トルコの風に乗って

坂井 康悦

 早朝5時、イスラム教の祈りのアザーンがスピーカーを通し、街中に響きわたり、イスタンブールの朝が明けはじめる。外はまだ暗い。今回の旅は、この春の「シルクロード雑学大学」<ヒッタイト探訪隊>の終着点 スングルルから始まるが、まずは、イスタンブールへ東京の自宅からほぼ一日かけてやってきた。朝8時半に出発したバスは、イズミットのマルマラ海に面した工業地帯を右に見て、山間部の高速道を走り、首都アンカラをすぎ、イスタンブールの東約800kmにある、スングルルに夕方の6時半に着いた。ほぼ一日のバスの旅であった。
 紀元前2000年頃にトルコの最初の統一国家ヒッタイト王国は、スングルルの近くのボアズカレに首都を置き栄えた。丘の上にあるハットゥシャシュ遺跡やヤズルカヤの神殿をはじめ巨石に刻まれたスフィンクス門、ライオン門、地下門などが広いエリアに点在していた。スングルルから日帰りのピクニックでボアズカレへやってきて、見学後トラックから自転車を降ろして、スングルルまで自転車で試走した。少々アップダウンのある道30km、はじめて目にする麦畑やトウモロコシ畑、茶色の屋根瓦の家並みはどれも新鮮に見えた。時おり小雨に見舞われたが、真直ぐ伸びたポプラ並木の道を爽走と気持良く走行できた。道路を横断する羊の群れに行く手をさえぎられ、しばし止められたが親しみが感じられた。
 翌日はスングルルからキリッカレへ、気持良い青空の下、高速道路のように整備された道があるかと思えば、工事中の狭い処を伴走のバスとトラックにはさまれて、慎重に一行の15名は一列になって走行したりした。地平線の遠くまで丘陵の広がる風景、道路脇には、スイカ、メロン、りんご、ぶどう、大きな白いカボチャ等々を並べて売る人の姿を見かけた。子たちは大きな声で「メルハバ(こんにちは)」と叫んで、人なつこく手を振ってくれる。約90km走行し、4時半「教師の家」という半官半民の簡素であるが、こぎれいな施設がその夜の宿だった。毎回、ホテルから町はずれまでバスに乗り、まだ朝のひんやりとする8時頃から自転車の走行が始まる。
 キリッカレからアンカラへは、はじめユーカリの街路樹の道を走行した。丘陵の長いアップダウンを繰り返すうち、センターラインのない道、片側2車線の道、分離帯のある道、路面が凹凸の道と道路事情が変化していく。ランチはメンバーが町で買ったジュースとパンに生野菜にチーズを挟んで道路脇の木陰で食べた。空腹で何を食べても美味しかった。自動車のパンクしたタイヤ片が散乱した処が多く、再生タイヤ片の細かい針金でメンバーの自転車がいつになく多くパンクした。昼食後は小雨の中、標高1.460mから一気に950mの簡易舗装の下り坂を時速35km〜55kmで下った。雨が強くなってきたので、今日の走行を72kmで終了し、バスに乗ってほっとした。
 翌日は晴れて良い休養日となった。午前中自転車のメンテナンスをし、午後アンカラ城にあるアナトリア文明博物館を見学した。ボアズカレで見たばかりのヒッタイト時代の遺物を中心に石器時代からはじまる展示物の歴史の古さに驚いた。超近代的な「AMADA」ショッピングセンターを見学したが、もうここは西欧と変らない高級品店ばかりで、この国の地方と都市の格差、貧富の差を痛感させられた。
 アンカラからベイパザリへは、ポプラ並木の向うに、草も木もない茶色の山肌の丘陵が朝日に映える青空の下、標高950mからの緩やかな上り坂だった。麦畑の中に石灰岩が白い山肌をむき出しにしている。 ここからは豪快な下り。緑が濃くなり、自転車の旅冥利につきる。短い上り坂の後は、さかんに拡幅工事が行われていて砂埃に泣かされた。風が強い処ではトマトは地にはわせて栽培をしていたのが面白かった。道路が新しくなり昔の面影もなくなりシルクロードはどこへいったのだろうと、思うような処もあった。この日は約60kmの走行。
