◆南コーカサス自転車旅〜未だ遠いローマへの道〜 赤澤東洋

  日程:2008.5.29〜6.16


       アララット山を見ながら自転車を走らせる。中央は坂井康悦さん

 広大な大地ユーラシアの東西を結ぶシルクロードには、ステップ路、オアシス路、南海路と三つの道がある事は
よく知られていますが、遠く離れたそれらの道を南北に繋ぐ道もあってこれもシルクロードです。大きく分け五つあ
りますが、その一つが地中海東岸地方からタブリーズ、トビリシを経て南ロシアのアストラハンに抜ける道であり、
今回私と坂井康悦さんは、国立市在住の長澤法隆氏が主催する市民団体「シルクロード雑学大学」の<コーカサ
ス探訪隊>に参加してその一部、イラン西北部、アルメニア、グルジア、トルコ東北部の4カ国を自転車で走り抜け
てきました。この一帯は文明の交差路とも称され先年NHKの「新シルクロード」シリーズ<激動の大地をゆく>でも、
<炎と十字架>として第1回目に放映されましたので、ご覧になられた方もおられると思います。

 自転車での参加者は9名(内女性2名)、出発地はイラン第二の都市と言われるタブリーズでした。ここは13世
紀にはモンゴル帝国の一つであるイル汗国の都として栄えた歴史があり、今でも「アルゲ・タブリーズ」という街を
守る巨大な城塞や15世紀中頃のブルー・モスク等の建物が残り往時を偲ばせています。
 タブリーズからは自転車とバスを乗り継ぎ、その日の内にアルメニアに入国しました。砂漠と岩山ばかりの荒涼
としたイランから一歩アルメニアに入るとその風景は一変、みるみる緑が増えその変り様に目を瞠ったものです。
それもそのはず、アルメニアは国全体が3千メートル級の山々に囲まれたアルメニア高地にあり、チグリス・ユーフ
ラテス川の源流地帯になっているのです。遠く残雪の山々を望み、路傍には名も知れぬ花が百花繚乱色とりどり
に咲き誇り、特に芥子のシーズンらしく、明らかに栽培されている芥子畑もありその深紅が鮮やかで、たびたび自
転車を止めてはカメラを構えてしまうのでした。そんなお花畑の中ですから、下りとなるとそれはもう爽快そのもの
です。
 左手にノアの箱舟で有名なアララット山(5165m)を見上げる緑の大原野の中、坂井さんは軽く50kmを越すス
ピードで気持ち良さそうにこちらを追い抜いていきます。スキーでもそうだったから、先輩は相当のスピード狂と思い
ます。こちらは度胸が足りず、ブレーキ握りっぱなしのへっぴり腰、とても追いつけないのでした。
 日差しは眩しく、上り坂ともなれば頻繁にギアを入れ替えてもう必死です。喘ぎ喘ぎペダルを漕いで健脚揃いの
皆さんに遅れないよう頑張りました。汗びっしょりですが、それでも湿度は15%程度しかないので、乾いていてそ
う不快感はありません。道路は舗装され大都市を除けば交通量は少ないのですが、100km以上の猛スピードで
爆走する大型トラックには要注意です。それでも行き交う乗用車やトラックは私達を見ると皆さん一様にクラクション
を鳴らしたり、大きな声をかけたりして歓迎してくれるし、時々通過する小さな街では大人も子供も「アロー」と声を
かけて手を振ってくれます。お茶に誘ってくれる人もいたりして皆さん本当に友好的です。こちらも「バレーブ」(アル
メニア語でこんにちは)とか「ダスビダーニア」(ロシア語でさようなら)とかにわか覚えの言葉を駆使して大声あげて
走り抜けます。こういう時本当に何故人々は憎しみ合い、殺し合うのだろうと思ってしまいます。古来宗教、民族入
り乱れるこの地方は紛争が絶えず、繰り返される戦火の歴史をひも解く時、その壮絶な悲劇に言葉もない思いがし
ます。特にアルメニアは20世紀初頭、オスマントルコによる大量虐殺という暗い民族の悲劇を背負っており、これ
はナチスのユダヤ人虐殺に匹敵する民族の撲滅を謀った「ジェノサイド」と言われています。100万人とも150万
人とも言われるアルメニア人が虐殺されたとされていますが、トルコ側には謝罪する気はなく両国間は冷え切った
ままです。長い国境を接する隣国のアゼルバイジャンともトルコ系民族という事もあり国交は途絶えており、アルメ
ニアという国はわずかにイランとグルジアとの間細々と往来があるだけですが、人々の顔は明るく希望に溢れてい
るかに見えました。長いロシアの統治を離れ独立した事で、民族主義がますます強化されているのだと思います。

