◆ エベレスト街道の旅〜カラパタール登頂〜 佐藤 征男

〔期 日〕2008年12月14日〜2009年1月2日  20日間
〔場 所〕ネパール・クーンブ山群カラパタール(5,545m)
〔メンバー〕ツアー参加者7名+シェルパ4名+クッキング6名+ゾッキョ・ドライバー2名(計19名)、
ゾッキョ7頭 ※ゾッキョ=ヤクとウシの一代雑種、荷物の運搬用に使っている。
〔宿泊施設〕ホテル5泊(カトマンズ3泊、経由地韓国インチョン空港内2泊)ロッジ6泊、テント8泊。

               
              (カラパタール山頂にて。後方はエベレスト)

【冬のカラパタール】

 ネパールやヒマラヤについて書かれた紀行、植物や文化の調査記録、登山隊の記録など数多くの図書
を読みながら、一度も訪ねたことがなかったネパール。それが2,007年の暮れに成田からインドのデリー
に向かうインド航空機の機内アナウンスに耳を傾けて機窓から外をみると真っ白い山脈が見えるではあり
ませんか。機長のアナウンスはカンチェンジュンガ、マカルーなど山の名前を呼び出した。エベレストが見
えるかなと思いつつ窓の外をしばらく見ていた。これがヒマラヤ山脈との最初の出会いとなった。
 
 私は最初から6,000m峰の登頂を狙っていた。しかし長期の休暇が取りにくい環境にいることもあり、加
えて年齢も増してきていることを考えて、とりあえずはトレッキングになってしまった。当初は友人とヒンズー
教徒の聖地とされるゴザインクンド・スリヤピーク(5,144m)を考えていたが、日本に働きにきているシェル
パに友人が尋ねたところ、12月は気温が低く登頂は無理だとの話があった。そこで急遽山岳ツアーを専門
としているツアー会社が募集していた「エベレスト・カラパタール登頂20日間」に参加することになった。

 カラパタールなら簡単、ネパール初の旅には向いているかな、でも12月の雪の状況はさっぱり見当がつ
かない。ツアー会社の装備表は大雑把な感じで、どちらにでも判断できそうな内容。トレッキングなのでアイ
ゼンなどの雪山装備については一言も触れられていなかった。電話で聞くところによると、雪はあっても少な
いから大丈夫とのこと。11月にカラパタールとゴーキョピークを歩いてきた友人は雪と氷の状況がどうなるか
なと言っていた。今回ご一緒していただいたツアーリーダーのT嬢は、エベレストに昨年5月に登った日本女
性10人目の登頂者、インドのシブリン北壁やカメット南東壁の初登攀記録を持つトップクライマーである。私
達よりもズート若いが申し分ない実力者である。

 サーダーはマニ氏 エベレスト4回登頂者で29歳、シェルパやクッキングの人達も20歳代と皆若い。
私達は59歳〜69歳とロートルメンバー。ややもすると早くなりがちな歩みをツアーリーダーのT嬢がユックリ、
ユックリとリードしてくれた。ナムチェバザール(3,440m),タンボチェ(3,870m)、デンボチェ(4,343m)でそ
れぞれ2泊して、付近の丘や小さなピークに登って高度順応を図った。

 登頂日の朝はロプチェ(4,930m)のキャンプ地を4時に出発。河原状の緩やかな道を登りゴラクシップ
(5,100m)を経て、プモリ(7,165m)から派生している岩稜の末端付近にある小さなピークへ登ると、そこが
カラパタール(5,545m)であった。砂礫状の道を登り、岩がゴロゴロした場所にアンテナ状のポールが立ち、
マニ旗がたくさんはためいていた。午前10時45分山頂に達した。
 山頂からエベレスト(8,848m)、ヌプッエ(7,864m)、エベレスト・ベースキャンプの位置(5,350m)が眼前
に見える。エベレスト南壁、サウスコルとノースコルの位置関係など1時間余り快晴・微風の山頂から展望を
充分に楽しむことができた。

 ゴラクシュプのキャンプ地では、夜に入るとしきりに、エベルスト方面の氷河からドドーゴー、ドドッゴーとセラ
ックの崩壊する音が1時間に1回〜2回の割で一晩中聞こえていた。テントの外の気温は氷点下15度を簡易
寒暖計が示している。それでも氷河の崩壊は続いている。これではネパール側からエベレスト登頂は極めて
危険な状況にあると言う。氷河のルート開拓にあたるシェルパは成功すると一生涯食べて行けるお金をいた
だけるとの話であった。

下山は周囲の山々を眺めながらモレーンの転石の間をぬうようにしてドンドン降りた。天気も悪くなり小雪が
ちらつき寒い。ヤクも毛が凍り寒いのだろうか、ノコノコ歩いている。ペリッチェの診療所は季節柄あいにく閉鎖
されていた。エベレストに挑戦して命を落とした人達の新しいステンレス製のモニュメントがあり、1,922年のイ
ギリス隊から順に沢山の名前が刻まれていた。日本人の名前も幾つも刻まれていた。天気も回復してきた。
太陽が当たると暑いようであるが、日陰は寒い。ルシアサ、ナムチェバザール、バクデン、ルクラへとどんどん
高度を下げた。

