【2010年夏 ムスタグ・アタ峰 遠征報告】
ムスタグ・アタ峰(7546m)敗退

TeamANO 中道 宏

登山口Subash(3706m)からムスタグ・アタを望む。
すぐ側をカラコルム・ハイウエーが走っている。

1.チームの編成と勉強会

パミール高地の草原とカラクリ湖の上に堂々と聳えるムスタグ・アタ峰(現地語で氷山の父の意)に魅せられていた中道が個人山行で登ろうと1年前MLで呼びかけたところ、シルクロードに長い関わりを有するAさんと、公募登山やツアー登山に満足できないOさんが乗った。早速TeamANOを編成し、勉強会を始めた。この勉強会は月1回ペースで開かれ、さいごは飲み会になったが、必ず検討資料を用意し、議事録を残した。例えば7546mの無酸素登高は3者とも経験がなく、資料を探し、議論し、整理したことで課題や認識が共有されるようになり、チームが次第に固まった。

2.課題と対応

課題を挙げればきりがないが、次の5点について特に検討した。
(1)高齢
 Aさん,Oさんが67歳、私が71歳であるが、本人達は昨年より齢を1歳重ねた程度にしか感じていない。それに個人山行である。しかし今回窓口となったKashgar Mountaineering Adventures(以下,KMAと言う。)には早い段階から年齢を伝えていた。「登山許可を取得する際に年齢が問題になったか」と現地で質したところ、「これまでの経験から日本人は信頼できる」で通したとのことである。なお、現地で65歳のポーランド人に会った。
(2)高所
 全行程40日間と十分に時間を取って順化することとしたので、問題を生じなかったと思う。
(3)気象予報
 BCから頂上を往復するには5日間の好天が望まれる。このための天気予報が不可欠であるが、この情報は価格が高いうえに宇宙衛星電話が必要である(実際は携帯電話が通じた)ことから断念した。これは大失敗であり、最後まで響いた。
(4)氷河登高
 2000年以降の報告では問題ないようであったが、クレバスからの自己脱出と救出について訓練し、装備も用意した。実際には危険箇所もあったが、確保せずアイゼン・スノーシューで通過した。
(5)個人山行
 Kashgar~BC間の交通手段を用意し、BCを管理する者が必要である。Web等からKMAを選び、最初はメールで、さらにFAX、電話、郵便で接触を試みたが、昨年のウルムチの事件以来あらゆる通信手段が絶たれ、全く返事がない。困っていたところ西安在住のKMA代理の者から、さらにはKMAが事務所を臨時に西安に移し、連絡できるようになり、最初の基本的な質問から都合15回もメールを往復させた。
 またこの山に不案内であり、体力・技術力も低いことから、降雪後は他が動いてトレースが固まるまで待ち、かつ他隊の情報から5日間の好天が期待できるときに限り登頂に向かうこととした。

3.Oさんの怪我

チームとして8回訓練することとしたが、その初回にOさんが怪我をした。これが尾を引き、訓練の延期、出発の延期、Oさんの遠征離脱と残念な結果となった。しかしOさんはチームに留まり、勉強会にも参加し、貴重な装備を提供し、留守宅本部を引き受け、遠征の円滑な進行に大きく寄与した。

4.順調に進行

全行程40日のうち登山期間は34日間である。BC(標高4400m)に入った後,C1(5400m)、 C2(6200m),C3(6800m)を設営し,C1滞在,C1に滞在しC2にタッチ、C2に滞在しC3にタッチ等順次高度順化を図った。ここまでは天候にも恵まれ、好天で行動し、悪天で休養し、登頂に備えた。

 
行程・高度順化
赤い線が計画、黒い線が実行(計画通りの場合は黒線で表示)、
ほとんど計画通りである。
 
  8月9日から13日のコースをGoogle Earthに示す。
 
BC(4443m)の風景。   C1(5444m)を見下ろす。
 
C1上部のセラックス帯、迫力に圧倒される。
これを避け、左側から回り込む。
 
  C1からC2間のクレバス帯の通過
 
C1からC2間のクレバス帯の通過   C1からC2間のクレバス帯の通過
 
C1〜C2間の拡大、クレバスを避けている。   C2(6184m)のテン場

5.ホワイトアウトになり、7208mで敗退

登頂を控えた3日間の休養はBCが水害となるような荒天となり、結果として4日間休養した、5日目の晴間を観て、荒天の後には6日間程度の好天が続くと確信して登頂に向け出発したが、好天は私達がBCに戻りBCを去るまでの8日間は出現せず、豪雨で下山路のカラコルム・ハイウエーが途絶するような悪天となった。このことを知る由もなく好天が来ると信じきり13日にC3に入った。
 6800mに無酸素で泊まるのは初体験であるが、障害は出ていない。明け方近くにはテントを叩く風も止み、小窓から星空も観え、登頂を確信し、運の良さを歓んだ。隣の3人組、少し上の3人組が先行した。後を追う私の手の指が,C1からずっと出ていた症状であるが、度々体の中に入れ暖めないとストックすら握れないほど冷たくなる。期待した太陽は出ず、逆にホワイトアウトは一層濃くなる。
 それでも4時間で標高差400m登り、先行者に追いついたとき先行2組はこのホワイトアウトでは頂上を特定できないと下山を決め、すぐ視界から消えた。すでに7200m,頂上まであと350m。しかし60cmの深雪と手の冷たさを考え、一生悔いることを覚悟したうえで下山することとした。どのようにしてC3に戻ったか良く覚えていない。

6.個人山行の評価

初めての海外山行のアコンカグアで登山スタイルがいろいろあることを知り,その後国内公募(デナリ)、海外公募(チョー・オユー)に参加し、いろいろ学んだ。また高い技術を持たない私はそれほど難しくない、どっしりした山を時間をかけて登るのが好きである。アコンカグアもワスカランもピレネーも、そして今回のムスタグ・アタもそうである。
 なぜ今回失敗したか。ゆっくり反省すれば多々あると思うが、@きちんと天気予報を得る、Aこれに応じ機敏に行動する、Bこれを可能にする体力・技術力がある、ことが欠けていたことは間違いない。砂漠のうえに聳える山で水害に遇うとは考えもせず、あらためて山の難しさを認識させられた個人山行であった。
 しかし個人山行には自ずと限界はあるものの、乏しい知恵を出し合って計画を創り、これを現地で確かめながら山を愉しむことでは、他の登山スタイルや単独の個人山行よりはるかに勝れている。

 
Subash~BC間は彼(彼女?)にお世話になった。
 
  BCは花も咲き、雪も降る。 
   
そして水害もある。     


(注)本稿はシリウス・ジャーナル25号の記事を一部修正・加筆した。なお、詳しくは
 http://imayamahe.world.coocan.jp/muztaghata.html をご訪問ください

 


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