スペイン・ピレネー山脈彷徨(1)―村も花も美しい―

中道 宏


念願のピレネーへ
 ピレネーは早くから一度訪ねたいと願っていたところであるが、帚木蓬生「白い夏の墓標」を読んで以来,その想いが強くなった。また有り難いことにアコンカグアでテントを隣り合わせたスペイン・バスコの青年Javierに招かれていた。このようなことから今回、@ピレネーの高い山に登り、また散策する、A小説の主人公が命を賭けて越えたピレネー山脈の場を訪ねてみることとした。
 @については資料がなく、今回もT-MAPS)に地図を探していただき、Posets-Maladet国立公園からAneto(標高3404m(以下、3404と略記する。)、ピレネーの最高峰) とPosets(3355、同2位)、Ordesa y Monte Perdido国立公園からMonte Perdido(3355)を選ぶ。煙と○○は高いところに上がりたがる性向は相変わらずである。
 Aについては、入手した3葉の地図からTreistaina湖から登るlArbella峠(2600.7)であると判断し、ここまで行く。
 Javierが彼の車で1週間同行することとなったので、相当移動時間が短縮できることになり、Port delArbella(2600.7)→Aneto(3404)→Posets(3375)→Monte Perdido(3355)の順に6月22日(月)から7月5日(日)の2週間かけて歩く。いずれも北に谷を上がり、山歩き後谷を南に下り、ピレネーの低部で峠を東から西に越え、次の谷に入ることを繰り返すことになる。なおホテルは登山口で飛び込みで探すこととする。

村が美しい
 アンドラ国 El Serrato村
 6月22日(月)バスクの町Zumaiaを出発。高速道路を西に向かう。降りて北進。しばらくしてピレネーの前衛の岩山(2000前後)が眼前を塞ぐ。2つのダム湖の脇を抜け,アンドラ国境で税関を車に乗ったまま通り抜け、スーパーで水、食糧を買い、案内所で最奥の村El Serrato村のホテルを紹介される。El Serrato村は美しく、三ツ星のホテルの部屋も食事も良い。
 Aneto、Posetsの登山口Benasque村、そして近くのCerler村峠を見下ろす尾根に立った後アンドラを出国し、往路をしばらく南下し、峠(1700くらい)を西へ越え、DAigustortes国立公園に入る。谷をまず北に、そして西に上る。
 la Bonaigue(2072)峠の近くからスキーリゾート地が連続している。いずれも建物のデザインが良く、かつ統一されていて美しい。いずれもシーズン外れで閑散としているが,中心地Vielha村まで下ると賑わっている。ここには寄らず、南下し、再び峠(1500くらい)を西に越え、谷を北に上り、19時半にBenasque村に着く。ここは Benasque国定公園と Posets- Maladeta国定公園の中心地であり、スペイン・ピレネーの最高峰Aneto(3404)と同2位Posets(3375)の登山口である。
 飛込みで1ツ星のホテルに入る。夕食もなかなか良く、明日は行動もないことからホテルのBarで泡盛に似たlicor de hierbaを村の人とおごり・おごられして飲んだ。早々に退散したつもりであったが、翌朝まで酒が残っていた。
 Anetoの天候回復待ちの間にCerler村を散策する。スキーリゾートであるが旧村部分はこじんまりとして美しい。郷里長崎を想い出させる石張りの坂道が時を経た石造りの家々を縫っている。
 Monte Perdidoの登山口Torla村
 Aneto等登山後再び南下し、牧草地が点在する峠を越え、Ainsaを経て、小さくて、驚くほど静かな村Torla村に着き、二ツ星のいいホテルに入る。AinsaもTorlaも武田修「すぺいん 風の光る村百選」に入っている。Javierは連日の登山と運転で相当に疲れているはずであるが、明日から1人になる私のためにいろいろ手配をしてくれて、バスクに戻った。このようなことは言葉と現地事情に通じ、車がなければできないことであり、文字どおり有り難いことである。
 山に入らない日はゆっくり起き、しっかり朝食を摂り、国立公園のビジターセンターや急傾斜地にび っしりと建ちこんだ石造りの家が花で美しく飾られているのを見歩き、そしてホテルでのんびり過ごす。定時には時刻の数だけ、また毎30分には1つ、教会の鐘が響く。1週間山を堪能した後でもここを去るのは本当に惜しかった。

 


花が美しい
 現在氷河はほとんど残っていないが、雪が解けるのを待ちかねたように一斉に花が咲き、家畜が放牧される。私は、写真は下りに撮る程度で、高山植物にも詳しくないが、ここの花には魅せられ登りより下りに時間がかかった。
彷徨でなく大名旅行
 具体的な予定表を作らず、スペイン・ピレネー山脈彷徨を企画した。結果は、Javierが前半を同行し、彼の車で走り、彼の飛び込むホテルに泊まり、同じくレストランで食べ、後半も実質的には彼が手配した。
 ピレネー山脈は谷が深く、奥では相互に通じておらず、平野部に向けて下り、1500m程度の峠を越えなければ、隣の谷に行くことができない。公共交通を利用するとなると、不便なバス便で平野部の都市まで下り、次の都市へ移動し、そこからまた不便なバス便を利用することとなる。車と運転技術は相当に重要である。ピレネーでは英語は通じないので、片言でもスペイン語が必須と教えられ、付け刃でA,B,C・・、1,2,3・・を覚えたが、これでは役に立つはずはない。当初覚悟していた失敗だらけの彷徨ではなく、彼におんぶにだっこの大名旅行であった。
日本人に会わなかった
 ピレネーでの2週間、北部地方旅行での2週間、日本人に会わなかった。南極でも、アフリカの小国でも誰かに会う時代に、特にトレドの人口の半分は日本人と揶揄されるくらい日本人客の多いスペインで、不思議なことである。まだ訪ねたことはないアルプスとは大違いではないか。氷河はほとんど無いが、日本人の好む風景は多いと思う。
 山から見るピレネーは広く、深く、大きい。今回はその、ほんの一部に触れたに過ぎない。山の魅力も山歩きだけでなく、クライミング、洞窟探検、沢、ラフティング、スキー等多彩である。
 天候も良く,El Lado de Sol(太陽の国)と謳われているように高地の陽射しは心地良い。また気取らないレストランの料理や酒は美味しく、安心して愉しめる価格でもある。
 日本人がピレネーに関心が無いことも不思議である。


詳しくは 『スペイン・ピレネー山脈彷徨記録』をご参照ください。

 


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