◆ 私のネパール ・ トレッキング日誌〜圧巻・絶景!! ランタン谷
                                 岡田捷彦

          
                   ランタン・リルン(7246m)をバックに

 「ネパール懇話会」(静岡市)主催の「ネパール・トレッキング」に参加した。今回は、ランタン谷 → ゴサインク
ンド(ヒンズー教の聖地)→ ヘランブ(美人の里)経由で、最後にカトマンズ郊外の「ヒマラヤの展望台」ナガル
コットに立ち寄るというコースだ。ランタン谷は、1949年にイギリスの探検家ティルマンが「世界で最も美しい谷
のひとつ」と紹介したことで知られている。また、この山域は日本人とも縁が深く、57年には深田久弥隊が南面
から5122mのカンジャ・ラ峠を越えて踏査している。隣接するシュガール・ヒマールの最高峰ビッグ・ホワイト・
ピーク(7083m)には、62年に日本山岳連盟隊が登頂。続いて78年にはランタン・ヒマールの主峰ランタン・
リルン(7234m)に大阪市立大学隊が初登頂している。また、73、74年には、古い山仲間2人がランタン谷を
訪れていて、私もいつかその地へ行ってみたいと思い続けて三十数年が経過していた。そんな期待に胸がふく
らむ旅立ちであった。メンバー構成は、参加者:10名(男性7名、女性3名、平均年齢66.5歳)、現地スタッフ:
17名(サーダー、コック、ガイドなど)、ポーター:13名。

 10月17日 ロイヤルネパール航空の関空〜カトマンズ直行便が運航中止になり、中部国際空港から北京、
成都経由で行く(成都泊)。
 18日 成都からカトマンズまでの間にチェック、チェックの連続。不慣れのせいか、気疲れの旅の始まりである。
フジホテルで静岡のO,H,Mの3氏に会う。このホテルは日本人客が多いので出会いが楽しい。
 19日 カトマンズ→シャブルベンジ。いよいよ待望のトレッキングへ出発だ。早朝7時、ホテル近くのタメルの
車溜りに、スタッフ17名にメンバーを合わせた27名が集合。専用車に食料や器材など、大量の荷物を積み込み
出発する。町はずれから、山裾をいく度となく回り込むように進む。チェックポスト先のトリスリで小休止。その昔は、
ここからランタン入りし、シャブルベンシまで3日間要したようだ。ターレの手前で、道路の崩落があり、車の乗り
換え、荷物の積み替え等で、1時間半ほどのロス。その先、賑やかなドンチェの町へ。夕闇迫るいくつかの村落を
過ぎ、ジグザグ道を急降下すると、明かりの灯った街道沿いのような村シャブルベンシに着く。約12時間の長旅。

 20日(晴れ) シャブルベンシ→リムチェ。谷側に下ると古い集落がある。キッチンボーイのケイさんの実家の前
を通る。ガイドのダンシップ・シェルパはこのあたりに知人が多く、方々で挨拶を交わしている。近くのコンパに立ち
寄り安全祈願。ランタン谷の左岸沿いを行く。ドメンの茶店の横からランタンU峰が頭を見せる。川岸近くのランド
スライドロッジで昼食。同行のコックが作るので、約1時間半ほどの大休憩。上から下りてきたトレッカーやドンチェ
からの客で込み合っている。樹林の急登が続き、高台のリムチェのムーンライトGHが今日の宿。ここで思わぬハ
プニング。2人のポーターがなかなか到着せず、迎えを出す始末。いろいろ憶測していたが、どうも途中で道草して
いたようだ。約2時間遅れで、真っ暗闇の中を登ってきた。人騒がせな話である。
 21日(晴れ) リムチェ→ランタン。今日は2350m地点(リムチェ)から3500m(ランタン)まで1150mの標高
差。そのうえ距離も長い。しかし、全員好調でランタン村に15時45分到着(出発7時20分)。この村は森林限界
を越えており、草原状のスロープに十数軒のロッジが点在している。あいにく雲が低く垂れこめ、楽しみにしていた
ランタン・リルンは望めない。

