◆ 飯豊連峰縦走5日間
     −計画どおりの行程にカンパイ− 佐藤征男

  〔日 程〕 2008年7月25日〜29日
  〔メンバー〕佐藤 征男 他2名

        
                  満開のニッコウキスゲと飯豊本山(奥)

◎7月25日 (曇りのち雨) 各地〜JR米沢駅〜小国駅〜飯豊山荘(泊)。

 JR宇都宮駅から山形新幹線で米沢駅へ、車中で愛知県から参加のMaさん、Mbさんと合流、米沢駅
で購入した牛弁当を手に2両編成の米坂線の客となった。昼過ぎの時間、乗客はパラパラ、外は雨足が
一段と強くなる。小国駅から1日2本の町営の小型バスは地元の老婦人たち数名と登山者は私たちを含
めて4名である。バスは雨の中を山奥へと約1時間走る。人家もまったく途絶えた山の中の一軒家、飯豊
山荘の前が終点だった

◎7月26日 (雨) 飯豊山荘(6時30分)〜梶川尾根〜門内小屋〜北股岳〜梅花皮小屋(14時55分)。

 山荘前を流れる玉川の水音と雨の音が強く、夜半に目を覚まして外の様子を見る。時々強く降る雨は
止みそうにない。午前6時出発予定を30分遅らせて様子をみる。天気予報は明日も雨の予報である。
雨中の縦走登山は気が重いが、もう何日も雨が続いており、この先雨が止むこともあるだろう。皆元気で
登る意欲は充分である。雨で登山者が少ないことは山小屋の混雑が避けられるだろうと願いつつ出発
することにした。梶川尾根の取り付きを地形図で確認していると、駐車場にいた登山者から登り口を訪ね
られる。この雨の中を登る人がいたので少し気が休まる。梶川尾根は最初から木の根や岩角を手掛かり
にしながらの急登である。ゆっくり、ゆっくりのペースで登りだす。
 滝見台につくころには雨は小降りとなってきたが、ガスで視界はほとんど無い。小休止していると後
発の単独女性に追い越された。年配の様子の割には身軽にどんどん登って行く。五郎清水に着くと休憩
していた10人位のパーティは、昨夜は門内小屋に泊まったが、風雨が強く先に行くのをあきらめて戻って
きたところだった。
 ここを過ぎると傾斜も緩くなり、チングルマなどの花が登山路脇で見られるようになった。扇ノ地紙という
ところで主稜線に出たが風は弱い。門内小屋の小屋番に話しかけて、天気の様子を聞く、昨夜は眠れな
いほど風雨が強かったという。前線上を次々と低気圧が通過しているのだろうか、この分では風も弱くこの
先の梅花皮小屋まで行けそうだと小屋番もいう。
 北股岳へのゆるい登りが続く。山頂の小さな祠を過ぎ、少し下ると梅花皮小屋が見えてきた。左手は急
な石転び沢で、沢への出入り口が道のように刈り払らわれていた。梅花皮小屋の宿泊客は約10人位と
空いていた。比較的新しい建物の床は板張り、コンロスペースは不燃材でしっかりとしていた。水場も約
100mと近く、水量も豊富に流れていた。

◎7月27日 (曇)梅花皮小屋(5時)〜烏帽子岳〜御西岳〜大日岳往復〜飯豊山〜切合小屋(15時50分)。

 3時過ぎに早立ちのパーティーがゴソゴソ始めたので目を覚ました。生水は飲まないようにするために一度
沸騰させてから、冷まして水筒に詰めた。
 5時出発、昨夜の天気予報から今日は曇りの様子、そして明日はまた雨の予報である。天気の状況とメン
バーの状況が良ければ切合小屋まで行く予定でガスの中、雨具をつけて出発した。ジグザグ登りの梅花皮
岳への道は意外と急で長かった。時々花の写真を写しながらスリップや転倒に注意しながら慎重に烏帽子
岳に登る。すれ違った単独の登山者からこの先にニッコウキスゲやヒメサユリが見事に咲いているところがあ
るという。なるほど登山道の両側に満開の花である。シラネアオイの花も混じる。雪田が時々現れるのでルー
トを間違わないように、しっかり確認しながら進んだ。
 御西岳に着くころには時々陽がさしてくる。小屋の前に荷物を置かせていただき、大日岳を往復することに
した。貴重品、水、雨具などMaさんのザック1個に入れて3人が交代に背負うことにした。これで荷物も軽く
なりスピードが上がる。ゆるい登り下りをくり返しながら、飯豊連峰の最高峰「大日岳」標高2,128mへの登り
はちっと急な登りだった。細長い山頂の一角に大日岳の表示板がつけられた木柱が立てられていた。雲の
切れ間に飯豊の山々が全容を現してきた。これで遠路来られたMaさんMbさんも飯豊の山々の姿を目にす
ることができたろう。
 小屋の番人が隠れた花畑という御西岳から見る飯豊山はニッコウキスゲの群落、残雪、やがてハイマツと
砂礫の道を登ると駒形山のピーク。さらに越えるとすぐ飯豊山(標高2,105m)の山頂に立った。山頂の小屋
も新しくなりこじんまりとした小屋になっていた。遠くに雷雲がでてきたが急いで下れば大丈夫だろうと思い下
山を急いだ。切合小屋を目指してどんどん下る。このあたりから地質が明らかに変わり花崗岩の砂礫地帯と
なる。御秘所、姥権現、草履塚など信仰登山を感じさせる名前のあるところを通る。遠くに切合小屋が見えて
からも雪渓の上を歩き随分長く感じられた。今日は朝5時に出発してから10時間30分を過ぎた長い1日だっ
た。小屋は古い作りであったが水場は小屋の前にあった。小屋の前でビールを飲みなが雷雲の近づくのを気
にしながら炊事、夕食となった。間もなく夕立が来て、また雨降りとなった。

