【ゴーキョ・ピーク・トレッキング】

小室 豊

■ゴーキョピーク顛末記

 
ヒマラヤ襞を纏ったクスムカングル峰(赤澤東洋撮影)


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今回のネパール・ゴーキョピークトレッキングは国内旅行社を利用せず、立案から計画実行まで、全て自前で行ったものです。計画から完了までのいろいろなトラブルが発生しましたので、その顛末を紹介しておきたいと思います。なお、トレッキング中の報告についは参加者の報告を参考にして下さい。

≪計画≫
ネパールはインド洋のベンガル湾から吹き付ける季節風によって5月中旬から10月初旬までが雨季で天候が安定せず、トレッキングや登山の最適期は10月中旬から5月初旬までとされている。このことを勘案して今回の計画は4月21日から5月5日までとした。これは日本からネパールまでの直行便が関西空港から週2便しか飛んでいないこともあって、この便に合せたものでもあった。

参加希望者はH15年末までにほぼ決定していたため、H16年に入ってからは詳細行程の検討と、参加費用の算定に入った。当初計画では1人当たり250,000円程度としていたが、2月初旬に日本〜ネパール間航空券が98,000円で入手できることが判明したため、200,000円以内での計画実行が可能になった。現地での世話は私の10年来の友人で、昨年来日し私の家に泊りながら、東京野歩路会の鹿島槍ケ岳山行に参加したEverest Journeys Pvt.Ltd.のDilip Thapa(デリップ・タパ)社長に依頼した。行程的には意見の相違はあったが、1人$709と申し入れてきた。後は現地のトレッキングパーミッションとカトマンズ〜ルクラ間航空券の確保であるが、これもそれほど問題なくクリアできた。しかし、4月に入ってから航空券の入手がなかなかできない事態が発生した。それは帰国日が5月5日のゴールデンウィークの最終日であることと、上海経由のため中国でもこの日はネパールからの搭乗者が多く、かなりオーバーブッキングしているようで、帰国のリコンファームにいろいろな条件を付けてきた。72時間前までにリコンファームしなければならないのだが、現地到着翌日にリコンファーム、せよ、ネパール滞在中の宿泊場所を明確にせよと言ってきたのである。山に入ったら電話連絡不可能な場所である。E-mailでタパにローヤルネパール航空に折衝させ、ようやく納得させ発券できるようにした。しかし、出発6日前の4月15日(木)アフターファイブに赤チョウチンで飲み始めたときである。携帯が鳴りはじめたので、耳にすると航空券を手配しているJTBの担当者から4月21日のフライトがキャンセルになりましたとの連絡が入った。こちらはご機嫌「アア、そう」。翌朝サァ大変、「参加中止する人が出るのもやむを得ない、現在代替案を検討中」と参加者全員にメールし、勤務先を抜け出し代替案を持ってJTBに飛び込む。バンコク経由が提示されたので、成田から飛べないか、関空なら21日0時25分発にならないかと交渉したが、結果は22日0時25分発になり、現地行程は結局1日遅れ。気になるのは、1日遅れによる無理な日程になると高山病に襲われることであった。幸い行程を精査した結果現地行程に無理をかけずに計画を遂行できることが判明した。関空では全日空ホテルに仮眠させてもらい、サービスで定評のあるタイ航空(TG)乗れたことで全員大満足。

≪参加者の半数程度高山病に≫
航空機の関係で行程が1日遅れたが、トレッキングは快調に展開した。4日目、クムジュン(4,000m)からドーレ(4,200m)まで食欲が減退した人、睡眠不足の人が2、3人発生したが、全員体調至って快調、登りが弱い人の面倒を見る程度であった。5日目、ドーレからマッツエルモ(4,400m)の僅か200m高度差、歩行時間4時間、おかしなことを主張する人が現れる。一見当たり前の話であるが、無意識のうちに力んでいる話である。一人ひとりの言葉と、振る舞いをチェックするとかなり高山病にやられている傾向が急に出てきた。1名停滞にリーダー命令を発動。ゴーキョへの続登はSLのF氏に指揮をとって貰い、私はマッツェルモに留まることにした。しかし、全員のチェックに漏れが発生した。マッツエルモを出発して1時間程、かって10数年前雪崩で多くの日本人が遭難死したパンガから、ガイドに支えられながら2名が下山してきた。その内1名はロッジに着いた時には意識不明になりかけていた。幸いマッツェルモには診療所があり、早速医師に見せると直ぐ下山させよとのこと。ヘリを手配するが、天候が悪く飛来するかどうか定かではない。また、カトマンズに下しても本人にとっては事情が分らず、右往左往するだけだ。私自身が同道すると、残った人が困る。伝令だ。チーフガイトのタパとサブガイドのポーデルは日本語ができる。残っていた18歳ガイド見習(今回はポーター)はわれわれの足では最速2時間半以上要する距離を1時間で飛ばし、タパを連れて、往復2時間で戻ってきた。それまでにヘリが来ないよう祈った。間に合った。全員に不安を与えず冷静な対応が可能になった。しかし、医師から停滞している人は高山病に罹っているか、その気配があるので深夜(24時)になっても3,600m地点のホルツェテンガまで下山するよう指示される。