 ベイパザリからボルへの道は日本で見るような松林の上り坂をジグザグに峠をめざした。850mの標高から峠を5つ越え、肌をこがすような陽差しの下、標高1.650mから1.150mの長いダウンヒルの走行は、実に気持ちよかった。午後の走行も峠を越えては谷へ下り再び峠へと繰り返した。けれども3時半、松林で交通事故に遭遇した。車同士でけが人も出ていた。そんな光景を見てしまうと走行の気持がなえてしまい、途中からバスにゆられてボルの街に到着することになった。マーケットでケーキを買い、持参したインスタント赤飯で、メンバーの一人の誕生祝をして、にぎやかで楽しい夕食となった。
 その翌日、ボルからアクチャコジャへは、すぐに長い上り坂となり、峠では霧が出てライトを点灯し、霧の中を進んだ。標高1.000mぐらいであったが峠を過ぎても霧は濃く、豪快なダウンヒルだが、見晴しは良くないし、路面は洗濯板のように波打ち、縦に溝が走っていたりして、慎重を強いられた。再度、緩やかな上り坂を経て豪快な下り坂を黒海を見ながら下り、2時にはその夜のホテルに到着した。ここは黒海沿岸の街で夕食は海岸の魚料理のレストランで久振りに日本を思い出させる美味しい夕食だった。ちなみに、朝食はどこのホテルでも申し合わせたように同じで、パンに生野菜のトマト、キュウリ、ゆで卵、チーズ、二種類ぐらいのジャムにチャイ(トルコの紅茶)といったものだった。
 ラマダン明けの今日は快晴でトルコ人たちは「イーバイラルラム」と言葉を交わし、ラマダン明けの祭りをお互いによろこび合っていた。カンデイラへ8時から自転車で走り出したら雨が降り出し、バスでしばらく移動し、10時から再度自転車で走行した。ガソリンスタンドでランチをとる以外は小雨の中で約100km走行した。
 翌朝もイスタンブールへ向け小雨の中を出発した。黒海から離れ、丘陵地帯に入り、松林の中でアップダウンを繰り返した。10時半道路脇でチャイを飲みながら休憩し、雨のあがるのを待ったが、次第に雨足が強くなり自転車の走行をあきらめバスに乗る。乾季のこの時季にはめずらしくイスタンブールは今日も雨だった。地球全体、異気象なのかと考えさせられた。
 私たちの宿泊したホテルは6階建てだがエレベータがなく、6階の食堂まで螺旋階段を上った。まだ外は暗く東の方にアヤソフィア寺院が闇に浮かんで見え幻想的景色であった。 イスタンブールは大都会でシリビリへ向う郊外へ出るのに時間がかかった。途中、日本で報道されていたトルコの洪水のあとと思われる光景を目にした。バラの花の苗木を売る植木屋も見かけるようになり何となくブルガリアに近くなったと思った。大都市は別として、イスタンブールより東ではあまり見られなかった女性の働く姿を見かけるようになった。
 シリビリは古くからの港町でリゾート地なのかしゃれた街だった。今まで見かけなかったが、籾殻のついたままの米を公道のわき道に広げて天日干ししているのを見た。相変らず、道路の拡幅工事があり、アスファルトの上に砂利をまいた道を走行した。アップダウンを繰り返す丘陵地帯を85km西進し、ルイエバルガスに着いた。
 今回の旅の最後の街、エディルネは、木造建物が建ち並び、むかし隊商が利用したキャラバンサライを模した商業施設があったり、イスタンブールのアヤソフィア寺院より大きい寺院があったりして魅力ある古都である。イスラム教徒にとって金曜は休日にあたり、大勢の買物客で町中がにぎわい、2000年前のバザールのにぎわいもかくやと思われた。昔も今と同様に夕闇せまる5時頃には、寺院のサミレットからイスラム教の祈りのアザーンが流れていたことだろう。
 翌日はエディルネからブルガリアの国境カピクレまで18kmを走行し、次のシルクロードの旅を楽しみに自転車を分解し、自転車の旅を終えた。今回の旅の出発点であるスングルルからエディルネのブルガリア国境まで直線距離にして約1,000km、そのうち、実際に自転車で走ったのは、12日間で730kmであった。走行中は小雨の時もあったが、好天にも恵まれ、快適な自転車の旅を楽しめた。

 


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