◆ 初めてのヒマラヤ 「エベレストを見てから死ね」!中村利夫

 
 (クーンブ氷河より 左:エヴェレスト、右:ヌプツェ)    (ペリチェより 中央:カンテガ、右:タマセルク)

 2008年4月25日から5月15日の21日間ヒマラヤトレッキングに行ってきました。
今回のトレッキングは、日本山岳会の企画で「ヒマラヤ環境調査トレッキング」と銘をうち、慶応大学・福井研究室
の地球温暖化とイムジャ氷河湖調査の研究活動に時期を合わせ、協力の一環としたものでエベレスト山群のカラ
パタール(5545m)登頂を含むものです。
 私が参加したのは本隊とは別の第2隊でリーダーを含めて8名の小パーティ。年齢構成はリーダーと隊員1名が
40代で、他は60代が5名、70代が1名という高齢パーティでした。尤も、本隊の方も17名で平均年齢が66歳と
いうことでしたから、ほとんど同じようなものです。我々の隊では、40代の隊員1名がヒマラヤは2度目(2年前の
初ヒマラヤの時は3800m地点で高山病でダウンとのこと)なだけで、リーダーを除いて他は皆初めてのヒマラヤ
でした。それだけ、ヒマラヤ、エベレストというのは山屋にとっての永年の憧れなのでしょう。「ナポリを見てから死
ね」ということわざが本当にイタリアにあるのかどうかは別にして、「エベレストを見てから死ね」と置き換えると、
それはなんとなく参加者全員の心境のようでした。

 ルートは、カトマンズから小型機で登山口となるルクラ(2600m)へ。そこから通称エベレスト街道を2週間ほど
かけ、高度馴化を重ねながら5545mのカラパタール頂上に達するというものです。
 高度的にはエベレストのベースキャンプ(5300m)のやや上程度ですから、本格的な遠征隊とは違います。隊の
編成は隊員8名にシェルパ3名、コック1名、キッチンボーイ兼ポーター4名に、荷役のゾッキョ(ヤクと牛の掛合せ)
4頭で、本格遠征隊のキャラバンを小規模化したものです。

 プレモンスーンの天気の安定した時期で、何日かは夕方に少しの雨、雪が降る程度でほぼ毎日晴天続き。連日
ヒマラヤの峰々を見ながらの山旅は期待通り素晴らしいものでした。エベレスト、ローツェ、アマダブラム、プモリ等
々、6000m級でもカンテガ、タムセルク等見飽きない雄峰が間近に眺められ、氷河湖の観察と福井隊との交流を
経て、13日目に全員がカラパタールの頂上に立ちました。最後の登りは、さすがに空気の薄さにあえぎあえぎの
歩行、苦しいものでした。エベレストのベースキャンプを眼下に、エベレスト、ヌプツェ、左にプモリの鋭鋒を存分に眺
め写真に収め、晴天に感謝しながらゆったりとした時間を満喫。この時期、オリンピックの聖火がエベレストの頂上
に立ち、また三浦雄一郎隊の75歳登頂が目指されていた時でもあり、記憶に残る「初めてのヒマラヤ」でありました。
高山病対策と生水による下痢が最大の関門、これを乗り越せばまだ年齢的にはヒマラヤは可能。今では「もう一度
行きたいヒマラヤ」となっています。 



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