◆残雪の山 初河山(はっこやま=1613m) 矢澤昭文
    〜山、高きが故に貴からず〜 

〔日 程〕 2008年4月5日(土)〜6日(日)
〔メンバー〕 矢沢昭文、金田安代

         
                    (雪庇の縁を登る金田さん)

 ヤブの斜面を強引に登り尾根に出た。その尾根を高みに向かって忠実に辿って行った。所々残雪が出てくる。
早朝で表面は固いが、既に雪は腐っており時折踏み抜く。残雪とヤブの続く尾根を上へ上へと登行し、しばらくす
ると一面雪に覆われた杉林になった。尾根がぐっと広がり、前日に初河山に登ったという2人グループのトレース
がなければ迷いやすい所だ。杉林を抜けるとブナ林になり、一気に展望が良くなった。目の前には初河山に続く
稜線が延びている。ここは豪雪地帯、標高はそれほど高くはないが東側に雪庇が大きく張り出している。少しず
つ傾斜が増し、まだ雪の表面は固くアイゼンを装着した。斜度はますます増し、アイゼンを利かせ高度を稼いだ。
 
 急傾斜を登りきると緩やかな台地が広がっていた。トレースはまだ先に延びていた。そこから30分ほどで一つ
のピークに着いた。道標があるわけではなく確認のしようがないが、そこが初河山に違いなかった。時刻は10時
30分、駐車した白山中居神社を出発してから4時間30分余が経っていた。前方に目指すべき丸山(まるやま)が、
陽射しを反射し白銀に輝き堂々と佇んでいた。
 この小さなピークからの風光のすばらしさは一言では筆舌できない。深い雪に覆われたゆたやかな山稜、後方
には小白(おじらみ)山、野伏ケ岳(のぶせがだけ)、薙刀(なぎなた)山と連なり、その北側には白い山の一角に黒
々とした岩壁を見せる願教寺(がんきょうじ)山、福井と岐阜の県境を作る山々である。さらにその先には白山連
峰が並んでいる。
 この山域に初めて入ったのは5年前、2003年の3月だった。ヤブが深く一般道はなく、残雪を利用する以外は
登れないというガイドブックの文章に惹かれてのことだった。3月5日に中居神社から出発し野伏ケ岳を目指した
が、トレースもなく初めての山にいきなりだったこともあり、林道の入り口付近で既に迷い時間をかなり浪費した。
また輪かんを着けても柔らかい雪にもぐってしまい、ラッセルがきつかった。それでも何とか林道を辿り、着いた所
が大雪原、その向こうに白山連峰が横たわり、目の前には野伏ケ岳、その両側に小白山と薙刀山が連なってい
た。白一色の世界がいっぺんに気に入ってしまった。
  結局その日は時間切れでどこにも登らずそのまま帰ったが、その風光が忘れられずに同じ月の下旬にテント
を担いで入った。大雪原の片隅にテントを張りその日は小白山に向かった。稜線に出て雪壁を登っている時に、
その雪壁にビシッと亀裂が入ったのでそこで撤退した。翌日は薙刀山に登り、そこから稜線伝いに野伏ケ岳に
登り、テントを撤収して下山した。それから毎年春になるとこの山域に入るようになった。標高は1,700m前後と決
して高くはないが豪雪地帯である。日本アルプスの山々は文句なしにすばらしいが、この時期にこの山域に登る
と「山高きが故に貴からず」という古い言葉が自ずと浮かんでくるのである。

 さて今回の山に戻ろう。前日に願教寺山を目指しテントを担いで白山中居神社から除雪された林道を歩き、
やがて雪一面の世界に入って行ったものの、重荷と不安が先立ち、しばらく逡巡したが結局神社まで戻ってしま
った。その途中で先の2人に出会ったという訳だ。そして思い直して選んだのが、初河山を経ての丸山だったの
だ。初河山からはなだらかな斜面を下り、そして急な斜面の下りとなった。ブナ林がずっと続いていた。広く緩や
かな鞍部に下り立つや上りとなった。気温の上昇と共に雪面がかなり溶け一歩一歩が重かった。また斜度も徐
々に増してきた。一つのピークに立ち丸山は近くなったが、まだ行程は長く感じられた。前日への忸怩たる思いが
あり、何とか丸山までと思っていたが、自分たちの疲労と重くなるばかりの雪と時間を考慮しここまでとした。ここ
まででも残雪の山を充分に堪能はしていた。そして次回の楽しみを残しておこうと呟いて下山にかかった。
雪を踏み抜きヤブを掻き分け、下山といえども林道に出るまでかなり消耗した。


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