◆白峰三山  忘れられない山行記  


   
昭和33年当時の広河原小屋 北岳山頂にて

昭和33年7月30日
 友人と二人、本日早朝韮崎駅からバスに乗り横手に到着。右に駒ガ岳神社から甲斐駒黒戸尾根方面、私達は左に大武川上流の赤薙沢へと目指しました。今のところ登山客は私達だけである。緩やかな道を川に沿って雑談しながら楽しく歩く、また途中川原でのんびりと食事をして過ごしましたが、この先に潜む地獄のような体験が待ち受けているとは夢にも思っていませんでした。
 林道がきれ、左の山道に入ると直ぐに小さな沢を渡る。橋はなく木を二本程束ねた渡り木である。道標もない。アルプスとはこんなものかと5万分の1の地図を頼りに進む、途中ボッカの人達が重い荷物を担いでやって来た。
 ボッカの人達は私達に気を付けていきなよと無言の挨拶、心配そうなまなざしをして通り過ぎる。しばらく川(沢?)を挟んで左右に何度か渡った(徒渉?)、このころになると、赤い布の道しるべが頼り、道が分からなくなるとキョロキョロと探す。
 川が沢となり小滝を登りしばらくして尾無尾根の登り口に着く。ボッカの方々が心配して尾無尾根の登り口で我々を待っていてくれた。目の前の急峻な尾根が森林帯の奥まで続いている。一息入れて登り始めたが段々と厳しくなり四つん這いになりながら、ムカデのように歩く。キスリングが肩に食い込みヒイヒイ、足腰がガクガク、イヤハヤ大変なところに来てしまった。ちょこっと登ってはちょこっと休む、苦しみの連続で死ぬ思いであったことを記憶しているが、帰りたい気持ちはまったくない。ボッカの方々は先に歩いてすぐに見えなくなった。しばらくして後続の登山者、先輩諸氏3人が私達を抜いて行く、扇子片手に平然と!
 私達二人が広河原峠に到着したのは午後を大分回っていました。峠で見知らぬ先輩が心配して一人待っていた。ボッカの方が私達のことを心配して道案内を頼まれたそうです。先輩曰く、ここから先広河原小屋へは道に沿って下れ、途中道が分からなくなったら、とにかく川まで真っ直ぐ下れと細かい指示をくれ、先輩はすぐに出発した。私達も今までの疲れを癒した後、山道を頼りに広河原峠を下りましたが、途中幾つもの踏み跡で段々と分からなくなり、最後は教えられたとおり方向的には真っ直ぐに下る。傾斜も緩やかになり、あたり一面がコケに覆われ、大きな倒木を何度も跨ぎ、潜り抜け一路野呂川へと只々、黙々と歩く。日は落ち薄暗くなり不安になる、やっとのことで川原に到着、夕闇の目の前でごうごうと流れる水量には恐怖を感じました。しばらく下流に向かうとテントの明かりが見えた。ああ、これで助かった。テントを張る余力は無い、見も知らずの先輩にお願いして一緒に寝かしてもらう、夕飯も食べずにバタンキュウであります。

7月31日
 翌日早朝、先輩にお礼を言い川沿いをしばらく下ると、流れが緩やかな場所に出た。対岸に小屋が見える。川を渡って小さな広河原小屋に立ち寄ったが誰もいませんでした。広河原から白根御池への登山 道はハッキリしている。昨日の疲労が回復せず調子が出 ない、よし!今日は白根御池でキャンプと決める。午後 一番にテントを張り、友人と二人だけの世界を十分満喫 してしまいました。ただし、テントとは名ばかりのシー トのツエルトである。寝袋は進駐軍の払い下げを安く買 ったものだが当時としては自慢できるものでありました。

