会主催海外山行『カムチャッカ半島アバチャ山登頂と花のトレッキング』
天候に恵まれたカムチャッカ半島アバチャ山(2741m)

萩原眞理生

日程:8月1日〜5日

パーティー:赤澤東洋(リーダー)秋田勲男、猪瀬精孝、上岡一雄、岡田捷彦、斎藤光子、坂井康悦、西田智代、
      古林宏、堀内晃代、萩原眞理生、橋本良聡(ゲスト)、牧久真子(ゲスト)


 周囲の者からは「その年でまだ山登りしているの?」と言われ、自分でも「少々ハンデのある身体になったのに!!」と思いつつも、海外トレッキングはこれで最後になるかと、あるいは又途中で下山しても良いと思い参加することにしました。

 8月1日、3時間遅れで成田を出発、ペトロパブロフスク・カムチャッキーへ3時間のフライト。到着後現地日本語ガイド「エゴ」さんの出迎えを受け、宿泊地パラトゥンカ温泉郷へ。
 途中の広い草原では近くに遠くに黄色の花やピンクのヤナギランの群生がとても見事な眺めでした。日本の北海道でも雄大な眺めをわえますが、ここはもっと広大な感じがしました。夜が10時過ぎまで明るい中での遅い食事は賑やかに進みました。

 2日目、アバチャ山ベースキャンプへと出発。四輪駆動を改造した(日本の工事現場でよく見かける大きなトラクターの様な)バスで広い広い河床如き道をひたすらガタゴトと揺られてキャンプ地に到着。赤澤リーダーが3年前訪れた時は、河床に残雪がありスリルがあったとのこと。今回は全く無し。
 キャンプハウスは標高800mに位置する、四角いプレハブの建物に女性、男性と別れて荷物を解く。周りでチョロチョロ動く小さな動物が居た。よく見ると地リス、とても可愛い!! 食物を与えられて居るのか人間に慣れている様子です。花はヤナギラン、アズマギク?が咲いていた。ハウスの中は思ったより広く二段ベッドの下段のみを使用、電気も点くし暖かそう。
 一休みした後ラクダのコブの様な山(1190m)に足慣らし。外気も日本と違い湿度が少なく気持ちよい、周りに畑等見当たらなかったのに、野菜中心のスープ、チーズ、加工肉、パンが主な食事でした。

 3日目、いよいよ本命のアバチャ山に向かう。集合時に三名の山ガイド、アレシア(女)、 アルチョム、ワーリャさんが紹介された。
 8時出発。標高差2000mを登ることになる。私は後方からカタツムリの様にのっそり、ゆっくり歩き始めた。なにしろ十時間以上歩くことになるのですから、スローペースが一番(スロー、スローはいつもの私ではあるのですが)。花の時期は終わりかけていて、イワギキョウ、トウヤクリンドウがたまに目に入る程度、活火山独特のザラザラした砂礫の道を上を目指しひたすら歩く。途中2000m地点で西田さんが体調崩され、ガイドのワレンチンに伴われて下山。私はまだ行けそうなので頂上を目指すことにした。眺めの良い2011m地点の大岩で昼食後アイゼン無しで雪渓をトラバースし、その後も一歩、一歩ゆっくりと砂礫の道を登る。後方にはアバチャ山より高いカリヤーク山(3456m)を仰ぎ、気持ちも少しは和らぐものの、でも息はフウ、フウ。頂上が間近になった所で、上岡さんが体調崩し、若い女性ガイドのアレシアと下山。私はまだ頑張れそう。登っていると熱風が岩の穴から吹き付けてきてビックリ!! 日本では登山許可は下りないだろうと思いながら登った。
 頂上直下、火山岩の砂礫の急登が待っていた。それこそ喘ぎ、喘ぎロープにすがりつきながら150m程をやっとの思いで頂きに立てた!!4時到着。辿り着けてヤレヤレと思われたのは仲間の皆さん、特にリーダー赤澤さんだったと思います。有難う御座いました。
 頂上では火口を覗いたり、硫黄等の岩石を拾ったり、記念写真を撮ったりした後下山。ザァー、ザァーと砂礫帯を下る。一歩足を前に出すと1b位下ってしまう。4時間の下りは大変ダァ−。それでも両側にはチシマクモマグサがいっぱい咲いていて、リシリヒナゲシも美しい黄色で、その可憐さで心が和む。チョッと気持ちに余裕が出てカメラに納めた。そして又、ザァ−、ザァーと砂礫を下り、小さな雪渓も渡る。昼食を摂った2000m地点から下り専用のコースを下ったが8時半にキャンプに到着、よく歩いた、歩いた。誰かの言葉ではないが自分を褒めたい!! 途中怪我もなく、先に下山した仲間も元気で待っていて下さり、ホッとした。遅い夕食に皆で乾杯!! その後も乾杯続きであったようだ。

 4日目、山のガイドとお別れ、又トラクターバスでパラトゥンカ温泉へガタゴト移動。ロッジに荷を置き温泉プールへ。ジャボーン!! 買い物を楽しみ、夕食に又々乾杯、乾杯、楽しい山行が終わりました。  5日目、朝食後バスで空港へ、帰りはスムースに出発、無事帰国しました。家に帰って考えました。何故登れたか? 歩けたのか? 解りました。ザックがいつもよりずっと、ずっと軽かったからではないか!! それと膝が痛くならなかったのは、砂礫の下りだったからだと思う。

 


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