タパが戻ってきたからには、自力で歩行できる人たちを連れて下山することは、歩き慣れたコースなので心配はない。しかし、ゴーキョ組の体調が心配だ。18時頃再度伝令を派遣する。マッツェルモから見た上組の要注意人物を指定し、問題があれば翌朝早く伝令を戻すことを伝えた。
さて、次にすべき行動は、自力下山者を待機させ重症患者の治療である。幸いガモウバック(1時間$100)がある。ガモウバックに入れて、酸素吸入。本人は直ぐ眠くなる。眠り始めると酸素吸入量が少なくなり、警報が鳴る。警報が鳴ると中に入っている人を起さなければならない。このことが4時間ほど続いた。歩行下山は翌日でよいとの許可がでたので、この重症患者の回復に全力を傾ける。ガモウバックに入って2時間程でかなり体力が回復してきた。小用でバックから出る毎に意識がはっきりしてきた。21時、医師とタパ及び彼の部下が看病するから、私に眠れと言ってくれた。私も多少高山病の気味があり、他のメンバーのことがあるので、ロッジに戻り寝袋に入る。午前2時小用に起きたのを機会に診療所に向う。先生とタパは眠らず看病を続けてくれている。本人はバッグから出てベッドの上で寝ている。

先生もタパも生身、睡魔に襲われているようだ。3時頃仮眠を始める。今度は私一人での看病。5時、明るくなってきた。快晴。マッツェルモは天候がよければゴーキョまで登らなくても素晴らしい景観を呈している所だ。足の遅いH女史にこの景色で満足しただろうと話し掛ける。この人はゴーキョまでは登れないであろうが、この景色だけは見せてやりたいと思って連れてきたのである。そのために私はここで停滞した。この高山病騒ぎで、この停滞が非常に役に立ったのである。

午前5時少し過ぎ、伝令が戻ってきた。N氏が朝になってからおかしい、ヘリを寄こして欲しい。ピークへの登頂は6名に厳選したとのこと。成功を祈る。そしてヘリの飛来を待つがカトマンズの天候芳しくないとのこと。6時30分頃ヘリ到着、タパを乗せてゴーキョへN氏を迎えに向わせる。20分後雲海が一面に発生。ヘリはマッツェルモに立寄れず、3,900m地点のシャンポチェ空港に2人を下して、再度挑戦。雲が切れた瞬間を狙ってヘリ着陸。S女史をそそくさと搭乗させ見送る。オーストラリア人の先生も見送りにきてくれた。タパから上の様子を聞きたかったが、これも叶わず我々も早く下山だ。200m下のドーレで宿泊することにした。この200mは大変効果があり、N女史の高山病、A氏の利尿も回復してきた。先生もドーレで患者が出たと我々と前後してドーレへ、我々のロッジに立寄ってくれた。

翌29日8時にドーレを出発しようとしていたら、ピーク登頂組の若手ガイドがドーレまで下山してきた。昨28日にゴーキョピークに登頂後高山病を避けるため、そのままマッツエルモに下山してきたとのこと。われわれは足の弱いH女史のことを考慮して、予定通り下山開始。ナムチェ・バザール16時30分到着。後発隊は17時40分頃到着。S女史が高山病のためガイドに支えられながら下山してきた。ピーク登頂後そのまま下山したのはチーフガイドのタパの指示のようであったが、これは正解。

≪後始末記≫
ナムチェ・バザールでは予定より早く下山したため2日間滞在し、丘に登ってサガルマータを改めて眺望したりした。やはり3,400m地点まで下ると全員の体調はほとんど完全に復調した。

さて、今回のトレッキングで半数の人が高山病に悩まされたが、その原因を追求してみると食事にあったように思われる。衛生上から、全行程コックによる特別料理であった。最初のうちは珍しく、全員が美味しいと喜んでいた。しかし、現地人コックの味付けした料理はわれわれ日本人の嗜好には合わず、飽きがくるのは時間の問題だった。4日目あたりから殆どの人が食欲をなくしてしまった。一方食欲の落ちなかった人は元気でピーク登頂を果たしていることから、今回のトレッキングを通して食欲が如何に大切かを如実に示してくれた。もう一つ無意識的にとった行動は、トレッキング中各ロッジがほとんどツインであったことから、毎回部屋割りを変えたことである。これが結果的にお互いの気まずさを避けることになり、チームワークを最良のものとした。やはり海外旅行、特に不便な場所への団体旅行は可能な限り自由行動ができるようにしてやることだ。団体生活としての最低のルールは守ってもらわねばならないが、必要以上の制約は禁物である。

費用の方はカトマンズ空港での空港税とカトマンズ滞在中の食費を除いて、参加者から集めた金額は190,000円で、途中のトラブル処理費、8m/m編集費を含め、ほぼこの範囲で抑えることができた。

今回のトレッキングは当初から高山病を警戒しており、それを回避するように心掛けながら、その警戒したものに遭遇してしまったことを深く反省し、参加した皆さんにお詫びを申し上げて顛末記を閉じたい。



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