◆インド・スピティ トレッキング  小室 豊

 
        (ランザの釈迦坐像)                        (雪豹の剥製)

◎期 日:2007年6月21日〜7月7日の17日間  
◎メンバー:小室(L)、名倉、萩原、岡田、瀬川、斉藤(幸)、外5名(他山岳会メンバー)、計11名
 昨年に続いて印度北部のマナリーを基点として、昨年訪れたクンズム峠より東のスピディ地域の標高4,200m
前後の山岳地帯をテントキャラバンで歩いてきた。昨年はクンズム峠から月の湖と言われるチャントラ・タールへ
と歩いたが、今年はスピディからの帰りに昨年と同じようにクンズム峠からチャントラタールへ立ち寄って、マナリ
ーの風来坊へ戻った。今回のトレッキングの行程についてはマナリーの風来坊山荘に着いてから主人の森田さ
んとメンバー全員が打合せながら最終決定したもので、次の行程表で行動した。なお、日本からマナリーまでは
風来坊の日本代理店ワイルド・ナビゲーションが設定して呉れた。

【行程】
6/21(木);成田発12;00⇒デリー着16;55 搭乗機AI  デリー・ブロードウェイ泊
6/22(金);デリー⇒マナリー⇒バシスト風来坊 ワイルド・ナビの手配マイクロバス
6/23(土);風来坊で一日休養、マナリーの街で両替等
6/24(日);高度順化のためグラバからローリー・コーリーミニ・トレッキング
6/25(月);スピディへのトレッキング出発。マナリー⇒ロータン・パス(パスは峠の意味)(3,986m)⇒タダプル
6/26(火);タダプル⇒バタール⇒クンズム・ラ(4,551m)⇒ロザール⇒キアト⇒
ダルチャ(3,939m)
6/27(水);ダルチャ→キバル・ナラ(ナラは小さな川)渓谷→キバル⇒キ・ゴンバ⇒ラングリック
6/28(木);ラングリック⇒ランギグ→ヒッキム→コミック
6/29(金);コミック→デムル
6/30(土);デムル→ラルルング⇒ダンカール・ゴンバ⇒タボ⇒シェゴ
7/01(日);シェゴ⇒カザ⇒ラングリック⇒ロザール⇒タクチャ
7/02(月);タクチャ⇒クンズム・パス→バルアモ・ラ→チャントラ・タール(湖、4,200m)
7/03(火);チャントラ・タール⇒バタール⇒タダプル⇒ロータン・パス⇒バシスト風来坊
7/04(水);バシストの風来坊で終日休養
7/05(木);バシスト⇒マナリー⇒ナラガール ヘリテージ・リゾート泊
7/06(金);ナラガール⇒デリー⇒デリー空港⇒BKK(BKK経由AI)
7/07(土);成田着10;50

【トレッキングの概要】
 デリーからマナリーの風来坊までは昨年と異なり、マイクロバスで移動したが、英語しか通じないガイドで、その英語
も訛があり、われわれお客の要望を無視することが多く、予定より遅れてバシストの風来坊に着いた。風来坊ではバス
の到着予想時間に合せてポーターを配置していたが、その連絡も不十分であった。ホテルを出発したのは朝4時であっ
たが、バシストに到着したのは23時になっていた。昨年は15時間であったが、今回は19時間を要した。遅れた原因は
ガイドが無能であったためで、復路は日本語のできる有能なガイドに交代してもらった。

  6/23は一日休養日としてのんびりとしたが、今後のトレッキング行程の打合せと昼食を兼ねてマンリーの街に両替に
出た。風来坊の主人森田さんの奥さんが同道してくれたので、森田夫人の顔で有利に両替できた。
 6/24は高度順化のために昨年訪れたローリーコーリーまでのミニ・トレッキングに向かった。高度3,800m程度の高度
であるが、やはり途中高度障害になった人がおり、私が面倒を見ることにし、途中から下山したが、ローリーコーリーまで
は他の9名は全員が登った。話に聞くと昨年より花が綺麗であったとのことである。
 6/25;昨日高度障害に悩まされた人も回復したようなので、全員で出発する。風来坊の現地旅行代理店マルコポーロ
の社長夫人が日本人で、その友人が日本から訪れていたため、ロータン・パスまで森田さん夫妻も同道した。ロータン・
パスで森田夫人にヒマラヤニオイバナ、セセラギイチゲ、ブラックピーなどわれわれの知らない花を紹介してもらう。斜面
一面に広がるお花畑は見事である。峠の残雪の上ではデリーから来ている金持ちのインド人が橇に乗って珍しい雪を楽
しんでいた。14;00 森田夫妻と別れてスピティに向かう。遅い昼食をチャトルーでり、昨年もキャンプを張った同じダダプル
でテントを張った。

