◆越後駒ケ岳(2003m) 杉本 忠
   〜前駒を過ぎるころには雪も30cm〜 

〔日程〕2008年11月28日(日)

           
               (雪化粧したピーク)
           
 10月12(日)に鳥甲山に登り、新潟の山を久しぶりに味わった。しかし、御神楽山のように新潟の山の
得体の知れぬ山の奥深さに、道に迷ったら当分出られないという怖れを抱いていた。しかし、その山容は
素晴らしく、特に奥只見湖周辺の山々には興味を持っていた。時期的にも、もう雪の着く限度と思っていた
ので、魚沼の湯之谷村へ問い合わせると、もう大分白くなっています。11月4日で大湯〜枝折峠間は国
道のゲートが閉まります。以降はシルバーラインを銀山平から入ってください。冬でも登る人はいます、
それなりの装備をして下さい、とのことだった。もう手遅れかと緊張感が高まったが、本年最後のチャンスと
思い、単独で11月3日3:30に東京を車で出発した。

  一路関越で小出ICへ。長ーい谷川トンネルを抜けると、もう苗場も巻機山も上はかなり白い。新雪だ。
小出ICを6:00に出てシルバーラインへ。荒いコンクリート壁のトンネルを直角に曲がって銀山平へ、奥只見
湖は朝モヤの中。銀山平の山荘地帯に迷い込み、宿泊者が散歩に出ていて、その人数の多さに驚く。
人気スポットだったのだ。枝折峠へ上がる。カーブの多い雪崩よけのある国道をあがっていくと、突然カメラ
の放列地帯に出っくわした。奥只見湖の上を覆う朝もやと日の出の太陽のタイミングを狙っていた。枝折峠
のPAは50台くらい止まれる立派なもので、トイレもあったが既に雪囲いが頑丈に施されていた。

 山はもう七合目から上は真っ白だった。奥只見湖すぐ西の荒沢岳は鳥甲山のように大きく翼を広げた尖塔
で、すごい迫力のある山だ。その右に兎山、そしてずんぐり頭の中岳。そうすると一番右の、一番白い苔む
したような山が駒ケ岳か、大丈夫かな、完全な冬山じゃないの。ピッケルは持ってきていないし、軽アイゼン
とストックだけしかない、と一瞬ひるんだが、PAには5〜6台の車が駐車しており静岡、名古屋、長野、品川、
富山と様々な人が既に出発していることを示していたので、行ける所までと思い歩き始めた。すでに7:00に
なっていた。地山を延々と行く裾野への取り付きと思われる。百草の池に9:50に着いた。いやに青みがかっ
た20m位の池だが、ここまでに回復するのに大変だった様だ。

 天気がよく晴れていて風も無く気温は1度、ホッとする場所だった。1600mで雪が現れてきて、斜度も本
格的になってきた。前駒を過ぎるころはもう雪も30cmくらいになり軽アイゼンをつけた。新雪なので柔らかい。
踏み跡も多く大勢の人が上がっていることを示していた。駒の小屋手前の稜線に登る斜面はクサリもあるが
ピッケルがほしかった、危ないのでストックを出す。駒の小屋へは11:15着いた。小屋も完全な雪の防護がな
されており、梯子で上部の階からしか入れなかった。立派な小屋で避難して助かる人も多いのではと思った。
吹雪いたら方向が分かりにくく、危なくてどうしようもない所だ。この上の頂上への分岐では、中岳方面への
ふみ跡は積雪上に全くなかった。雪も深そうだ。そこから5分で山頂(2003m)へ11:25に出た。山頂は10u
位の狭い所で、一等三角点と小さな猿田彦の銅像と、これも小さな鐘がぶら下げてあった。周囲の景色は
残念ながら黒雲が西から急速に出てきてガスがかかり、八海山や巻機山は見えなくなってしまった。

 風が冷たく早々に下山にとりかかる。駒の小屋に戻り、休息中の登山者と昼をつかる。新雪でも15〜6人
が登っていた。百草の池、小倉山までは13:30ですぐの感じで下りてきた。ここから大湯への分岐が出ている。
後は往路を戻るのみ、と高をくくっていたが、疲れと相俟って非常に長く感じた。地山のルートを次から次へと
クリヤして行きへろへろで枝折峠に15:45に辿り着いた。西に大きな山があるせいか、新潟の15時はもう夕方
の趣が漂っていた。下からみると白い苔むしたような山も、ルート上は新雪が踏み固められており楽だった。
もし踏み跡がなかったら辛かっただろうなと思った。
 帰りは大湯でゆったりと温泉につかって魚沼の本物のコシヒカリと山菜料理で疲れもふっとんでしまった。
帰り路は国道をゆっくりと湯沢ICまで走って関越に入り22:00に東京へ帰り、長い一日が終わった。日帰りは
もったいなかったかなと想いながら。


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