【全員登頂の秘訣】

 ツアーリーダーT嬢の厳しい指示を全員が守ったことにある。
  1)禁酒:カトマンズを出発してからカトマンズに帰るまでアルコール類は一切禁止。
  2)腹6分目:食べ過ぎは禁物。おかゆなどの消化の良いものを多くとり、さっぱりしたもの主体で油脂類
    は極力控えた。
  3)日本食主体:ツアーリーダーが日本から持参した。ふりかけ、つくだに、うめぼし、それに現地の米、
     うどん、じゃがいも、卵、鳥肉、淡水魚の缶詰か煮物であった。テンプラやソバ、のりまき寿司などもあ
     ったけれど。
  4)水分補給:1日あたり3〜4?を目安に、緑茶、紅茶、コーヒー、ミルクティー、レモンティー、ミルク、抹茶、
     お湯などリーダーの厳しい監督のもとに多く飲んだ。それだけに夜間は排尿に2回〜3回は寒い外の
     トイレに立たなければならなかったけれど。
  5)高度順化のために休養日を比較的多く取り入れ、キャンプ地近くの丘や小さなピークに登った。日大山
    岳部OBの宮原さんが社長をしているホテル・エベレストビュー(3,720m)に寄ったのも高度順応の一環。
    ホテルのテラスからエベレスやローツェ、アマダブラムの展望がすばらしく、みんな気分を良くした。
  6)高山病予防薬ダイアモックスの服用。バクデン(2,610m)の宿泊地から毎日夕食後に2分の1錠(125
    mg)を服用して高山病の予防に努めた。また、パルスオキシメーターを使って毎日朝夕食前に脈拍、
    動脈血酸素飽和度の測定など、高度順化チェックシートを使って体調管理に努めた。
  7)それでもツアーリーダーを除く全員が下痢や便秘になった。私も出発して8日目、標高3,870mのタンボ
    チェに到着した夜から下痢と腹痛に見舞われた。 デザートにチョコレートの付いたドーナを食べた夜から
    だった。油脂類には充分気をつけるようにしていたのだったが油断してしまっただろうか。原因ははっきり
    しないが前日ころから下痢で食事ができない者が数名いたが、ついに私の番になってしまった。幸い事前
    の健康診断に行った東京のクリニックでいただいた下痢止めが効果を発揮して1日で回復した。

【 ネパールで感じたこと】

1)首都カトマンズの街は人とオンボロ車とオートバイとほこりとゴミがすごかった。空港からホテルへ向かう車
  窓からは砂埃をかぶった建物、家や樹木も砂埃、汚れた服装の人々が家の周囲や道端にたむろしている。
  車道の脇は土のまま凸凹でゴミが散乱している。
2)カトマンズの中心部と思われるあたりでも道路の信号機は極めて少ない。たまに見つけても動いていないか、
   黄色の点滅である。そんな中で人と車に囲まれて交通整理?をしている警察官らしい姿もある。車とバイク
   が優先だとかで道路の横断は命がけである。
3)カトマンズは盆地(標高1,300m)で霧、スモックが多く飛行機がなかなか飛ばない。空港で3〜4時間また
  されるのは普通のようである。私達も例外ではなかった。暗い空港の待合室でボケーッと飛行機が飛び立つ
  のを待った。帰国の前日にフライト予備日を利用してエベレスト遊覧飛行のため朝5時頃から空港で待った。
  しかし10時過ぎに霧で飛べないことになった。聞き取れない構内アナウンスと出発時刻を表示したモニター
  を何度も何度も確認しなら、飛行機が飛ぶのかどうかただ待っていた。
4)停電がある。到着した日は6時間の停電。帰りには12時間の停電だった。このため夜は随分暗い街だった。
  宿泊したホテルでは自家発電をしているので助かった。こんな中で早朝から街灯も無い暗闇でジッキングし
  ている姿を何人か見かけた。
5)シュルパは愛想がよくきれい好きの様子であったが、奥地に行くと一変して無愛想となる。チベット族なのだ
  ろうか建物にチベットの旗が立ち無愛想なロッジの人達。
6)ストーブの燃料はゾッキョ(ウシとヤクの交雑種)やヤクの糞を乾燥して燃料としているので火力が弱い。ほん
  の少しの木材の古い切れ端やマツボックリをストーブに入れてくれたときは随分暖かく感じた。
7)年末年初の休みを利用して日本から来たトレッキングのグループと数パーティであった。エベレストを見たい
  のか、エベレストがひきつける魔力なのだろうか。一見して山に慣れていない様子のグループをツアー会社が
  引率してくる。もっと、もっと日本の山に登って山の経験を積んでからネパールに来てはどうなのだろうか。
  海外の山で日本から来た登山者と何度も会っているが、今回ばかりはびっくり、驚きであった。そして、私の
  山登りで、はじめて達成感や充実間を味わうことができなかったネパール・エベレスト街道の旅だった。


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