◆乳頭山、犬倉山(八幡平)  

古林 宏   

 山は東北が好い。十和田八幡平国立公園には十和田湖や八甲田連峰が、八幡平地域には岩手山をはじめ、焼山や秋田駒があり、乳頭山からは広い湿原を経て八幡平へとつながっている。尾根が登山道となっていて、その間に山小屋が整備されているので、のんびりとした縦走に向いている。低い割には高山の雰囲気があって沼や湿生の高山植物が豊富にあり、町に下りても昔ながらの懐かしい雰囲気、風情が残っているのがありがたい。以下は私の青春時代の1ページである。
 上野から急行「ひめかみ」を乗り継いで電車で12時間、秋田は横手、大曲駅に到着。卒業後郷里の女子高の先生をしている先輩、そこで待っているはずのトッつぁんがいない。全く仕様がないなー、と一緒に来た久田君に話しながら電話をしようと探していたところ、駅前のベンチで口をポカンとあけて見たことのある人相の悪い男が寝ていた。相変わらずのお出迎えである。目を覚ますとボケッとした顔で「1人だけか」と聞く。「いや久田も一緒」と答えると、やっとそれに気がついた。駅から10キロ以上も離れたトッつぁんの家に転げ込み、挨拶もそこそこに疲れ果てて眠り込んだ。3人は大学の男子寮で同室の仲、先輩と後輩である。
 翌朝、突然屋根の上のサイレンの凄まじい音で目が覚めた。朝6時に町中に鳴り渡るのだ。そして6時半には家の前からラジオ体操のけたたましい放送。父親が町の名士だとかは聞いていたが、そういうわけか。バスを乗り継いで大曲発生保内(おぼない)駅(現、田沢湖駅)下車、徒歩で元湯へ。昼過ぎから雨が降ってきたので、岩手山に登る予定を中断してテントを張る。翌日も雨。計画を変更して犬倉山へ。標高は1500mほどで、視界不良のなかでひたすら登りに専念。なだらかな稜線を出たところであちこちから蒸気が噴出。頂上からは岩手山が目の前に見える。まだ雨がしとしとと降っているので足早に下山に向かう。更に下って、途中の山小屋近くの雪渓と湿原でお花畑に遊ぶ。滝沢温泉に出て国民宿舎に泊まりラジウムと硫黄泉に入る。白濁した湯はミルクのようで疲れが一気に抜けていく。翌日は乳頭山に向かう。比較的楽な登りで山頂近くに雪渓があり、氷を食べて元気を回復。その峰を越すとそこはハイマツや高山植物の宝庫。すばらしい雲上の花園となった。そして乳頭の頂上、近くに秋田駒と田沢湖が見える。山登りの何物にも代えがたい気分を満喫。下山してカニ湯温泉の近くで20円を支払って温泉に入る。熱い温泉で、隣に女性の声がするので仕切り越しに覗こうとしたが背が届かなかった。夜は口角泡を飛ばして日本の現状と行く末を語る。ほのぼのとした青春の思い出が甦ってくる。
 横手という町は元朝日新聞の記者で、その地で「たいまつ」という新聞を発行した「むのたけじ」が住んでいた。丁度そのころに発刊された「たいまつ16年」という同氏の著書は、昭和の歴史を振り返って、当時の社会を冷静に観察し論評していた。その頃の私の思想形成に大きな力となり、その後の自己の確立に影響力を及ぼした一冊である。そんないわば当時の座右の書としての著者の生誕の地でもあり、是非一度訪ねてみたいと思っていた。活動拠点でもある秋田の六郷町は横手の町に近く、今は大曲の花火で有名な場所となっている。
 来年の夏は岩手山に登ろうと思う。登頂を果たせなかった心残りを果たしたいということもあるが、それ以上にあの鄙びた山々をもう一度訪ねてみたいという想いが強い。2段ベッドの上下で共に語り明かした仲間を想いながら歩いてみたい。先輩のトッつぁんはその後若くして亡くなった。私は彼がよく弾いていたギターの「カミニート」の曲を自分の持ち曲として今は亡きトッつぁんを偲ぶことがある。久田君は大学教授となったが、退官したという。今度声をかけて誘ってみよう。


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