【ゴーキョピーク・トレッキング】

古林 宏

■あっ、あれがエベレスト


                            ゴーキョピークからエベレストを望む                               

≪ゴーキョ・ピークハント≫

アッ、あれがエベレストか! いや違う、あれはローチェだ。エベレストはあの高い方だ。朝日に淡いオレンジ色づけされた三角形のひときわ高い山がクローズアップされる。目に焼きつく映像を、頭の中にしまってあるイメージと重ね合わせる。8,848m。世界の頂点だ。直ぐ右にはローツェの8,501m。さらにその右奥にはマカルーの8,463m。左右に広がる地球の屋根、感激だ。一度聞いても覚えきれない数で、世界の名峰が右から左まで視界を埋める。山に登る人間として一度は自分の目で見ておきたかったエベレストがそこにある。イエローバンドは見えないのかな? 登るとすればどのルートなのかな? いや、こんな神聖な山は見ることしか許されないのではないのか。ここに登ろうと言うのは大間違いだ。9合目辺りで念願の展望に足を止め、これまでの疲れを吹っ飛ばす。しかし急にガスが!

朝5時前にロッジをスタート。ゴーキョレイクを下に見て、ジグザグ登りの高度差570m(4,790m〜5,357m)。昨夜から降った雪が山肌を覆う。場所によって足が滑るのでアイゼンをつけるが、雪面に石がゴロゴロして登り難い。明るくなってきた。快晴だ。このところ天気がグズグズで今日しか無いというチャンスにこの晴天。雲ひとつ無く晴れて心が弾む。なんとラッキーなんだろう。4月29日午前8時30分ゴーキョピーク、5,357mアタック成功。ガイド役のポーデルと抱き合って喜ぶ。6人が登頂成功。一番元気な猪瀬さん、先日70歳の古希を祝う。只1人の女性、最年少で酒豪の名倉さん。絶対にエベレストの好い写真をとるゾの赤沢さん、1人だけ下痢も高山病も関係のない元気者の野口さん、それに今日をエンジョイ型の川崎さん。そして謹厳実直と見られた私。

アレッ、霧が昇ってきた。エベレストがガスに隠されて見えない! 30分遅かったか・・。ここまで来るのに何日間? 23日にルクラ(2,840m)から歩き始めて今日で7日目。全16人のメンバー中ここに居るのは6人だけ。大塚さんに感謝しなければ。朝の4時にもう1人の野口さんの状況を再度確認したところ、直ぐにヘリを呼ぶことになった。ロッジに残る3人は体調が悪い。リーダーは高山病メンバーの世話で途中待機。私がサブリーダーということで残るべきか? いや、私はピークアタックの責任者だから・・? 大塚さんが、私が残りましょうと申し出られる。深々謝々。今年、アコンカグアに3度目の正直でチャレンジする予定という。成功を祈ります。

16人中、9人が高度障害。しかしその後、ヘリで降ろされた2人を除いて全員が初期の目的を達成できた。下山途中で念願のエベレストビューが実現したのだ。少しでも早く低いところにという、毎年耐久レース出場のタフネス小室リーダーからの連絡で、ピークから下りたその足でゴーキョを出発。16時にマッチェルモ(4,470m)着。翌30日、さらに下山を急ぐ。マッチェルモ〜ナムチェバザール(3,450m)間で、なんとエベレストが見えるではないか! 下山ルート途中の仏塔のあるところで日本人トレッカーから、‘見えますよ’と言われて振り返る。‘バンザーイ’と大歓声が上がる。6時までに着きたいという予定を、そんなものどうでも良いと崇高な山に我を忘れて疲れも吹っ飛ぶ。左右の名峰群、谷間の急流に段々畑。絵に画いたような構図だ。ガイドも知らなかったの?ここはエベレストビュー街道と名づけよう。

≪やっぱり違う高い山々≫

山を見上げるのに顎をさらに上げなければならない。あの山で6,000m台。だとするとエベレストはさらに3,000m程上に。その頂上は一体何処にくるのだろうかと思う。ヒマラヤはやはりヨーロッパアルプスとは違う。数回登ったが、こんな威圧感は無かった。夜の山がまた素晴らしい。トイレに起きると(一晩に多いときで4回も起きるのだが)先ず、星の大きさが違うのに驚く。大きい星なので金星かと思ったが、金星が見える時間ではない。東京で見る金星よりは大きく、明るさが違う。誰かが木星だよと言った。そうだとしよう。月明かりに照らされた白い氷壁。前にも後ろにも、そして横にも、静寂の中、慄然としてその存在を誇っている。そんな感動的光景を尻目に、皆がダウンして動けない夜明けに、そして夕日の山に、一人登ってシャッターチャンスを求めるのは赤沢さん。この人が一番のタフネスかも知れない。

チョ・オユーを見た。28日、マッチェルモ(4,470m)からの登り途中で視界が開け、なだらかに感じる白い山容が正面に展開。凄みは無い。むしろ俺にも登れそうだと思わせる。登山人生の中で、もしかしたらチャレンジできるかも、でもお金と時間の・・、という微妙な存在である。神の山のクンビラ(5,761m),ギザギザが格好良い真っ白なクサン・カングル(6,369m)。タウチェ(6,501m)、タムセルク(6,608m)。マッターをネガプリントしたような雄姿のアマダブラム(6,856m)。初めの頃はトレッキングルートから見える白い頂の見上げるようなその威圧感に、あの山は何だ何メートルだと歓声を上げて立ち止まっていた。帰り道ではただ漠然と見上げるだけの山となる。何度聞いても忘れる山の名。毎日10kmを走る古希の猪瀬さんが、今度未踏峰を登る予定だという。凄い!