  6/26;7;20に出発する。テントを畳む間われわれは車道をスピティ方面に歩く。車に乗って先に進むと、右手に大きな
バラ・シグリ氷河を眺められる。バラ・シグリ氷河の氷河は昨年に比較するとかなり後退していた。クンズム・パスの登り口
バタールへ向かい、ここで小休止をして標高4,551mのクンズム・パスへと登る。クンズム・パスにはかつてダライ・ラマが訪
れた小さなゴンバがあり、ここを拝みスピティ渓谷へと下る。途中パスポート・チェックのあるロザールという小さな集落に着
く。ここでチェックを受け、昼食を摂り、再びスピティ川を下り、カイトという所でスピティ川を渡らず、未舗装の山岳道路をその
まま進む。右手のスピティ渓谷は数多くのニードル岩が林立しており、素晴らしい景観を与えてくれた。この渓谷の景観を眺
めながら1時間ほど車を走らせ、少し登った所が広々した峠で、今宵のキャンプ地3,939mのダルチャである。時間的に早い
ので3時間ほど山登りを楽しんでようとキャンプ地の右手にある4,981mピークへ向かうが、時間的余裕がなく4,500m付近で
下る。
 翌6/27;ダルチャから奥へと車道がつながっているが、この道はチチムという集落に向かっている道で、われわれは車道
を20分位歩いたところで左手の沢へと下り、ラダックへの山道の分岐点であるドムラという集落を通って、キバール・ナラ
(ナラは小川の意味)の渓谷に下った。われわれの乗ってきたジープは一度スピティ川まで戻り、キバールの集落まで迎え
にくることになっている。キバール・ナラは小川といえ深く切り込んだ廊下状の渓谷で、まさに幽境なところであった。しかし、
チチムの集落の人々のキバールへの生活道で、よく踏まれた山道になっていて、往来している数人の人に出会った。この
キバール・ナラから300mほどの急な山道を登り、高原状のところへ出ると、スピティ渓谷から上がってくる車道にでる。30
分ほど歩くと定期バスも来ているキバールの集落についた。キバールにはレストランやホテルも数軒あり、観光地になっ
ている。ここのレストランで昼食を摂る。隣のホテルにはラダックまで行くという日本人女性の単独行者がいた。われわれ
のメンバーの一人と情報交換をしていた。昼食後迎えのジープに乗り、今宵のキャンプ地スピティ川畔のラングリックに向
かう。途中山の中腹に大きな寺(キ・ゴンバ)があり、ここに立ち寄り拝観する。

  6/28;キャンプ地ラングリックからジープに乗って7;30に出発する。スピティ川を渡り、左岸の断崖絶壁につけられ車道を
500m程駆け上るとランザという集落に出る。ここには釈迦の坐像が西に向かって建っており、その尾根200m程の距離に
ゴンバも建っていた。そのゴンバの背後に6,100mのチョチョカン・ニルダという山が聳えており、なかなか絵になる景観であ
る。ここでジープを下り、高原状の山道をコミックへ向かって歩く。ジープはわれわれが下りた地点の車道をそのままコミッ
クへ先行し、テントを張ってわれわれを待つ。ランザから100m程登ると再び峠の車道に出た。右手下方にはヒキムという村
落を見下ろし、遠くは前日歩いたキバール方面が臨む。特にチチムの集落は山にへばり付き、その右手奥に前日登ろうとし
てピークがよく見える。マナリーからローリーコーリーへのミニ・トレッキングをしたとき高度障害に悩まされた人の調子が再
び芳しくない。なんとかコミックまで一緒に歩くことができた。

 6/29;コミックには大きなゴンバがあり、このゴンバにはかつて数十頭の羊を殺し、肉は食べず血のみを吸い取ったと
いわれる雪豹の剥製が玄関に設置されていた。ゴンバはかなり大きく、僧侶養成の学校も併設されていた。われわれは
7;30にテントを出発し、ゴンバを拝観し、デメルという集落に向かって歩く。前日調子を崩した人はジープに乗ってデメルま
で先行してもらうことにした。ジープは一度スピティ川まで下って、再び4,000m付近のデメルまで登り返す。われわれが歩
き始めて、30分ほど行くと、アンモナイトの化石が沢山転がっている場所に出っくわした。ここで化石を拾い集めながら、
ポルトザメという車の通れる峠道に出た。峠からの車道は右手のカール状の野原の上を巻いている。山道はその下方に
平行して同じように巻いており、この山道をわれわれは歩いた。カールの底の方には馬が数頭草を食んでいる長閑な高
原であった。先へ進むと再び峠の車道に出たが、この付近からは荒れており、車の通行は不可能になっていた。峠を過
ぎると再びカール状になっており、われわれは車道と分かれて左手の山道を進む。カール状の高原にはヤクが放牧され
ており、牧童の住むカルカもあった。そこに住んでいる子供たちが大声でわれわれに声を掛けてくれていた。やがて、
4,600mの最も高い峠に出たが、高度が高くなってきたため、峠に出る直前にまた高度障害が出てきた人がおり、意識を
朦朧とさせ座り込んでしまった。ガイドや仲間に支えられながらこの峠をなんとか越え、デムルという集落に着いた。峠か
らデムルの集落までは7〜800mの高度差を下らねばならなかった。キャンプ地はデムルの集落から500m程離れたとこ
ろで、近くに学校があり、既にテントが張られていた。テント場に子供たちばかりでなく大人たちも珍しがり、集まってきて、
テントを覗き込みにきた。

