◆ 雷鳴轟ろくチンボラソ(エクアドル) 赤澤東洋
     〜 アミーゴ アディオス!合掌〜

  ◎期日=2009年4月6日〜23日
  ◎パーティー=赤澤、坂井、川崎



 (雷鳴轟く標高5100m、ここから撤退。後方はウィンパー小屋)

  2009年4月14日(火)エクアドル入国後9日目、私達3人はいよいよ念願のエクアドルアンデスの最高峰
チンボラソ(6310m)に向かった。野生のアルパカが走り抜ける荒涼とした広大な高原に切り開かれた悪路を
辿り、標高4800m地点に建つカレル小屋に到着すると、途端にパタパタと音を立てて大粒の霰が激しく降り
出した。表面を覆った水滴がヒゲのように見える霰で、みるみる内に小屋の周辺は真っ白になる。「なんだよ。
今度はアラレかよ。まったくついてねえなあ!」と嘆く3人。しかしそれは次の場面に向かう序曲にしかすぎな
かったのだ。何事かを暗示する前触れ。

 パタテ市近郊のホテルLeitoの標高が2600m、車の入るカレル小屋までの標高差2200mは、静岡県富士
市の海岸から富士山の新五合目に至る標高差とほぼ一緒なのに、道路事情を割り引いたとしても富士山が
1時間位で行ける所を2時間半もかかっている。それだけここは山が大きいという事だろう。今日も天気は悪
い。エクアドルにきてからまだ一度も太陽を拝んだ事がないのだから、まったくついてない。<雨男は誰なん
だ、エッ>

 小屋で温かいコーンスープを頂戴し、12時丁度出発する(夜中の12時ではない)。昨日はかなりの降雪が
あったようで、頂上を目指したパーティーは皆引き返したとガイドは言う。ウインパー小屋へ向かう登山道はい
つもなら砂礫帯なのだが、降り積もった雪や霰の中に先行者のトレースが明瞭についており、38歳というガイ
ドのクリスチャンに先に行けと促されまずは先頭を切って歩き出す。5000m近い高度なのに、今日は結構いい
調子だ。背中のザックも軽いのだが、さすがにエクアドルも9日目となり高度順応がすっかり上手くいっている
からなのだろう。息苦しさを感じず全然ハアハア、ゼーゼーしない。3日前のコトバクシでは、まともに10歩と
歩けず、すぐ立ち止まっては金魚のように口をパクパクさせていたのが嘘のようだ。これだったら予定通りに
頂上を目指しても良かったかなあという思いがチラッと頭をかすめたが、それは未練というものだろう。今回は
コトバクシの失敗からすっかり弱気となり、ハナから頂上を断念し5500m地点のウインパーピークに目標変更、
それゆえに昼間の出発となったというわけである。それにしても3日前のコトバクシはあまりにも酷すぎた。
そもそも夜中の11時半出発で調子が狂ってしまったと言える。寝不足の上に高度障害が重なれば、うまくい
くはずないというもの。ひ弱な我が身が情けない。

 カレル小屋から70〜80メートル行くと、セメントで固めた大きなケルンがあり、その先でインディオの青年が
2人、道普請をしていた。頭陀袋のようなお粗末な防寒頭巾をすっぽり被り、長い鉄棒の先に山芋堀りに使う
ような細長の刃先を持つスコップを手に砂礫を穿りかえしている。霰はいつしか雪に変わり頭陀袋を改良した
粗末なフードでは、いかにも寒そうだ。珍しく体調のいい私はご機嫌で、俄か仕込みのスペイン語を駆使して
ご挨拶。「オラ ブエノス タルデス」(こんにちは)、「コモ テ バ」(元気かい?)、「アミーゴ」(友達)、
「アディオス」(さようなら)。1人が白い歯を見せ「ブエノス タルデス」「アディオス」と返してくる。おたがいの
運命が交差した、天国への分かれ道。どちらにころんでもおかしくない運命の岐路であったことに気づくすべも
なく、笑顔ですれ違った私達。

 雪も心なしか小降りとなり視界が少し開けてきたかと思う間もなく、突然閃光が走り横から雷鳴が轟いた。
まさにそれは一気にやってきたのだった。急変する山の天気。連続して襲ってくる凄まじい稲妻と轟音。逃げ
場のない雪原で遭遇したまさかのカミナリ。<ヒヤー、今度はカミナリサマのお出ましだ!参ったなあ、もう!
>。とんだクライマックスを迎える事になったものだ。思わず40年程前の松本深志高校生の西穂の落雷事故
を思い出し生きた心地もない。重ね重ねの悪天候に<クソッタレ!!エクアドルなんて大嫌いだ!>と思いっ
きり悪たれをついてやる。
 隠れる場所のない雪原に身をさらし<どうすりゃよかんべさ>と途方に暮れて最後尾のガイドの顔を窺うと
彼は「行け」と顎でうながす。日本なら山小屋に駆け下って避難するのが常識なのだが、こちらでは通用しな
いようだ。上下から左右からと所かまわず連続する稲光と轟音<くわばら、くわばら、スガワラサマ>と呪文
を唱え、<私達にだけは落ちませんように>と先を急ぐ。ところが早く早くと気は急くものの、なんせ5000メー
トルの高所、走ることなど出来ない。坂井さんはストックを手にし、ピッケルをザックに刺している。少し前の常
識ではこれはカミナリを誘導しているようなものと言われていたが、最近のカミナリサマは金属があろうがなか
ろうが、所かまわず落ちるらしいので特に注意もせずにほおっておく。
         
 それから100m程先にぼんやりと見え出したウインパー小屋までのなんと遠かったことか。カレル小屋から
50分程で高度5000mに建つウインパー小屋に辿り着いた時は<ああ、助かった!>と正直ホッとしたものだ。
ところがガイドはものの10分も休むと「さあ、出よう」という。「エッ!!このカミナリの中出かけるの?」、普通
だったら断固拒否するところだが、こちらもはるばるやってきたエクアドル、体調もいいしもっと上へという欲も
あり、現地のプロが保証するんだから<大丈夫なんだな、きっと>と都合の良い方に考えて唯々諾々と従って
しまうのだった。相変わらずの雷鳴、歩き出したものの案の定やっぱりダメで、結局100m程登った所で、
「頭の周りで電流がチカチカしてきた。危険だから退却しよう」とガイドが言いだし、こちらも<それが当然>と
即座に賛成しウインパー小屋に駆け下る。

 1時間後漸く収まったのを見計らい、カレル小屋まで下ると小屋番が「落雷事故があり、道路作業中のイン
ディオを直撃し、1人即死した」という。私が話しかけた彼等が事故にあったというのだ。なんという事だろう。
まかり間違えばそれは我々であったかもしれないのだ。まったくの運、不運。運命のいたずら。彼がこの世で
言葉を交わした最後の人が私だったとは。話を聞いた私達は思わず顔を見合わせ、粛然としてしまったのだ
った。
 車で下っていくと、車が数台止まっており、小型トラックの荷台には遺族なのだろう、赤や青のポンチョを肩
にかけた7〜8人のインディオが、泣きはらした顔で途方に暮れていた。その傍らでは警官が3台のテレビカメ
ラに向かって事故状況を説明している。「今夜のニュースで流れるでしょう」とガイドが言う。哀惜こめて奏でら
れた終曲、思わぬ展開に襟を正した私達は、我々の身代わりになってくれたのかもしれぬインディオの青年
に心から哀悼の意を表し山を後にしたのだった。合掌。


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