◎7月28日 (雨) 切合小屋(6時15分)〜三国小屋〜地蔵山〜御沢〜川入(12時45分)。

 今日は下山の日、川入の民宿までの行程は昨日と比べると楽である。皆さん、なかなか起き上がらない。
隣のMaさんを起こして朝食の準備を始めようとしたが、先発パーティーの出発準備が遅れ気味で、なかなか
土間が空かないで炊事ができないでいると、小屋番が隣のシートで増設した部分を使わせてくれたので隣室
で炊事と食事ができた。
 小屋番に下山ルートを確認し雨の降る中に出た。最初は種蒔山への登りである。時折ゴロゴロと雷鳴が遠く
から聞こえてきていやな天気である。早く山頂部から離れようと少し急いで歩いた。弥平四郎コースの分岐に
ある三国小屋裏で風を防ぎながら小休止。小屋番に話しかけて、これから下山する剣ヶ峰の岩場の様子を聞く
、前回来た時にはたいした岩場とも感じていなかったが、登山者間の言葉からどんなところか気にかかってい
たところである。クサリが付いており慎重にくだれば、どういうこともないが、雨中の下山であり慎重に、ゆっくり
下山した。
 ここを過ぎると地蔵山西にある分岐点で、地図を出してルートの確認。水場のある山腹の道は、雨でドロドロ
の急な坂道を、脇の立ち木につかまりながらくだった。横峯小屋跡近くの秀好清水の分岐点には、しっかりとし
た標識はなく、誤ってくだったら長い車道を歩くことになるであろう。(あとから聞いた話であるが、民宿の爺さん
が近道を開設、当時は国立公園内の無断開設とのことで、登りの登山客を車でこの道の入り口まで送っている
様子であった。)
 上十五里などの標識のある急な道を下りブナの大木が現れてくると川入キャンプ場に着いた。樹齢400年の
杉の巨木が3本、トチノキ2本があった。飯豊山の表登山道を示す古い石のモニメントや新しい大きな案内板が
設置されていた。無人のキャンプ場から林道を30分余り歩いて、川入の民宿村杉荘に入った。川入の集落で
は道路の脇に水が樋から流れており、汚れた靴やカッパの裾を洗うことができた。濡れたザックを廊下に敷いた
ゴザの上におろして、濡れた荷物を廊下のハンガーやロープに下げて乾燥させた。風呂に入って縦走が計画ど
おりできた。カンパーイ。

◎7月29日 (曇) 川入〜山都駅〜会津若松〜郡山〜東京〜各地。

 村杉荘にはこれから飯豊山に登る早出のパーテイや、福島TVの取材チームなどがおり早朝から賑やかであ
る。私たちは9時にタクシーが予約してあるので、Maさんの発案で、御沢のキャンプ場まで散歩に行くことにし
た。砂利敷きの林道脇の畑には、秋そばが蒔かれており、ちょうど小さな芽をだしたばかりであった。空地には
クマ出没注意などの標識も見える。ホオノキやトチノキの葉、ウバユリ、ノリウツギなどの花の写真を写しながら
集落の奥を歩いた。予約しておいたタクシーはJR山都駅まで約50分、狭い林道から舗装道路へ、そして山都
町へと走ってくれた。磐越西線の車窓は緑一色の森、また森が続く、遠くに磐梯山が望まれるようになると、
若い頃に何度も通ったスキー場の芝生が大きく、大きく見えてきた。やがて人家や工場が見えてくるいと工業
都市郡山に近づいてきた。そして郡山駅から東京に向かう新幹線の客となった。


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