◆ アイランド・ピーク(イムジャ・ツェ)に立つ         坂井 康悦


(ヒマラヤ街道最奥のチュクン集落よりアイランド・ピークを仰ぐ)

2006年11月8日正午、青空の下、アイランド・ピーク(6.160m)の山頂に立つ。正直、もうこれ以上登らないで済むという安堵感であった。果てしなく続く海原のようなヒマラヤの8.000mの峰々が連なる大氷河に漂う島の峰のアイランド・ピークは、ローツェ(8.516m)の前では丘の頂きのようなものだが、ただただ感嘆するのみで言葉にならなかった。

今回のパーティのシリウス会員・赤沢、大塚、川崎、坂井の4名は、10月25日夕方、秋風の立つ東京をタイ航空でバンコックに飛び、翌日30℃以上の暑さのネパール王国の首都カトマンズへ。トレッキングにやって来たのに、こんなにのんびりとしていいのかと思われたが、1日カトマンズ市内見学。

10/28 カトマンズから「エベレスト街道」のトレッキングの出発点ルクラ(2.840m)へ。15〜6人乗りの小型機は遠くに雪山を見ながら、段々畑をかすめて40分間の飛行で、北東にそびえるコンデ・リ(6.187m)がクーンブ・ヒマールの表玄関にふさわしく迎えてくれた。ガイドとサブガイド、ポーターやキッチンボーイらが念入りに出発前の荷物の分担の打合わせを済ませた後、いよいよトレッキングの第一歩を踏み出す。パクディン(2.600m)に向けドゥードゥ・コシ川へ緩く石ころの多い下り道を行く。オムマニ・ペメ・フム「おお、蓮華の座におわします宝珠の神よ」という意味の経文をほったマニ石や道の脇のチベット仏教の塔などを横眼で見ながら、5時前にドゥードゥ・
コシにかかる吊橋を渡り、「サン・ライズ・ロッジ」に着く。ガイドのチリヌルが30才前、サブガイドのニーマが20代中半、コックのゴパルが30代前半、キッチンボーイ3名、ポーター1名(牛3匹を使い)は20代そこそこと皆若く体力旺盛で、重い荷物を軽々とかつぎ、陽気にネパールの民謡「レッサン・フィーリィーリィー」などを楽しく声高く歌ってくれたりして、我々を勇気付け、疲れを忘れさせてくれた。

移動日の朝は、6時起床、シュラフを片付け荷造り、7時に朝のお茶、7時半朝食、8時出発というパターンだった。パクディンからドゥードゥ・コシの右岸沿いの道を行き、対岸にタムセルク(6.600m)が初めて姿を現わし、雪をいただいた大きな山容がヒマラヤの核心部に一歩足を踏み入れたことを実感させられた。タムセルクを仰ぎつつ山腹を高巻くと大きなマニ石のあるベンカールに着く、樹林帯の道を緩く登って行くとチュモアだ。緩い登り下りを繰り返し、沢を越しひと登りするとサガルマータ国立公園の管理事務所のあるモンジョへ、ジョサレ2,800m)へとエベレスト街道にふさわしく多くのトレッカーが楽しそうにトレッキングしている。ドゥードゥ・コシの河原に下り、対岸に渡ると、いよいよナムチェへの本格的な登り、急なジグザグ道、ガレ場、松の木が目立つ山腹に取り付いて、ひたすら高度を稼ぐ。尾根の上にひょっこり出ると、木の間越しにエベレスト(8,848m)やローツェ(8,516m)の姿が見えるが、まだ遠く頭の先しか見ることができなかったが、初めて目にする世界の最高峰には感慨ひとしおのものがあった。次第に展望が開け、左手にコンデ・リが大きく見え、やがて白壁の屋並の上にタルチョがはためくナムチェ・バザール(3,500m)に4時着。夕食はチーズ入りオニオンオムレツに、牛肉かマトンの肉と野菜の串焼き、トマト風味ソースにライス、コショーににんにくの効いたスープが出た。小柄のコックのゴパルはカトマンズで修行したとかで、メニューアイテムも豊富で、愛想が良く、もっと食べろとついでまわってくる。日本人の口にあう味付けで、朝はおかゆとトーストに卵料理、昼はスパゲッティ・ミートソースとかうどん、ピザパイなどで文句のつけようのない食事で大満足であった。

10/30 高度順応の為、移動無し。ナムチェで一日過す。高度順応のトレーニングを兼ね、ナムチェの集落から1時間半ほど登った所にあるホテル・エベレスト・ビュー(3.850m)へ出掛ける。ホテルのテラスでのティータイム、アマダブラム(6.812m)、カンテガ(6.779m)、タムセルク(6.608m)、背後にコンデ・リ(6.187m)、遠方には8.000m超のエベレスト、ローツェの眺望をほしいままに楽しみ、正に至福の時だった。昼からは、山関係の博物館を見た後、ナムチェ・バザールの山道具屋や土産物屋をひやかして見て歩く。充分に水分をとり、ゆっくり、ゆっくり(ネパール語で、ビスターリ、ビスターリ)の行動に慣れ、皆、高度順応は順調にいっているようだ。  

