◆霞沢岳登頂記 −48年がかりで宿題片付く− 佐藤征男

         
                 (昔ながらの徳本峠小屋)

〔日 程〕2008年9月21日(日)〜22日(月)
〔メンバー〕友人のMさんと2人

 1961年の夏所属していた獨標登高会の夏季合宿が穂高の岳川谷であった。会報DTKレポート「獨標
87号」から当時を想起してみるとコブ尾根や畳岩尾根などを登り合宿も後半になって霞沢岳(2645m)に
登る日となった。皆が岳川谷の岩場を登りに行くのに何故か未知のルートへ気持ちが動かされた。霞沢岳
は前日3名のパーティーが八衛門沢を登り稜線に達しながら登頂できなかった。彼らの情報をもとに同期の
仲間1名と共に霞沢岳を希望した。私たちは長時間行動を前提にして午前7時にBCを出発して上高地に降
りた。
 当時は徳本峠から霞沢岳への登山道が開通する以前であり、霞沢岳登頂の記録は目にしていなかった。
当時主力であった5万分の1地形図から登れそうな最短ルートをとることになって、上高地帝国ホテル前か
ら八衛門沢右股を目指してて登りだした。踏み跡は無く、大小の転石がごろごろした荒れた沢床を登った。
前日のパーティーが積んだ小さなケルンを過ぎると、次第に沢の幅も狭くなり両岸に次々と現れた大きな岩
峰に胸が高鳴る。途中に滝らしい滝もなく順調に高度を上げた。やがてハイマツ帯となり頭上から大小の枝
が覆いかぶさるようになってきた。ハイマツの枝に登ったり、かき分けたりしながら上へ上へと目指したが、
かなりきついハイマツ帯の登りで頂上は遠く、稜線に達するのがやっとだった。今日中にBCに戻らなければ
ならない。ついに時間切れで断念した。八衛門沢右股のルートの概念を確認しながら上高地に下山した。
そして疲れた身体に鞭打って雷雨模様の天気の中でBC帰幕は19時を過ぎていた。

 翌日は私たちの報告をもとに別動隊により登頂すべきパーティーが編成された。大正池のなかほどにある
天平沢へ2名、八衛門沢へ5名がビバークの準備をして出発した。このうち八衛門沢右股からの3名が六百
山寄りの三角形のピーク(現在のKIかK2と推測)でビバークして、翌日に山頂を落とした。私たち山岳会員
による霞沢岳の登頂はこうして達成された。私たち2名は偵察隊としての役割を果たすことができたが、
頂上に達することができなかった。

 その後霞沢岳へは徳本峠から登山道が開設されて峠から往復登山が可能となったが、長い間霞沢岳を訪
れる機会もなく過ごしていた。2008年6月に六百山に登る機会があってから、霞沢岳への思いが再び強くな
っていた。9月の台風13号の接近で読売新道から雲の平への計画が中止となり、代わりに愛知県のMさん
から霞沢岳と焼岳の提案があった。この機会を逃す手は無いので早速OKした。松本駅でMさんと合流した。
雨模様の天気の中、何十年ぶりかに訪れた徳本峠の小屋は昔のままの古ぼけたランプの山小屋であった。
小屋には十数人の泊まり客があった。外観とは裏腹に温かく清潔な寝具、新鮮な野菜を多く使った食事など
管理人の暖かな心使えが感じられた。
                      
 翌日は午前6時半に小屋を出発して、霞沢岳を往復して宿泊予定地の上高地西糸屋山荘まで行かなけれ
ばならない。私たちは雨の中地図上のジャンクッションピークを目指して深い森の中の小道を登った。
同行のMさんが数年前に登った時も雨だったとか、今日も雨降り、展望はほとんど無い。ジャンクションピーク
(2424m)と書かれた古い板きれ1枚が地面に置かれていた。周囲は樹林におおわれておりピークの雰囲
気すら感じられない。ここから、ゆるく長い下りが待っていた。登山道がぬかるんでいる。小屋の主人がスパッ
ツを付けて行くように話していたが納得できた。小さな湿地状のところがところどころ現れてくる。尾根の左手
霞沢側に崩壊地が発生していたが、登山道は要所で草が刈られており明瞭である。雨が時折強く降り出し、
道も急坂となってきた。ハゼやウルシ、ダケカンバの葉も色づいている。大小の石がゴロゴロしており足場も
悪くなってきた急斜面をやっと登り切るとK1というピークに出た。ここは完全なピーク状で樹林帯を抜けて岩
稜の頭の感じである。天気が良ければこのあたりから穂高連峰の展望が良いのではと思うが、あいにくの雨
模様の天気で展望はきかない。小休止をして、先を急ぐことにした。ハイマツと岩のミックスした尾根をたどり
K2へ、このあたりで山なかま・シリウスの杉本さんなど先発していた人たちとすれ違う。頂上はもう一息との
声がかかる。
 さらに小さな登り降りを過ぎ、少し急な斜面を登ると右手に回り込むようにして、ハイマツにおおわれた山頂
に達した。徳本峠の小屋を出発して4時間20分である。雨が降り続き展望は全くない。頂上で出会った40代
くらいの単独の男性にMさんとツーショットでシャッターを押していただく。47年の思いが詰まった山頂である。
記念に1人でも写していただいた。小休止ののち下山を急ぐ。K2へは稜線から右手に別れるように尾根を下
る。さらにハイマツと岩のミックスした岩稜をK1へ慎重に通過した。K1から急な下りを登山道わきの灌木に
つかまりながら下る頃には雨も小降りとなってきた。

 森の中の道、湿地帯を過ぎジャンクションピークへの登りは、疲れた身体には長く、長く感じられた。朝から
ずーと私の前を歩いているMさんのペースに遅れないように一生懸命に登る。脚力が落ちてきたかな? 
Mさんとの距離が離れがちになる。先に見える樹林の間が少し明るくなってくるとピークかなと思うことを何度
か繰り返す。何度目かに樹林の先が明るくなり、ハア ハア 息を切らしながらジャンクションピークに着いた。
これで登りはないはずである。Mさんがピークで記録写真を写している。小休止をしてから峠を目指して下る。
深い森の中をどんどん下り、やがて登山道が二手に分かれた。右手は徳本峠の小屋へ、左手は峠を経由し
ないで明神への道となっている。私たちは徳本峠に立ち寄り小屋の前で休んだ。先行していた登山者数名も
休憩していた。ここから、昨日登ってきた道を、大雨が降ると荒れるだろうなと思われる登山道を明神へ、さら
に立派な道を上高地の河童橋へと急いだ。途中で泥の靴や、汚れた合羽の裾を洗おうと小梨平のキャンプ場
に寄ったが水道栓が破損していて使えなかったので、小川で汚れを落として、夕方5時過ぎ西糸屋山荘別館
に入った。今日は出発してから10時間30分の雨の山行であったが、Mさんの提案のおかげで私の山登りの
宿題が一つ片付いた感じがした。


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