西ヒマラヤ・チャンドラタール〜初めての海外トレッキング〜

河内 達人

生まれて初めて海外トレッキングに行ってきた。場所はインド西北部、首都デリーのほぼ真北400キロ、マナリーとその近辺、ネパールの西北西に当たる。 そのマナリーから更に北に位置するバシシュト村に日本人が経営する風来坊と言う山小屋があり、それが拠点。 メンバーはリーダーの小室氏以下11名、内女性は2名。

日本を発ったのは6月18日、デリーで1泊して、翌日4台の車に分乗して一路マナリ―・パシシュト村へ。 インドは初めて、どうやらインドは信号機が極端に少ないらしい。大通りの交差点以外は殆ど見かけない。だからノンストップ、と思っている車同士があちらでも此方でも鉢合わせ、クラクションの響きが絶え間なく、マナリーまでの400kmの道のり、退屈する暇も車酔いする暇も全くなし。勿論安心する暇もない。 無いと言えば、トイレもない。道端での放水、マナリーに着く頃には抵抗感も無くなる。 バシシュト村はインダスの支流ベアス川左岸にある、対岸にはオールドマナリー、屋上から北北西にムカルベ(6070m)、西北西にハヌマンチバ第5峰が見える。標高2100mで高度順応のために程よい高さ、ここで2泊し体調を整える。乗り物疲れの私には実にありがい2日間であった。

6/21、愈々トレッキング開始。ガイドは、パルカシュ・ボーテ(輝ける男)、小柄ながらも贅肉一切無し。花と景色を見るのが主目的、殆どジープが運んでくれる。早朝、風来坊を出発しパルチャン村(2350m)、コティー村(2600m)、グラバー (3000m)を経てマリー(3450m)へ。 マリーは夏の村、茶店、露店がごちゃごちゃと並ぶ。ここで朝食をとる。日向はポカポカ陽気だが、日陰側の人寒がる。食事はカレー、インドについてから毎日全てカレー、ナンあり、パンあり、チャパティーありではあるが常にカレーのルーだけはつき物、早くも食傷気味。朝食後更にジープに乗り、エイトモール(3670m)からゆっくり歩き始める。荷物はポーターが運んでくれるので手持ちは雨具と水など少量でOK。高山病予防の為、ゆっくり行動する。ディリィ/ディリィ(ヒンズー語)。 西にハヌマンチェバ主峰(5928m)が見える。近くの山はパタルス(4472メートル)。花が美しい。 ブラックピー、アイリス、ドライフラワー(白、小)、プリムラ(紫、桃色)。パルカシュが丁寧に教えてくれるのだが、聴き取れない。ポイニッシュ、エノウモニ、ワイルドオニオン、ブリオダリッシュ、シンコアファイル・・・・・・。取り敢えず聞き取れた名前だけメモし、写真を撮る。どれがどれに対応するかは帰国してから誰かさんに教えてもらうこととしよう。 3700地点でA氏ダウン、高山病と思われる。ジープで急に高度を稼いだ所為か、肩で息しながら意識も朦朧として足元が覚束ない。 次は俺の番か、不安が募る。 ドシャールレイクの手前、本日の最高点(3870m)に達する、富士山の高さを越えて大満足。まだ11時半なのに2時頃の気がする。時差ボケか高度障害か、或いは地ボケか。 西北の山肌、地層大きく走る、ヒマラヤ造山運動のなせる業か。A氏相変わらず意識朦朧、食事抜き。これから先どうなるか、皆心配する。 ジープで グラバーに戻る途中、崖の上にブルーポピー発見。群れる事を峻拒し一人岩壁に咲く孤高の花、青い。3180m地点にてテント。パートナーは小室リーダ、不慣れな小生に配慮いただく。夜3度トイレに行く。タテヨコ 1.5m 高さ2m位の簡易専用テント、内側は自然式。水牛が近く迄来る。水らしい水も無いのにどうして水牛がいるのだろうか。因みに水牛はトイレを使わないので至る所にその跡がある。大きい。

6/22、朝6時にはティータイム、砂糖・ミルクたっぷりのティー頂く。7時には朝食を済ませて、8時前に出発、ローリーコーリーを目指す。黒いワンちゃんついてくる。B氏が餌で手懐ける。後から白い犬も加わる。此方はいじけている。黒犬に威嚇されて近寄れず一定の距離をおいてついてくる。 ローリーコーリーの大草原(3880m)で昼食、羊、山羊の群。羊飼いは100匹以上の顔を見分けられると言うが、私には無理だ。何ぼ見ても羊は羊、山羊は山羊。小さな赤ちゃん羊を抱かせて貰う。抱き方が下手なのか嫌がる。同行の女性が抱くと気持ち良さそうにじっと目をつぶっている。この赤ちゃんは男の子らしい。

