日程: 2015年5月1日(金)~2(土)
メンバー: 佐々木
報告: 佐々木

 

 旅行会社のパンフレットでよく見かけた尾瀬の文字。
 何となく景色が綺麗な湿地というイメージは持っていましたが、一度も行った事はありませんでした。 昨年、残雪期のこの時期は、雪に埋まった尾瀬ヶ原を横断できる事を知って、今回、至仏山、燧ヶ岳と併せて尾瀬に行くことにしました。

 沼田ICから戸倉まで車で進み、駐車場に車を止め、乗り合いタクシーに乗り込みます。30分程で鳩待峠に到着しました。 登山届けを投函し、重いテント装備を背負い、至仏山山頂に向かって登りだします。  鳩待峠から至仏山への登りは、ゆるやかな樹林帯の登りです。雪が固かったため、早めにアイゼンを装着します。 1時間くらい登ると徐々に視界が開け、燧ケ岳が見えてきます。さすが東北以北最高峰の山で、天気がよく立派に見えます。 また、武尊山も見えてきます。 更に1時間登ると、小至仏山手前までやってきます。ここは、谷川岳方面の景色が綺麗で、皆さん写真を撮っていました。 小至仏山をトラバースし、至仏山への最後の登りです。息を切らしながら、何とか山頂へ到着。山頂は多くの人で賑わっていました。 ここからの景色は、最高に良かったです。 北には平ヶ岳や越後三山、守門岳も見えました。東に目をやると、雪で埋まった尾瀬ヶ原越しに堂々とした燧ケ岳が聳えています。 その左側には会津駒ヶ岳がなだらか山容を見せます。 南には上州武尊山、その左に目をやると、日光白根山が特徴的な形をしている事がわかります。 ここら辺の山域には詳しくありませんが、どれも特徴的な形で有名な山だという事が実際の目で見て理解できました。
 山頂で食事をとり、下りはヒップソリでシリセード。ちょうど良い感じで雪が緩み、ぐんぐん標高を下げます。 途中、木道を通り、またヒップソリで下ります。1時間ほどで山の鼻に下りました。時間に余裕ができたため、山の鼻で少し日向ぼっこをします。 休憩した後、本日の幕営地、見晴に向けて出発です。今回の山行の目的の1つである、雪で埋まった尾瀬ヶ原の横断。 見晴と東電小屋の分岐となる牛首分岐の木道が水で埋まっており、少しルートを迂回するなど、ルートファインドが必要でした。 尾瀬ヶ原の横断は2時間くらいかかり、疲れました。
また、この日は天気が良く、雪の上を歩いているにもかかわらず、太陽の照り返しが暑く砂漠の上を歩いている気分でした。
 見晴に着いた時にはヘトヘトで、燧小屋でテントの受付をし、テント設営、食事をとり、早めに就寝しました。

 翌日は朝の冷え込みで起床した事もあり、早めに起床し、5時前に見晴をスタート。
燧ケ岳への取り付きでルートミスをし、15分程度ロスしましたが、何とか燧ケ岳への取り付きはできました。  しかし、ここからが長かったです。延々と続く急登で、3時間くらいひたすら急登を登ります。 アイゼンを付けるタイミングが遅かったため、足の疲労も結構なものでした。
でも、3時間登った甲斐があって、稜線に出ると、素晴らしい景色でした。
 尾瀬ヶ原越しの至仏山。昨日は反対から見ていて、ここまで歩いて来たなと思うと少し感慨深かったです。 尾瀬ヶ原の蛇行した川の様子も見て取れます。尾瀬ヶ原を挟み対峙する至仏山と燧ケ岳。 この2つの山が尾瀬の景色を一層迫力があるものとし、綺麗なものにしているんだなと思いました。  柴安嵓と俎嵓に到達し、柴安嵓の山頂で山スキーのベテランの方と少し話し、パンを1つ食べ、下山開始です。 今日のうちに鳩待峠まで戻らねばなりません。テントの回収、尾瀬ヶ原の横断が少し気が重いです。  しかし、下りはいつものようにスイスイです。特に雪の下りはあまり膝に負担がかからないため、飛ばせます。 しかし、このときにザックにくくり付けていた、緑色のノースフェイスのレインウェアを落としてしまいました。 中途半端にザックにつけていたためです。すれ違った方が拾ってくれ、桧枝岐小屋に届けてくれたそうで、桧枝岐小屋の方が自宅へ送ってくれ、後日無事に戻ってきました。 拾ってくれた方、小屋の方本当にありがとうございます(次回、尾瀬に来る際には、桧枝岐小屋へお世話になろうと思います)。
 そんな失敗がありましたが、テント装備を担ぎ、尾瀬ヶ原を戻ります。前日、当日と晴天が続いていたため、牛首分岐の木道水没点が横断できるか心配でした。 雪が薄くなっていましたが、何とか迂回し、山の鼻方面に横断する事ができました。  山の鼻までは割りとスムーズに戻れました。最後の鳩待峠への緩やかな登りがしんどかったです。 ヘトヘトになりながら何とか16時に鳩待峠へ戻りました。