8月1日
 今日は、5時出発となる。白根御池小屋から左に取り付くお花畑の急斜面草スベリを登る。入山してから3日目、体も少し慣れ馬力が出てきました。花は所々にあったが あまり目に入らない。赤土ですべる、雨だったら大変だ ろう、やっと稜線にでた様子だがお天気はガスっている。 小太郎尾根かな?もう一息で山頂かな?勝手に想像しながら登っているが頂上は近いと感じとる。
 山頂はガスって何も見えず人物写真を撮り今日の目的地北岳小屋へと向かう、縦走路の鞍部に下るが、小屋へは鞍部から更に15分近く下る場所に建てられていました。水場は小屋から更に数分下ったとこ ろにあるといわれたので今日は小屋泊まりに決めた。素泊まり 一人150円?勿体ないが体力を温存するため仕方がない。北岳 小屋は平屋で通路を挟んで左右に板の間、通路の中央に囲炉裏 がある。30〜40名位は泊まれそうな小さな小屋であった。 泊り客は私達を含めて数人で静かなものである。夕方小屋の外 から見る富士山は高く堂々として今も目に焼きついています。 素晴らしかったです。
 夕食後小屋の主人が皆と談議を交わす。私は広河原峠と北岳 の下りで両足の親指がつぶれて浮いて痛い、小屋の主人(深澤さ んと言う若い方)が心配して中古の草鞋を2足くれた。明日は下 山、途中の旧大門沢小屋跡地は利用できないので、長丁場であ るが最低奈良田まで行くことに決め非常食を残し、米その他の 食料を小屋のご主人に置いて身を軽くする。小屋の主人は気持ちよく受け取ってくれました。

8月2日
 今日も早朝5時小屋を出発、稜線まで20分程かかったが、お天気は快晴、北岳を背にして間ノ岳へと向かう。今日は足の親指の痛さ以外は体調すこぶる良い、間ノ岳から見た北岳、前後して塩見等々はまた最高です。景観を満喫し西農鳥、農鳥と向かう、ガレ場の多い下りは特に注意するよう山岳雑誌に書いてあった。農鳥の下りでガスが出た時は左、左と道を取ることと。(大学の山岳部遭難事例で)この知識は踏跡が不明瞭の時参考になりました。
 大門沢下降点からは大門沢ガレ場をただひたすらに下る。下るというか、ずり落ちる。途中大門沢小屋跡地を見ながら奈良田へ、あと3時間だ、長い下山です。何箇所か道が崩壊しているところがあり慎 重に通過、奈良田の吊橋を渡るころには、薄暗くなってきた、長い吊橋なので一人一人渡ることにしたが、橋の中央で大きく揺れ難儀しました。日は段々と暮れて暗くなってきましたが西山温泉まで後1時間弱、夜道を歩いていると後から、開発工事用ジープが来たので西山温泉までお願いしてしまった。西山温泉到着は夜7時頃だったかな? ああこれでまた、助かった。
 その後、スーパー林道(台風や大雨で通行不能となる確率大=芦安村問合せ)ができ、このコースには、北岳肩小屋(早朝北岳山頂でブロッケン現象が高確率で見られます)や大門沢小屋(長丁場のコース解消と、登山道が大門沢ガレ場から森林帯へと)が建設され登り易くなったので、友人や会社の若い人達と何回も出かけています。(赤薙沢は翌昭和34年台風7号の影響で通行不能となりましたが、その後どうなったか確認しておりません)
 白峰三山へのルートは、登山道、山小屋といい格段の違いで変わりましたがが、一番変わったのは私の10代の写真と今の私の姿です。できれば、もう一度10代に戻りたいです。
 さいごに。
 体力不足、山の知識も、装備も乏しい、無謀な高校生で人様にお話できる山行ではないが、私の山登りに対する戒めの、忘れられない大変貴重な体験だったことは言うまでもありません。この登山で諸先輩に大変お世話になり感謝するとともに、後年、私も若い人達に気配りのある諸先輩のようになりたいと思いました。最近この歳では逆に気を使われてしまうようです。


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