6/23、朝から生憎の雨、予定を変更して風来坊に下山、麓は快晴。少し残念だが止むを得ない。 近くの温泉に入る。ヒンズ−の寺か、温泉は無料だがお布施は任意。 水着必要、旅慣れた人は用意怠り無し。 風来坊亭主の「使用中の下着でも構わない」との言を信じる事とする。本日、満65歳となる。あと5年は山を歩きたい。山は高くなくても良い。

6/24、2回目のトレッキングに出発。ジープでロータンパス(3978m)を越える。ロータンパスは死者の峠、峠の向こう側には6000m級の山々が連なる。東側にチョタシグリ山、東北にはCB山系(CBは測量番号)が白く輝く。 峠を越えて600m一気に下ると急に暑くなる。途中狭い道で羊の群れに行き交う、右は谷底、左は崖、どうなるかと思いきや、羊の群れはいともた易く崖を登って道を空けてくれる。ところが此れが実に危険。羊が足元の石ころを蹴飛ばすのだ。わざと蹴飛ばしているわけではないのだろうが、ヒマラヤのもろい地層を羊が歩くので落石がゴロゴロ、落石が落石を呼び大きな石まで落ちてくる。チャンドラ河右岸に沿って遡上する、この河もインダスの支流、雪解けの濁流渦巻く。2時過ぎには本日の目標地ダダルプー(3560m)に到着。

6/25、昨夜はトイレ5回、ビールも飲まないのに無性にしたくなる。 高山症の所為か、一睡も出来ず。A氏は10回を数えたとか、高山病の後遺症だろうか。 カレー主体の食事にも大分慣れてきた。 もしもの時を考えて、α米・お粥、10食持って行ったが必要なかった。塩分多目の梅干、ふりかけ、佃煮好評。キャンプ地の周辺には,エーデルワイスがいっぱい、この花、名前負け。 昨日に続きチャンドラ河に沿って遡上、左右から険しい山塊が迫る。 直径10m以上はあろうかと思われる岩がゴロゴロ、それもつい最近落ちてきたと思しき代物。 対岸にバラシグリ氷河が見える。チョタダーラ(3690m)を経てバタール(3960m) の茶店で一服。 ジープはここからチャンドラ河の左岸に出、クンザンラ(4551m)まで一気に登る。
ここににダライラマ由来のチベット寺院。見学中、車が出るようとの声、思わず小走りに寺院を一回り、これが大失敗、息が上がる。高所では走ってはいけません。ここから少し登って今回のトレッキングの最高点(4630m)。 チャンドラ河を眼下に坂道を下る。昨晩寝ていない所為か足元がふらつく。 300m下って、チャンドラタール(月の湖、4300m)にキャンプ。

6/26、昨夜はぐっすり、途中一度も起きず。気分爽快。 嬉しがるも、トイレに行かないのは高山病の気ありとの誰かの親切な言葉、多少意気消沈。 午前中、月の湖の周囲を散策。月の湖は聖地である。チャンドラタールから西側を 望めばCB山系、M山系の山々が連なる。更に右奥にはKR山群が見える。花も多い。エニモニ、アズマ菊(エステル)、エーデルワイス、ここのエーデルワイスは多少背が高く良い。 化石があると言うので皆で探す。目標はアンモナイト。残念ながら成果はナンモナイト。モレーン、氷河が運んだ石ころや砂粒、美しいカーブを描く。テントに戻って昼食。
午後自由時間、岩登りのベテランB氏標高差400mのモレーン1時間半で登る。毎日10キロ走る 最長老氏は桁違いに元気、一人遠出 。リーダー、馬糞集めに精を出す。私は チャンダル河の見下ろせる丘に登って昼寝する。 丘の上に山上湖あり、遠くの山を写して美しい。
今日が最後の山の夜、キャンプファイヤーを楽しむ。 燃料は馬糞、樹林帯をはるかに越えたここに、樹木は枯れ木の一本も無い。 ガイド、シェフ、運転手、ポータ−等のスタッフも一緒に輪になり大いに歌う。 現地の歌、歌詞の意味は判らないが、同じ文言が繰り返され、思わず引き込まれていく。 当方もB氏C氏が大いに乗り、民謡・山の歌 飛び交うも現地スタッフの乗りには敵わない。 現地スタッフ、宗教上の戒律か殆どの人が飲まずに踊る。 馬糞の火が青白い、ヒマラヤの糞火がおさまり熾火となる頃、谷筋を吹く風が冷たい。

27日、下山。夕食後、風来坊亭主も一緒に、歌って踊って、夜の更けるまで大騒ぎする。斯くして生まれて初めての海外トレッキングは無事終了、帰途につく。
最後に、風来坊の亭主、森田千里さんと言う。労山の会長も勤めたで人で、この地に30年、日本人が未だ誰一人来た事の無い当地に真っ先に惚れた人ある。時には教え子だけでなく客にも愛の鉄拳を振るいかねない豪放磊落な元熱血教師である。リベルタ出版から「ヒマラヤ酔夢譚」を出しているので機会があれば一読をお勧めする。

 


海外登山紀行目次へ

TOPへ