 グルジアにしても同じです。EUへの加盟を申請し、それがロシアの大反発を呼び隣国との緊張関係は予断を許
しませんが、人々は明るく元気です。特に若い女の子達は弾けていました。私達自転車隊に向って車の中から
「What are you doing here?」と叫んでいた娘さん、レストランの前でボヤッと立っていたら数人でワァッと寄ってき
て右手を差し出した女子学生、こちらは思わず跪き西洋の騎士の如くうやうやしくその手にキスさせてもらったもの
だから女の子達はキャア キャアと大喜び。こういうの いいですね。
 シルクロードについては聞いてみましたが、現地では皆さんまったく関心ないようです。通過した途中にはモンゴ
ル時代の要塞とか紀元前4500年前の天文台跡とか古い遺跡が残っていますが、古い事よりこれから先,未来が
大事なのだというのが正直な現状なのだと思いました。

 自転車での全走行距離は520km程でしたが、転倒事故が2件ありました。男性が放し飼いの牧羊犬2匹に追わ
れ転倒、これは右ひじの裂傷だけで済み後半の自転車走行には支障がなかったのですが、女性がマンホールを
避け損ねて転倒した時は、右大腿部打撲で満足に歩く事も出来ない程で後半はずっとトラックのお世話になってい
ました。彼女転倒時に顔も打ってしまい、前歯が折れたりと散々でした。私も長い下り坂を40km位で気持ち良く飛
ばしていたら、蜜蜂の集団の中に突っこんでしまい左目の縁を刺されて急ブレーキ、危うく転倒という場面がありヒ
ヤッとしました。坂井さんは山の中のロッジで鍵トラブルに遭遇、部屋から出られなくなりトイレに行けず大弱り、止
むに止まれずペットボトルをトイレの代用にして窓から捨てたそうです。別室だった私はまったく気がつかず朝にな
ってそのお話を聞き思わず笑ってしまったのですが、ご本人にすれば切実な問題だったに違いありません。笑って
失礼しました。その他夜間12時過ぎると断水となり、トイレが使えなくなり、朝8時半になるまで顔も洗えないなん
てゲストハウスもあり、至れり尽くせり何でも揃う便利な日本からみるとまだまだ不便な点が少なくありませんが、
まあ贅沢は言えません。

 概ね天気には恵まれましたが、山の天気が急変するのは日本と同じです。朝、いい天気だったからと半袖、短パ
ンでいると一転俄かに掻き曇り雷鳴轟き大粒の雨に見舞われ、震えあがってしまうという事になります。特に自転
車の最終日、トルコでは2200メートルの高原で突風と雹に襲われ、気温は急速に低下、トラックに緊急避難して
寒さに震えながら嵐が過ぎ去るのを待ったものです。
 食べ物はナンやパンが美味しかった。焼きたては本当にいけます。グルジアの「ヒンカラ」という大きな水餃子も
忘れられないし、トルコのケバブ、グルジアのワイン、アルメニアのコニャック、いけました。山国なので水は豊富で
大体どこも生水が飲めたし、19日間で下痢をした人は誰もいなかった点、ヒマラヤとは大違いです。

 最後はイランに戻りテヘランから帰国しましたが、イランで困ったのがアルコール類が一切禁止されている事です。
飛行機の中からですから往復丸々6日間はお酒が飲めず、これには皆さん往生していました。お蔭で体調良くなっ
たよなんて言ってる人もいましたが、<これさえなければなあ> というのが正直なところです。
 自転車はまだ1年にもならない初心者ですが、何とか走りきる事が出来ました。「シルクロード雑学大学」では、
引き続き20年計画でローマを目指しています。今年は9月にトルコ国内を走り、2011年にはイスタンブールから
ソフィア、2012年にはブダペストから最終ゴールのローマに入る計画です。皆さんも如何ですか?



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