 22日(曇のち晴れ) ランタン→キャンジンゴンパ。毎朝の出発時間はその日のコースによって変わるが、今日
は5時起床、モーニングティ、洗面。6時食事、7時出発。朝食はトースト(チャパティ)、卵料理、温野菜、飲み物
(ミルク、コーヒー、チャ)が標準メニュー。今日のコースは標高差も300mほどで距離も短い楽な日程。しかし、
キャンジンゴンパは3800mと富士山とほぼ同じ高さ。高度順応が心配になる。村のはずれに、石に経文を刻ん
だ古いマニ石が続いている。この近辺は谷も広がり畑地も多い。古い定住村なのだろう。左真上に盟主ランタン・
リルン(7246m)、右手の谷をはさんで、ナヤカンガ(5846m)、その奥にガンチェンポ(6387m)。氷河が急峻
な山襞に切れ込んでいる。いよいよランタン谷のまん真ん中に入ってきたようだ。小さな村を通り抜け、前方に最
奥の集落キャンジンゴンパが見えてきた。宿は村中で一番大きなヤク・ゲストハウス。母屋と宿泊棟(食堂)が別
棟である。到着時刻11時30分。昼食後洗濯をしたり、周辺を散策したり、久しぶりの自由時間を過ごす。明日は
キャンジン・リを登る予定。夜間、表に出ると満天の星空。好天が期待できる。

 23日(晴れ) 昨日の午後をゆっくり過ごしたせいか、全員体調は良好のようだ。しかしながら、3800m地点か
ら4550m地点まで登るわけだから、どうしても高度問題が懸念される。ロッジ前方の北側斜面を急登し、右手の
山襞を回り込むように、カール状の斜面をあえぎあえぎ登る。トップとラストは次第に離れてゆく。この季節ではある
が処どころにリンドウやスミレ科の草花が現れ、癒される。左手のガレを見送り、苦労して鞍部に出る。後続を待機
し、全員そろって頂上へのヤセ尾根をたどり、9時59分に到着。2時間35分のアルバイト。北方のランタン氷河を
はさんで、左からランタン・リルン、キムシュン(6745m)、サルバチュム(6918m)、東方になじみのヤラ・ピーク
(5500m)、その後方はジュガール山群の山々か。南方ランタン谷をはさんでナヤカンガ、ガンチェンポと続く。
ランタン山群の雄峰が白い衣をかぶり、屹立している姿はまさに圧巻、絶景である。サーターたちがタルチョを取り
付け、全員で記念撮影。そして足取り軽く下山の途につく。

 24日(晴れ) キャンジンゴンパ→ランシサカルカ。昨日は往復4時間という短い行動時間であったが、一部の
元気印の方を除いては、高度疲労を受け、食事を取れなかったり、酸素吸入を受けた人も出た。このような状況か
ら、今日の予定の選択肢であったツェルゴリ(4984m)行きを断念し、第2案のランシサカルカ行きを全員の賛同
で決定。ピーク登りでないものの「世界で最も美しい谷のひとつ」と紹介されている広大なこの谷の奥地まで辿る
ことは、またとない機会に違いない。カルカの標高は4160m、その差300mたらずであるが、距離は長く、往復
すると6〜8時間かかるようだ。4000mを越えての長時間行動は、それはそれでハードなものに違いない。
広い河原、本流から離れたり近づいたり、草地、砂地、湿地帯、右手に河原の飛行場、左手にヤラピークBCへの
道、いくつかの沢を渡る。左上から滝が落下する。ところどころに現れるカルカ・キャンプサイトの跡もある。緩やか
に続くアップダウン、右手対岸にカンジャラ・ヒマール、ドルジェ・ヒマールの高峰、谷奥にランシサ・リ(6427m)と
変化に富んだトレッキングである。出発(7時)から、すでに4時間半が経過している。帰路を考えヌバマタン・カルカ
近くのエンドモレーン(氷河の末端堆石)の手前で引き返す。

 25日(晴れ)キャンジンゴン〜ラマホテル。キャンジンゴンバでの2日間は、それなりに有益なものだった。季節
がら谷間に咲く草花を見ることはできなかったが、周辺に広がる風景を十分に堪能できたし、体調の悪かった人も
無理をしなかったせいか、大事にいたらず第2ステージに向かうことができそうである。
 復路は全員快調にラマホテルまで下る。下山の途中ランタンで休憩していると「この近くで農作業中に土砂崩れ
で母と兄を亡くした子がいるので、何らかの援助をいただけないか」との話を受ける。遺児と待ち合わせ、日本の
交通遺児に会ったようなやるせない思いで見舞金を差し上げた。

 26日(晴れ)ラマホテル→シャブル。往路で立ち寄ったドンチェ、シャブル方面への交差点にあたるランドスライド
で昼食。ここからカトマンズまで、いよいよ第2ステージの始まりだ。



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