カムチャッカ半島 アバチャ山(2741m)

赤澤東洋


(後方奥がアバチャ山。左筆者、右現地ガイド)

私が大事に保存している書籍の中に、1965年9月号「ソビエトグラフ」がある。表紙の真っ赤に焼けて噴火しているクリュチェフスカヤ火山(4850m)の大きな写真が目につき買い求めたものだ。当時の購入価格は75円。カムチャッカ半島に富士山よりも高い活火山があるのを知ったのがこの時で、以来いつかは訪ねたいものと思っていた。しかし周知の如く当時のソ連は鉄のカーテンに仕切られ、とりわけカムチャッカは軍事上からも一切開放されず行きたくても行けない状態が長く続いていた。そしてあの1989年11月のベルリンの壁である。あれは実に衝撃的だった。そしてソ連解体。遂にカムチャッカも開放されたのである。
半島は長さ1200km、総面積47万平方キロ、日本より一回り大きいが人口はわずか50万人程度であるという。数年前に雪の穂高に消えた岡田昇もこの地に魅せられその「カムチャッカ探険記」は我が愛読書となっているし、詩情あふれる感性でアラスカの自然に接してきた写真家星野道夫もここカムチャッカでヒグマに襲われ若くして亡くなってしまった。彼らを惹きつけてやまなかったカムチャッカ半島、これはどうしても行かないわけにはいかないではないか。

いろいろ調べてみるとクリュチェフスカヤ山はハードルが高そうだが、その隣のトルバチク火山(3682m)ならいけそうで、登頂ツアーがある事も分り早速AT社に申込みしたのだが、直前になり参加者不足でキャンセルされてしまった。知名度がイマイチなのだろう。しょうがないので急遽アバチャ山に変更、AT社よりも安かったのでAP社のツアーにもぐりこむ。アバチャ山は空港に近く手頃な事もありフラワートレッキングを含めてこの所人気上昇中で、今では成田から直行便が出る位になっている。何社もの旅行会社が乗り合いでチャーター便を出しているのだ。以前はウラジオストック経由だったので、2日がかりだったのが、今ではわずか3時間半で州都ペトロパブロフスク・カムチャッキーに着く。タラップを下りると富士山のような秀麗な山が目に飛び込んできた。コリヤーク山(3456m)でその隣一段低く煙をあげているのがアバチャ山である。初日は空港近くのパラトゥンカ温泉に泊る。温泉ではあるが日本とは異なり水着を着て入らねばならず温水プールという感覚だ。

2日目、軍事用トラックを改造した6輪駆動車でBCのあるアバチャ高原に向う。道は無く雪解け水の流れる川床を無理やり走り最後は長い雪渓となる。2km位はあるだろう。キャタピラ車なら何の不安もない所だが、いくら大きなタイヤが6本ついているといってもタイヤではやはり難儀するようで時折空回りしたりスリップしたりするのでスリル満点だ。ベースキャンプとなるアバチャ高原には真新しいバンガローが10棟程建っていた。それまではただ寝るだけの箱(コンテナー)だったという。入口は一つだが2部屋に分かれており1部屋4人収容、まずまずの環境といえる。

3日目 いよいよ今日はアバチャ山へ登る日である。BCの標高が約800mなので標高差約1900mをピストンしなければならず決してバカにはできないだ。天気は良く寒さよりも暑さ対策に気を遣う。我々のツアーは客が18名(男10、女8)及びツアーリーダー1名の外現地の旅行会社の社員2名に加えて登山ガイド3名まで付くという豪勢なもので、総勢24名という大部隊だった。出発は7時半、少し遅いのではと思うがここは白夜に近く夜11時まで明るいので全然問題ないのである。雪渓を渡り尾根に取り付きダラダラと登る。花が沢山咲いている。日本と植生は似ているようで馴染みの花が多い。ウルップソウ、イワギキョウ、イワブクロ、エゾヒメクワガタ、チョウノスケソウ、ツガザクラ等等大きな群落はないが種類は多い。高山植物帯を過ぎると火山特有の砂礫帯となり相変わらずダラダラと登る。背後にはコリヤーク山が悠然と聳えている。今度はあれも登らねばと思う。4時間程で2000m地点に到着。ここでオバさんが一人脱落。女性ガイドのオルガさんが付いて下る事になった。ここから大きな雪渓を2度トラバースしたが、傾斜も緩く当然アイゼンも必要無しだ。2つ目の雪渓の先は少し傾斜も増し砂礫の中踏ん張りが効かずズルズル滑るようになり皆さん歩き難そうで苦労している。特に頂上直下の100m程は急傾斜で細いロープが垂れ下がっていたが、見るからに古びていて今にも切れそうなので何とかロープの頼りにはならず登りつめる。

山頂着15:00 7時間半かかった計算だ。生暖かい水蒸気が流れ硫黄の臭いが鼻につく。
今盛んに活動している活火山である事を改めて認識するのだった。最近では1991年1月に大噴火しているそうで、大体15年に一度の割合で噴火していると言うから何とも不気味である。火口は幾つもあり、あちこちから噴煙があがり足元も水蒸気で熱気があり熱い。日本だったら絶対に登山禁止であるに違いない。阿蘇山や浅間山のように火口が大きく口を開いているのとは違いあちこちに噴火口があり複雑な形状をしている頂上なのでぐるっと1周は出来ずガイドの案内で半周し記念に硫黄の塊を拾って帰る。

下山は砂走りを駆け下り全員無事に3時間程でBCに帰着。登頂を祝しイクラを肴にしてロシアのビールで乾杯したのだった。その夜は暗くなる11時過ぎまで現地のガイド達若者とカムチャッカの将来について飲み且つ語り合う。皆一生懸命である。私も今回は少しばかり消化不良、カムチャッカのとば口を覗いてきただけなので核心部のクリュチェフスカヤ山やトルバチク山を狙って再訪問する事を若者達に誓ったのだった。

 


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