 今回は2日間とも天気に恵まれよかったです。レインウェアを落とす失敗がありましたが、良い方に拾って頂きとても感謝しています。  次はニッコウキスゲが咲く夏に家族と尾瀬に来たいと思います。

 翌2日目は予定通り4時過ぎから歩き始めるが、ヘッドランプに頼る間もなく空がサーモンピンクに染まり始め晴天を確信する。 樹林帯に響く鳥の囀りに時折強風の音が混じる中、矢澤さんが拓くルートにアイゼンを踏み込んで胸突八丁を登る。 高度をあげるにつれ、朝日に輝く伊那谷の水田が、枝越しには乗鞍が、穂高が、槍がくっきりと姿を見せ始める。 稜線まであと僅かという所で、斜度のあるトラバースがあり少し緊張するが、登りきると木曽谷の向こうから御嶽が堂々たる姿で迎えてくれる。 よく見ると雪化粧の山頂の一角は灰色混じりで、今も噴火が続くことをうかがわせる。 昨年9月の御嶽山噴火の迫力は、この山からもよく観察できたであろうとふと思う。 軽い高山病の症状もあってか、起き抜け2時間少々の急登がかなりキツイ。 心配された稜線の風はさほどではないが、意外に気温が低い。 アイゼンを外し防寒具を整えて、残雪少ない山頂までの長い稜線を歩き始めた。 途中コース名の由来となった102年前の遭難の碑に手を合わせる。 尋常高等小学校の修学旅行登山で夏の嵐により遭遇した11名の凍死事故と聞き、数年前のトムラウシでの痛ましい大量遭難が思い出される。 雨あがりの「中央」アルプスの稜線からは、日本中の山という山が見渡せると錯覚できる程の360度の眺望だった。 否が応でもテンションが上がる。いつしか頭痛も忘れて、写真を撮りあいながら歩き続けるものの、頂上はまだ見えず、歩くスピードは落ちる一方。 ガンバと声をかけてもらって到着した山頂は、千畳敷からの若い登山者で賑わっていた。 宝剣から南駒、空木に連なる稜線に見とれながら、そういえば昨日の朝から他のパーティーに会わず、こんにちはを言う相手もいなかったことに気づく。 記念写真をとってもらったら、風が冷たい山頂を早々に後にする。何しろ今日の行程、ここでまだ半分にも達していない。 再び長い稜線歩きとなるが、重い冬靴で夏道、特に岩稜帯の上り下りを繰り返すうちに脚に疲労がたまってきたようだ。 仕事が違うと靴がブツブツ言っているような気もしながら、2時間少々黙々と歩むうちに稜線歩きが終り、再びアイゼンを履いて小屋までの下りとなる。 樹林帯の中を、コースを探り、障害の少ない場所を見つけては木につかまって半ば滑りながら下る。雪山はこの自由とスピード感がたまらない。 「倒木は雪解けともに跳ね上がるので要注意」との矢澤さんのアドバイスを実証しながら下るうちに、案外短時間で小屋に到着。 ここまでで10時間の行動にかなりへたれてはきているが、再び重荷を背負って2時間下る。 清々しい新緑やスミレ、チゴユリ等の可憐な花々が咲きみだれる様が目を楽しませてくれるなか、単調な下りの終わりを切望していると、水力発電設備が見え、登山口に17時に到着。 豊橋までのロングドライブが残っている矢澤さんを見送って、関東の5人も國井さんの運転で渋滞に巻き込まれつつ東京に戻った。 今回の山行では、気象・コース状態、メンバーの全てに恵まれ、春山の恵みの最良のエッセンスを楽しむことができたように思う。 直前飛び入り参加を受け入れて下さったメンバーの皆さん、大変お世話になりありがとうございました。 体力不足を痛感した2日間になったものの、なんとか無事にロングコースを歩き通せ、再び山に向かう気持ちを取り戻せたような気がする。 13時間の行動が翌日に疲れも筋肉痛も残さなかったのは、山行中の十分な栄養摂取の御陰ではないかと思う。本当にごちそうさまでした!  早くも来年秋の福島Bコース企画が浮上していると聞く。今度は金田さんとも木曽駒の頂上に立ってみたい。
 
至仏山山頂より、尾瀬ヶ原、燧ケ岳を望む
 
  燧ケ岳山頂より、尾瀬ヶ原、至仏山を背景に記念撮影
【コースタイム】
5月1日 7:30鳩待峠、10:00至仏山(30分休憩)、11:30山の鼻(30分休憩)、14:20見晴(見晴キャンプ場にて幕営)
5月2日 4:50見晴、8:50柴安嵓(燧ケ岳山頂)、9:10俎嵓、10:30見晴(テント撤収など1時間半休憩)、14:20山の鼻、15:50鳩待峠

 


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