10/31 今日はナムチェからプンキ・テンガに下り、タンボチェまでの登りだ。ホテル・エベレスト・ビューの下の水平道を行くと、突然大パノラマが眼前に出現し、アマダブラム、ローツェ、エベレスト、ヌプツェ(7.855m)と実に壮観な眺めでエベレスト街道のトレッキングの醍醐味に浸る。ゴーキョへの道を分けるサナサまでの大展望の水平道が続き、タムセルクの左手に徐々にカンテガが現れて、高度差350mの下りとなりプンキ(3.275m)の河原で、ブルーシートを敷いてピクニック気分で昼食をとる。日射しが強烈で日焼け止めクリームが効かないぐらいだ。タンボチェへの高度差600m以上の樹林帯のジグザグ道の急登は息が切れる。この時期花は咲いていないがシャクナゲが目立ち、徐々に視界が開け、カンニ(石門)をくぐって高原状の台地にチベット仏教の僧院の建つ、雪のちらつくタンボチェ(3.867m)に2時着。ここから20分程下ったデボチェの「エベレスト・シャクナゲ荘」としゃれた名のついたロッジが今晩の宿だ。デボチェで高度順応のためもう一泊する。日当りは暖かいが日陰は冷風で寒い。翌日、タンボチェまで登り返しタルチョのかかる山を30分ほど登り、昨日来登ってきた道を見渡し感慨にふける。仏教僧院の裏に故・加藤保男氏(「雪煙をめざして」の著者)の記念碑を探し当てて写真をとる。

11/2 デポチェ→パンボチェ(3.985m)。ゆっくりゆっくりとイムジャ・コーラの沢沿いを30分おきぐらいに休憩を入れながら進む。アマダブラムを登攀しているパーティを望遠する。ショマレでスパゲティ・ミートソース、カリフラワー、羊肉などの早目の昼食。はじめて曇りの天気で風が冷たく、太陽の光が恋しくなる。高山病の予兆か風邪気味のように喉がすかすかする。埃っぽい山道の連続で喉をやられたかと思ったが、翌日には治りほっとする。11/3は、チュクンへの移動日であったが変更し、ディンボチェ(4.340m)でもう一泊し高度順応を計ることにする。午前中、宿のシェルパランド・ロッジの前の標高5.000mぐらいの山へ、小雪の舞う中、トレーニングに登りに行く。

11/4 イムジャ・コーラ最奥の山小屋のあるチュクンへ。9時前、両側が畑地になった石垣道をいったん下り、イムジャ・コーラ右岸の河原のガレた道から、なだらかな起伏状のモレーン丘を登るとカルカが現れ、12時前チュクン着。時折、雪がちらつく曇り空で寒く展望もきかず、午後から何もやることが無くボケーッとする。

11/5 ポーターの荷造りを待って9時に、イムジャ氷河のアブレーションバレーにあるB.C.(ベース・キャンプ)のパレシャヤ・ギャブ (5.087m)へ進む。高度差わずか400mほどの水平道のような道だが足が前に出にくくなってきた。高山病の徴候か、今までとは打って変って食欲が減退し、1/3も食べられない。食欲減退はこの先、下山の11/11ナムチェまで続いた。B.C.のイムジャ・ツォ氷河湖の脇に住みついているのか、雷鳥のような色の、にわとり大の大きい鳥、数羽を見る。

11/6 B.C.に留まり高度順応を計る。午前中、明後日のサミット・アタックの為、各々のハーネス、ユマールはじめアイゼン、ピッケル、山靴等の総点検をして過す。午後、氷河湖の土手へ上がり散歩したが、湖へ向って、絶え間なく岩が崩れる音がして不気味であった。
11/7 B.C.→H.C.(5.480m)へ向けて10時出発。水平道を進み、踏みあとのついた山腹をジグザグに登り続けると左手岩尾根に出、岩場を急登すること約1時間、12時着。日当たりは暖かいが、風が強かったり収まったりで、小雪が舞い指先が冷たい。

11/8 真夜中2時起床、ゆっくりとお茶を飲み、おかゆを一杯食べ、3時半ヘッドライトをつけ、うっすらと雪化粧した岩場を登攀開始。大塚氏がH.C.から2時間ぐらい登った5,650m地点で肺水腫のため、残念ながらリタイアし下山していった。9時頃、岩場から雪原の尾根筋に出、アイゼンを装着し、小さいクレバスを横目に見、アンザイレンして歩く。11時前、傾斜45〜60度の200mの雪壁に着き、ロープにユマールを付けて、アイゼンで雪の斜面に足を蹴り入れて登る。6.000mでの行動で、3、4歩ごとに一息入れ、あえぎあえぎの登りで主稜のコル(6.050m)に出、氷化した頂稜リッジ120mは比較的楽に歩行、正午12時登頂した。疲れ切って、やれやれの気持ちが強く、登頂直後は感動しなかったが、じわーっとうれしさがこみ上げてきた。記念写真をとり、後続パーティも六畳ぐらいの広さの山頂にやって来るので早々に下山にとりかかる。登りとは打って変って足も出、慎重に雪原はアンザイレンして下り、H.C.に4時半着。更に一時間半かけてB.C.まで下る。B.C.に着く頃は暗くヘッドライトを点灯した。朝から延々16時間かけて、標高差約800mを登り下りしたことになる。B.C.に着いた時は、疲労困憊の限度を超え、夕食を一口もとらず、そのままシュラフへもぐり込み、翌朝まで一度も起きず熟睡した。

11/9 B.C.→デンポチェ(4.300m)へ下り、大塚氏はペリチェの診療所へ診察してもらいにサブのニーマと出かけ、幸い軽症にとどまり良かった。11/10 プンキの谷より一時間ぐらい上った所で泊る。11/11 チュモア泊。11/12 ルクラ泊。
 帰路は高度順応の必要もなく、半分以下の時間で出発点のルクラへ戻り、11/13の飛行機便でカトマンズへ戻り、実質、現地解散とした。ガイドやスタッフ、ポーターなどの援助があればこそ、事故もなく登山できたものと感謝し、その喜びを皆と分かち合った。パーティの皆さんにも大変お世話になり、感謝している。その後、各々で観光地で湖のあるポカラへ2泊の休養旅行をし、アンナプルナ山塊の展望を心ゆくまで楽しみ、11/18、無事、帰日した。



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