 6/30;7;30に出発するが、高度障害に悩まされた2人(コミックからジープに乗った人も含め)はジープでスピティ川まで
下り、再び本隊がこれから下るラルルングまで来ることとした。われわれは一度デムルの集落まで戻り、そこから急な渓
谷につけられた道を下った。深い渓谷であるが、バラや石楠花の花が咲いており、綺麗な山道で、眼下には素晴らしい
風景が展開していた。3,515mのサンルンという小さな集落まで下るとスピティ川の支流であるが、かなり大きな川リン
ティ・ナラに出た。ここから右岸を高巻きしながら30分ほど上流に向かうと、ラルルングの直下にある橋に出る。橋を渡り、
対岸の段丘を登るとかなり大きな集落ラルルングに着いた。既にジープは迎えに来ていた。ここから断崖絶壁に建てら
れているダンカール・ゴンバへと向かう。よくもこの様なところに建てられたと思うほど、絶壁の上に建てられており、
拝観でお寺を廻るのも怖く、注意しなければならないほどであった。しかし、その反面景観は素晴らしい。ダンカール・
ゴンパを拝観後、昼食を摂り、スピティ川まで下り、さらにジープで1時間ほど下流にあるタボ・ゴンバを見学する。
タボ・ゴンパはお寺というより土蔵の中に壁画が描かれた美術館といった方がよいようなお寺であった。このような土蔵
が8ヶ所あり、土蔵の中は暗く、懐中電灯を必要とした(マナリーを出発するとき懐中電灯を持っていくように云われてい
た)。お寺自体は国宝になっており、タボはチベット仏教の聖地であると同時にスピティ渓谷の観光地にもなっている。
そのためかなりの人が訪れていたが、チベットに近いためか、トイレが整備されておらず、用をたすのに苦労した。
  この夜はシチリンという所でキャンプを設営する予定であったが、よいキャンプ・サイトがないということで、スビティ渓
谷で一番大きな町カザの手前7kmのシェゴという集落地にキャンプを張った。ここはポンプで水を汲み上げているので、
生水を飲むこともできた。タボからキャンプ地までの間、2時間ほど前に拝観したダンカール・ゴンバをスピティ川の対岸
の崖の上に見えたが、下から見ても断崖絶壁の上に聳えていた。

  7/1;この日はクンズム・パスへの登り口のキャンプ地タクチャまでジープだけのキャラバンである。途中カザ、ロザー
ルに立ち寄りながら、景観の多いスピティ渓谷の風景を楽しみながらキャンプ地に向かう観光だけの一日であった。
7/2;クンズム・パスのゴンバに立ち寄り、バルアモ・パスの下までジープで登り、昨年と同じようにチャントラ・タールま
で歩いて下った。キャンプ地には既にテントが設営されており、昼食を摂りゆっくり休むことにした。昼食後チャントラ・タ
ールを一周する人、テント場右手にある丘を散歩する人と各自がのんびりと周辺の景色を眺めながら、美しいチャントラ・
タール近辺の風景を堪能していた。ただ、残念なことに、雲がかなり浮かんでいたため、チャントラ川対岸の6,000mクラ
スの山々を完全に展望することができなかった。湖の周辺にはエーデルワイズが沢山咲き乱れており、その花を踏み
つけて歩く人もおり、日本では考えられないことだと語り合っていた。7/3;チャントラ・タールからバタール、タダプル、
ロータン・パスを通って、4,200m前後の9日間の高原トレッキングを終え、バシストの風来坊に戻った。

  7/4は1日休養日とし、昼間はマナリー街へ出て、食事を摂った後、お土産を買ったり、床屋で散髪する人がいた。
さらに夕刻には近くにある温泉に入りに行く人もいた。7/5はマナリーからデリーまでマイクロバスで戻るが、時間的に
長くかかるので、途中ナガールにある古城のホテルに泊まる。翌7/6にデリーに着き、エア・インディアの飛行機に搭
乗し、バンコック経由で翌々日の11時に成田空港に着陸した。長い17日間のトレッキングであったが、印度マナリー
は花が多く何回訪れても、歩く場所を変えれば飽きない場所である。マナリー・トレッキングの最大のネックはデリー
〜マナリー間の交通機関である。近くにクリという飛行場があるが、山間部なため、有視界飛行しかできず欠航する
ことが多い。したがって飛行機を利用することはほとんどできず、デリー〜マナリー間は車で往復するのが一般的で
ある。しかし、いろいろ調査した結果、ヘリコプターを利用する方法があることが分かったので、今後ヘリコブターを利
用して訪れたいと思っている。


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