◆上越国境・柄沢山(1900m)

山行日: 2010年4月10日
報告: 赤澤

 天気予報の晴れマークを確認し、かねてからの懸案事項を消化する事にした。 上越国境の柄沢山。
 上越には中里にもう一つ柄沢山(934m)がある。
 中里スキー場から荒沢山を経て足拍子岳へと縦走するルートが開かれた事があるが、今では廃道となり余程の物好き以外試みる人はいない。
 もう一つこちらの柄沢山は谷川連峰・朝日岳から巻機山へと連なる国境稜線上に堂々と聳える名峰だが、こちらも同じようなもので、無雪期は猛烈な藪に覆われており、その突破は並大抵ではない。
 なんせ小説家の新田次郎も大量遭難を主題とした「先導者」という小説の舞台に取り上げている位だ。
 1999年10月、私は濃密な藪に孤独な戦いを挑み、山中2泊の末に何とか踏破出来たが、その山行は過去の我が山行中で最も困難を極め、苛酷なものとして印象深く、生涯ベストワンに値する程の山行となっている。
 詳しくは「山の本」41号に「国境稜線藪漕ぎ奮戦記」として掲載されているのでお読み頂けたらと思う。
 難路中の難路というわけだが、3月から5月にかけての残雪期には、藪が隠れ快適な山スキーの世界となるらしいと聞いており、かっての苦労を偲び雪のある時期に再訪する事を長い間狙っていたのだ。

  4月10日(土)4時半、自宅を出る。
 高速料金1000円の休日割引は有り難い。6月には終わってしまうらしいが、民社党はどうなっているのだ。その迷走ぶりは腹立が立つ。

  7:20清水集落・柄沢橋に到着すると、既に30台程の車が道ばたに止まっていた。
 巻機山春スキーの連中だ。 皆さんかなり出足は早い。
 天気は申し分なく、今日は陽光浴びていい春スキーが楽しめるに違いない。
 こちらは新調した高所靴にスノーシュー履いて7:50いざ出発。
 まずは柄沢川の左岸に沿って杉林の中へと踏み出す。
 初めて通るルートだが、沢筋を外さなければいいので迷う事はなく、それよりも薄い雪を踏み抜き沢に落ちるのが心配だ。
 なんせ11年前の5月初めこの先清水峠への途中、越後側のナルミズ沢にスポッと落ち真っ暗な雪のトンネルに閉じ込められ遭難しかかった前科があるから、もう慎重にならざるをえない。
 傾斜は緩くスノーシューハイクにはうってつけのルートだが、両岸には底雪崩の跡があちこちにあり、デブリが押し寄せている。
 目の前でド、ドッと耐えきれなくなった残雪が落ちる。
 小規模とはいえあまり気持ちの良いものではない。
 雪解けはドンドン進んでいて、所々もう流れが顔を出している箇所もあり、踏み抜きには一層注意する。
 2時間程で大きな堰堤に出た。ここは右岸から乗り越す。
 堰堤を越えると沢筋は狭まり沢は完全に雪に埋まっていて、ここで先行者のトレースも見つかり、ホッとした。
 スノーシューとツボ足の跡があり2人組らしい。まだ新しいので今日の足跡だ。
 ネットで検索した記録によるとこの先で右手の西尾根に取り付くようになっているが、どこもかなり急で雪も落ちそうに見えるので、先行者の跡を追いそのまま沢を詰める事にした。
 杉林はとっくに終わり、ブナなどの闊葉樹林帯の両岸から削げ落ちた大きな雪のブロックをよけてだらだらと登る。
 息は切れないが、なかなか高度が稼げない。
 堰堤から2時間程行くと二股となり、そこで足跡は正面の尾根に取り付いているので、それに従う事にする。
 見た目よりもキツイ傾斜で、こうなるとスノーシューはズルズルと滑り誠に歩き難い。
 プラスチックが割れてしまうのではと心配する程に強く先端を蹴り込み足元を一歩、一歩固めて登るしかない。
 息が切れとてもしんどい。こんな事アラコキがやる事じゃあねえよなあとブツブツ言いながら、もう意地だけである。
 天気に背中を押されてあえぎあえぎ高度を稼ぐ。
 火照った体に冷たい風が心地よい。
 柄沢山も見えだし尾根も見えているのだが、それがなかなかに遠い。
 振り返ると越後のマッターホルンと呼ばれる大源太山の峨々たる岩峰の向こうに谷川連峰が白く連なっている。
 雪の付かない黒い岩壁は幽ノ沢だろう。湿った雪がスノーシューに纏わり付き足が重く、手応え、足応えたっぷりで、こんな苦しい山登りは久しぶりだ。
 しゃがみ込んで休んでいると沢筋をスキーヤーが滑っていった。
 テレマークスキーでなかなかの腕前だ。
 3人いる。2人だと思ったが3人組だったようだ。
 1人はボーダーで彼がスノーシューを履いていたらしい。
 あっという間に視界から消えていった。スキーはさすがに早い。
 歩き難いので彼等を見ながらスノーシューを外し、アイゼンと交換してみた。
 恐れていたほどズボッと潜る事もなく、随分歩きやすくなった。
 足が軽くなったのが何よりで、こんな事ならもっと早くアイゼンにしておくべきだった。バカめ!!

 登り始めて7時間で漸く稜線に到達、眼前にパッと奥利根から会津にかけての大展望が開け、思わず快哉を叫んだのだった。
 苦労の甲斐があったというもので、しばし達成感に浸り旧知の山々に見入った。
 燧ヶ岳、至仏山、平ヶ岳、丹後山、中ノ岳、米子の頭から巻機山へかけての大斜面は真っ白で広大なゲレンデとなっている。
 どこを滑ってもいい。
 但し又登り返すのは大変だろう。
 それにしてもここまでの登り7時間はかかりすぎだ。
 並の人でも5時間位で登るらしいので、衰え感じ情けなくなる。
 柄沢山の頂上まではさらに30分はかかる。
 体力も限界に達しており、下りの事も考えて潔くここで引き返す事にした。
 ドンドン駆け下りたい所だったが、ぐずぐずの雪はズボッと潜り、仕方なく又履き替えたスノーシューは急斜面では使い勝手が悪く慎重に下るしかなくたっぷり3時間かかってしまった。
 スキーだったら30分位なもんだろう。
 今日の行程合計10時間の雪山アルバイトはアラコキ世代に入った私にはかなり荷の重いものであったが、お天気にも後押しされ何とかやり遂げる事が出来た。
 まあ頑張った方だろう。満足。満足。

 


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