≪高山病とその顛末≫

一番の原因は睡眠薬ではないか? 結構大勢の人が睡眠薬を準備して、調子の悪くなった人にはその心当たりがある。よく寝てやろうと思ったのが裏目になったのか? 医者は飲んではダメと言っているヨ! いや食事だよ。同じメニューの繰り返しで食欲がなくなって体力を消耗。それが一番の原因だよ、と小室リーダー。何度も来ているこの人が、途中で高度障害になるとは思わなかった。こちらは高山病ではないが、1人を除いて全員が下痢。下痢をしても食事を詰め込む人。早く直すには食べないで、新しいのが入るのをストップしないとダメという人。さまざまである。
いや、やはり個人の体質だね。3,400メートル辺りが1つのポイントで、ここいらあたりでの調整スケジュールの組み方が一番大事なのでは? 今回は飛行機のスケジュール変更が原因で1日の段取りが狂ったことが一番いけなかったのかも知れない。1人は4,400mで小尿がストップ。1人は4,000m辺りからヘリで運ばれ、病院で2日。もう1人も歩行難と頭クラクラで4,800mからヘリで下山。1人は眠気と頭痛で途中ストップ。2人が歩行困難。2人はむくみと歩行難。1人は下痢と風邪。16人中、9人が何らかの高度障害。いずれも4,000m辺りで発症だ。

高山病の判断は難しい。本人は登りたい一心で判断が遅れ気味になり、その時には判断力が無い。まわりでの観測には甘さが入る。判断には経験と、情を乗り超える決断が必要だ。ガイドは懸念情報を提供してくれるが、本人に言い渡すのはその気持ちを汲んで遅れてしまう。オキシメーターのような有無を言わせない客観データが欲しい。当然のことだが、足の遅い人をトップにするので時間がかかる。若いポーターに手をとってもらう酒井さん。ご機嫌だね。しかし、普段、足の速い人はリズムが違って自分のコンディションに狂いが出る。半病人を先頭に、予定の時間を大幅に遅れて腹が空く。

≪食事のことやネパールのこと、花や鳥、あれこれ≫

部屋にいて、朝の一番にティーカップにホットティー。運ばれてくる温かいお湯で顔を洗う。泊まるロッジではポーターは良くやってくれるが運んでくれた食事、毎日同じ料理が出る。圧力釜でのご飯がおいしく感じるのは初めの間だけ。おにぎりや巻き寿司、卵焼きにユデ卵。それよりは彼らの現地料理の方が良い。そのうちに、とにかく腹に入れて置こうだけの義務的な仕事になってしまう。それにしても日本人にはやはりお粥が一番。日本から持ち込んだ振り掛けや海苔と梅干。あとはジャガイモとスープだけを受けつける。周りを見ていると外国人対応の料理がロッジから出されている。エベレスト街道はヨーロッパの人が多く、古くからそんな人に対してフランス料理が出されるのだ。電気も無く、料理人などいない山奥のロッジで、美味そうだネ。今度はアレにしよう。

天気が良く変わる。午後に入るとそれまでの青い空が霧のような低い雲に覆われ、時々パラパラと雹か霰混じりの雪となる。時に強い風で耳が痛くなり、フードを引っぱる。すると何時の間にか太陽が出て、中間着を一枚脱ぐ。ロッジに入るや否や、外は強い吹雪となっている。あっという間にあたり一面が雪化粧。山肌もロッジの屋根も白い世界となる。食事を終えて外に出ると、月が煌々とあたりを照らし星がきらきら。目の前に神々の住む世界が展開する。

石垣で囲まれた段々畑が日本とのつながりを想わせる。この石垣はどんな目的からかなと。初めは風除けだろうと考えたが、家畜が放し飼いにされているので、中に入られないようにする、そのためであろう。何年かけての事か。それにしてもトイレの工夫は他でも真似が出来ないものだろうか。終わった後に前に積んである枯葉を落とす。それだけで、もう臭わなくなる。見た目にも良い。

鳥はなんと言ってもコンドルが圧巻。悠然と飛んでいる。なんという大きな鳥だろう。写真を撮ろうとするが間に合わない。ゴーキョからの下りで瑠璃色の鳥に出会う。中型のオナガほどの大きさだ。近くに寄る。目の覚めるような瑠璃色がなんとも綺麗だ。ゴーキョレイクでは鴨のような鳥を見た。5,000m近いこんなところで何を食べているのだろうか?湖には魚など居ないだろうに?

花はなんと言っても石楠花。黄色い花が咲く。なかなか見つからなかったが、4,000mの手前辺りで発見。ピンクや赤の他、白色の群生。木の大きさも違う。下には桜草に野イチゴ、スミレも花を。小さい青い花はアヤメ? それとも小さい花のアイリス? 白い山を背景に牧歌的なネパール人の家。麦の穂に黄色い菜の花。桃源郷と呼ぶにふさわしい雰囲気だ。

もう一度ゆっくり来ることにしようではないか。

 


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