【アコンカグア峰(アンデス)−勇気ある撤退 】

川崎 義文

■紀行編


<オルコネス谷からアコンカグア南峰南壁を望む>


<ノーマルルートBC プラサ・デ・ムーラス>

昨年夏還暦を迎え、嬉しいというよりも何か追い詰められた心境になっていた。気力・体力減退の恐怖に苛まれながら従来通りの山行を重ねているだけでは先が見えている。還暦を機に乾坤一擲を賭そうと、大塚忠彦氏と二人で昨年12月中旬より約1ケ月間、アンデス山脈の主峰「アコンカグア峰」(6962m、アルゼンチン)に挑戦してきた。

9月下旬、大まかな構想を纏める。参考資料はR.J.Secor著「ACONCAGUA a climbing guide」しかない。語学力の減退もひしひしと思い知らされる。ツアーでは体力不足、高度順応不足で落伍する心配があって個人手配にしたのだが、格安航空券・宿泊等の手配、そして食料・装備計画など,長期海外登山は初体験のため難渋するが、約3ヶ月間の苦闘の末、12月15日出国に漕ぎ着けた。シカゴ・マイアミ・サンティァゴを経由して空路30数時間、葡萄畑が広がるメンドーサ市へ降り立つ。山中幕営23泊分の装備・食料は二人分で100kgを超えた。まず、基地となる民宿「アコンカグア」(増田農場)に落ち着き、3日間を食料補充・燃料調達・入山許可取得、そして休養・観光に費やす。

民宿「アコンカグア」はワイン用葡萄栽培の専門家であるご主人とご家族が離れ家を開放して営んでいる。40数年前からここに移り住み、地元に密着し、日亜両国の親善、アコンカグア峰登山者の遭難対策等々のため尽くされ、日本の外務大臣表彰も受けておられるアルゼンチンの名士である。日本のアコンカグア遠征隊の多くが今も昔も利用しており、植村直己、長谷川恒男、今井通子、三浦雄一郎、近くは野口健氏等、著名アルピニストの書簡・資料なども多く展示されている。今回、日本から3隊・10人弱が滞在しており、ここを発って登山中の隊もある。登山前及び登山後もここを基地とするので各隊が複雑に交差し、親睦・情報収集に好都合である。入山許可、買物、車両・ミューラ(ラバ)手配等極め細かく増田一家に代行・援助して頂く。スペイン語が喋れない我々には救いの神であった(市内では空港、登山許可を取る観光局事務所、山中ではレンジャーステーション以外では英語は全くと言っていいほど通じない)。

12月19日朝6時、車で4時間ほどチリ国境方面に向かい、アコンカグアへの入山地点であるプエンテ・デル・インカでBC宛荷物をミューラに積み込む。二人で60kg、ラバ一頭分制限ギリギリだ。レンジャー・ステ―ションで入山手続きを済ませ、広大なオルコネス谷への第一歩を踏み出した。オルコネス谷は、アコンカグア西面のHorcones Glacier から流れ出る谷と南面のLower Horcones Glacier との合流点であるConfluencia Camp3300mまでは地面に貼りついたような若干の植物が見られるものの、そこから上流は全く植生のない赤土の谷で、流水も赤土のために茶褐色の文字どうりred river valley となっている。
日陰を作る樹木が全く無い砂漠なので、日中は暑い事この上ない。オルコネス谷入り口の オルコネス湖から、正面に雪を抱いて真っ白なアコンカグア峰が遥か遠望できるが、何しろここから頂上まで42kmという途方もなく遠方のせいか、高度差が3,700mもありながら、 ほんのちょっとした山にしか見えない。

以後、桁外れの大山塊の懐に擁かれ、1月2日までをこの山中で過ごす。当初計画では予備日を含め幕営23泊の予定が、サミットを極める事が出来ず途中撤退、また臨機応変の日程変更もあり、約一週間の短縮となった。日程の詳細は割愛し別稿に譲るとして、ここでは高度障害などについて記してみたい。

計画でも実際にも高所順応期間・順応行動を充分に取ったつもりであったが、川アが第2日目あたりから咳を多発、発声できなくなる。数日後に復調するが、大塚が同じく咳を多発し始め、行動が不自由になる。C2のNido de Condores (5,350m)に滞在中、レンジャーから下山勧告を受けた(帰国後、高所医学の専門家に聞いたところ、肺水腫の一歩手前の状態であったらしい)。それ故、川ア単独でC3のCamp Berlinの上(6,030m)まで登り、時間切れで“勇気ある”撤退を余儀なくされた。民宿で同宿したI隊Y氏(26歳)はB.C.(4,270m)に至るまでに昏睡、ヘリで市内に搬送 され入院、同じくI隊M氏は頂上を極めるも下山後昏倒入院し、日本から家族を呼ぶ事態になる。登山道ですれ違う下山者に声を掛け“succeeded to the summit?” と成果を尋ねると、“No,because of the mountain disease”、“high wind”、“extremely lowtemperature
”などと7〜8割が登頂を断念しているようだった。

アコンカグアは高所順応に成功し且つ天候に恵まれれば、技術的にはイージーな山である。6,030m地点までは\1,450の“スニーカー履き”で登れた。(残り1,000mは、プラ・ブーツが必要)。しかし、「ドえれぇ」山だった。とにかく大きい。とにかく長い。そして高い。氷河から派生している小さな?尾根がある。それだけで“丹沢山塊”全体の広さ長さがあるのではないか?オルコネス谷も、30分と睨んだ前方の目標物が現実には2時間を要した。 人間と自然の「比率」が全く異なっているのだ。大いなる哉!アンデス!!  

サミットに立てなかった事に悔いはない。還暦を過ぎてもまだまだやれる、再度挑戦の口実が生れたと、前向きに評価したい。余った日程でメンドーサからブエノスアイレスまで1,100km片道14時間のバス旅行、空路ブラジルとの国境イグアスの滝見物、そして帰路はペルーのリマ、ニューヨークに遊び1月中旬帰国、登頂はできなかったがそれなりに楽しかった33日間の旅を終えた。

 


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