっと昔のような気になった。
高速道が黒磯にさしかかると、左側に大きく現れるのが那須連山だ。まだ真っ白だ。安達太良の雪が保障され
たようなものだ。いよいよ郡山を通過。全員の視線が安達太良山を探す。この辺は、天候がすでに崩れかけて
きているようで、別名、乳首山とも呼ばれる安達太良山は、乳房から上は隠してしまっていた。二本松I.C.からは
案内板に導かれながら459を岳温泉へむかう。奥岳にはスキー場があるので、道路に雪は着いてなくて、終点
まで安全に行くことができた。(藤野さん、運転お疲れ様でした。)

 車の外は寒い強風であった。冬山装備に着替えて、車内で昼食。11:50スキー場駐車場を出発。幅広の雪道
を徐々に高度を上げていく。無雪期には関係者の車は通るというような道だから、迷う心配は無い。迷う心配は無
いものの、天候が悪化してきていた。風だけではなく雪も吹き付けてきていた。勢至平は広大な平地なので風雪
が強い。五年前もこんなだった。そのときは翌日も風雪が止まず、出発はしたものの登頂は断念した。ちょっとい
やな気持ちになったが、天気予報は明日は晴れのはず。希望を持って前進する。時折雲空が薄らいで、鉄山が
ほんのり見えたりしたが、すぐにもとの木阿弥である。勢至平を過ぎると、道は狭くなって谷の源頭部近くをゆくよ
うになると、先ほどから降っている雪が積もって、踏み跡も定かでない急斜面を、少々緊張しながらトラバースしな
ければならなかった。そんなところが二、三ケ所あったろうか。尾根を回り込むと、忽然と山小屋が現れた。こんな
ときは、いつものことだが、心がほっとして涙ぐみたくなるようなきもちになる。

 宿泊手続きをすませて、早々に温泉に。初めてここに泊まったときは、湯船の檜はまだ白々と真新しく客も少なく
て、ほんとにのんびりしたのだった。そのときに比べれば、湯船の板は大分黒ずんでいて客も多いが、温泉そのも
のは硫黄の香りに満ちて、白濁の熱い湯は、風雪の中を歩いてきた身には温かく沁みる。湯あがりの後は、アル
コールで喉を潤しながら雑談。そのうちに、自然に夕食作りに入ってしまった。土鍋とコンロは小屋で貸し出してく
れるので、持参する荷物は軽くてすむ。それにしても具材、調味料の豊富なこと。出来上がった代物の旨いのなん
のって、ほっぺが落ちるか、山がひっくりかえるか、てなもんで参った参った。鍋から出てきたホタルイカは、周りの
人に見せびらかして食ったさ。こんなにおいしいものを準備してくれたのに、来られなかった名倉さん、ほんとうに
有難うごいました。

 ランプの灯が橙色に部屋を照らす。外は吹雪の音が唸っている。ダルマストーブに石炭を投げ入れる。小学生の
頃のストーブの石炭当番を懐かしく思い出して、黒光りのよさそうなのを一つポケットに忍ばせた。客たちは三々五
々寝室へ戻っていく。そろそろ私も寝るとするか。

 夜、なんとなく熟睡できなかったせいか、朝ぐずぐず布団に入っていて、声をかけられて飛び起きた。朝食の準備
中に外が白々とあけてきた。カメラを持って外へぬけだす。風はまだ少々強いが、回復に向かっているようだ。東の
谷間に低く沈んだ雲層の下に太陽があるらしく、雲がワイン色に染まっている。二、三分置いて裏手の山を見た。
雪山がピンクに染まり、一瞬霧が上がって青空が透けた。もちろんカメラに収めたさ。今朝も、具材たっぷり、調味
料たっぷりのごった煮雑煮。たらふく食った。

 7:00出発。小屋の前はツアー会社の団体さんでいっぱいだ。一足先に出発することにした。その後も、休憩して
いるときに彼らが近付いてくると、腰をあげて歩き出した。山はまだ霧に覆われていて、遠望はきかないがルート探
しに困るほどではない。要所要所に赤布をつけた笹竹がさしてあった。岩や潅木に着いた霧氷がうつくしい。朝食
をたっぷり食べたので、大して疲労を感ぜずに山頂直下の標柱まで登ってきてしまった。山頂部は雪がびっしり着
いた岩場だ。慎重に登る。岩に付着した霧氷が神々しく光る。山頂からは、まだ灰色の雲が遠くまで広がっていて、
吾妻連峰や飯豊連峰の山頂部がわずかに白く覗いているだけで、山容はまったくわからず残念であった。風も寒く
長居は無用だ。山の神を怒らせないように、しかもここは彼女の乳首の上である。そっと静かに下りよう。

 稜線から五葉松平へ下る。南面を下るので風は無く暖かい。昨日の雪でトレースは消えてしまっているが、藤野
さんはぐんぐん下っていく。気がつけばいつのまにか、真っ青な空の下、銀雪が輝いているではないか。そこからは、
写真を撮るたびに、皆さんから遅れながらくだっていった。五葉松平付近、霧氷のついた潅木帯の白い平坦地を歩
いていく仲間たちの姿を、高い所から眺めていたのだが、なんとも牧歌的で美しい光景であった。薬師岳までくると、
ほんの近くまでゴンドラが上がってきているので、観光できた人たちが、タウンシューズのままここまで歩いてきて
いた。この先、奥岳へ向かって急斜面をおりていくのだから、写真はもう撮れまいと何枚もシャッターを切った。撮り
終わって、つくづくと安達太良を眺めた。安達太良山は、乳首もその真っ白な雪肌も、燦燦と降り注ぐ春の陽光の
下に惜しげもなく晒している。私はそのとき思った。智恵子の、そう智恵子の、青い空が、見えたと。
 下りきると、雪解けが始まったスキー場で、若者たちがスノーボードに興じている。スキー場もそろそろ閉鎖であろ
う。春の匂いを含んだ風が頬をかすめていった。


[コースタイム] 3/29 奥岳駐車場発11:50〜くろがね小屋着14:30
          3/30 くろがね小屋発7:00〜安達太良山(8:20〜25)〜薬師岳(9:25〜35)〜
               奥岳登山口着10:20


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