◆伊勢の名峰「堀坂山」 −55年ぶりに再訪− 別所宗郎

     
            (松阪大橋から見たタモヤの堀坂山)

 「♪うさぎ追いしかの山 小鮒つりしかの川・・・」進学のため、田舎から遠く離れた東京に出てきた当時、
下宿の部屋でこの歌を口ずさんでは涙ぐんでいた。だれにとっても「ふるさと」とは、昔も今も、多かれ少な
かれそんな存在だと思う。
 ふるさとには、人それぞれに決して忘れられない風景がある。それは川や森であったり、町並みの連なり
であったりするが、中でも特徴的なのは「山のある風景」ではないだろうか。国土の70%を山地が占めてい
る日本では、全国のどこの土地からも山が見え、その山が名のある山であろうが無かろうが、ふるさとの風
景の一つとして残っているはずだ。
 山のある風景は、いつそこを訪れても変わらずにそこにある。森が崩されて住宅地になってしまったり、見
慣れていた町並みがビルに建て替わっても、山のある風景だけは永遠に残り続ける。それがふるさとの風
景の最も重要な条件である。

 「堀坂山」(ほっさかさん・757m)は、南北に長い三重県の中央部、松阪市にある。私はこの町で生まれ
育った。実家は市街を割って流れる中級河川の川っぷちにあり、目の前には、かつてお伊勢参りで賑わっ
た参宮街道が渡河する「松阪大橋」が架かっている。その橋に立つと、上流の真正面にこの山が、ほぼ円
錐形のどっしりとした山容で見える。これが私にとってはかけがえのないふるさとの風景であり、今でも帰
省する度に対面して、無事に暮らしている幸せを感謝する。
 郷土史によるとこの山は、古くから “伊勢三山”の一つに数えられていた。他の2つは県北の四日市市に
近い「御在所岳」(ございしょだけ)と、南寄りの伊勢市にある「朝熊ガ岳」(あさまがたけ)である。三山に共
通するのは、かつては信仰を集めた山であったことで、堀坂山と朝熊ガ岳では現在も神事が行われている。
 各地に良くある“ご当地富士”にちなんで、県内では堀坂山を「伊勢富士」と呼んでいると最近知った。
それほどまでに均整のとれた姿ではないが、市街地のどこからでもはっきり見えるため、市内の小・中・高
等学校の大半の校歌に歌い込まれている。私が通った高校の校歌にも「♪堀坂山の嶺かけて・・・」とある。

 そんな環境の中で18年間、朝な夕なにこの風景を眺めて暮した。だが、眺めてはいても気軽に登りに行
こうという山ではなかった。直線距離で約9km離れており、当時は市の外郭にあって、交通事情も悪かった
ので、何かのきっかけがなければ登らなかった。時代が進み、道路が整備された今では車で30分かからず
に登山口に到達する。

 母の3回忌の法事で帰省したのを機会に、今年の5月17日に登った。かすかな記憶では、堀坂山には父
のリュックに入って登ったのが最初で、2つ上の兄も一緒だったはずだ。その後、太平洋戦争中の国民学校
時代には“行軍”で、戦後は小・中学校の遠足で折に触れ登っていた。最後に行ったのがいつであったか定
かな記憶がなかったが、高校の同級生に聞くと、2年生の体育の授業で登ったという。さすれば今回は55年
ぶりの再訪になる。

 標高468mの峠まで車を走らせれば、残り300m。麓から歩いた昔に比べれば楽なものだと思って登山口
に行くと、手作りの竹の杖が十数本置いてあった。何気なく手にして勢い込んで登って行った。かつて何度も
歩いたはずだが、記憶は全くない。スギ、ヒノキ、カエデに囲まれた尾根筋は思いのほか急登の連続で、それ
で竹杖の意味が分かった。新緑が青空に映え、右下の谷間でウグイスが鳴き、頭上近くではコゲラだろうか、
木をつつく音が聞こえる。
 1時間弱で誰もいない山頂に出た。小広い草の原に石を積んだ祠と石柱があるのを見た途端、この祠の前
で若々しい父と幼い兄が写っている写真があったのを思い出した。実家のアルバムにあるセピア色の一枚に
は、まぎれもないこの石積みが写っている。当時から六十数年を経た今日まで、この風景がまったく変わって
いないとは。人間の変わりように比べ、自然はなんと悠久なのだろうか。ふるさとの山「堀坂山」よ、これから
もずっとこのままで在り続けて欲しい。


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