砂漠の果ての 赫い山ーシナイ山

木村 修

カイロを出て砂漠道路を延々250kmスエズに向かう。アフリカ大陸とアジア大陸を結ぶムバラク橋を渡るとシナイ半島である。この橋は日本の資金援助と技術で作られたもので橋の中央には日本とエジプトの国旗が描かれている。更にシナイ砂漠を行く。これから登るシナイ山の影すらない。全くの索漠とした平坦な砂漠が限りなく続く。エジプトの96%が砂漠であることも頷ける。間もなく検問で待たされ、警備のため警官2名が同乗する。さらに観光バス2台の到着を待って警察車の先導で3台のバスは護衛されホテルまで送られる。単独行動の外国人には厳しいとか。やはりツアーに参加したのが正解であった。エジプトでは外貨獲得の柱だった観光業も'97年11月に起きたルクソール観光客襲撃事件で大きな打撃を受け、さらにシナイ半島北部に隣接するイスラエルとパレスチナの関係が極度に悪化し紛争が激化、厳しい国際情勢の中にある。

シナイ山に興味を持って、もう長い。'58年の話題映画“十戒”以来である。預言者モーゼが十戒を授かった場所と言われる旧約聖書ゆかりの山は、またイスラム教開祖マホメットも立ち寄ったとの伝えもあり、イスラム、キリスト、ユダヤの各教徒にとって聖地であり、ミレニアムを境に観光巡礼ブームに沸いているという。このシナイ山は現地ではモーセ山の意のガバル・ムーサと呼ばれており、標高2285m。半島にはこれより高いカトリーナ山などもあるが、ずっと歴史的知名度は高い。

暑い夏を避け3月下旬、25人のツアーに参加した。山登りに弱い妻も同行することになった。実は、これも19世紀に造られた駱駝の通れる道があり途中までラクダをチャーターできることだった。つまり登山口に当たるセントカテリーナ修道院(世界遺産)脇の標高1500mから八合目位にある第四休憩所までは二本のルートがあり、一つは直登階段状の3000段の石段を登るコースと、もう一つは緩い坂道を迂回しながら第四まで行く俗にいうラクダ道がある。 しかし第四休憩所で階段コースと合流し800段の直登石段のキツイ登りを経て頂上に至る標高差約800mのコースである。

夜明け前のホテルを午前2時バスで出て10分、すぐに登山口に着く。真暗闇の中を登山者が促々と登って行く。この中をラクダ引きの男達が客引きで、がなりあっている。カミさんをラクダに載せたのち、その道を追うように登り始める。延々と登山者が続き、その脇を駱駝が登って行く。ヘッドランプの光を頼りに足下を見ながら、ひたすら登る。周囲は全く見えない暗がりを足早に道端を踏み外すことなく通り過ぎる速い駱駝には驚く。間もなく1800mにある第四休憩所に着く。カミさんは既に着いていた。ラクダの背に揺られながら見上げる満天の星は最高だったと満足気。第四休憩所では、トイレを待つ人の長蛇の列、その先には囲いだけのトイレが一つ。 その内待ちきれなくなった人々が暗闇に紛れて周りで放尿、「懐中電灯を点けないで」の女性の声もする。神々の山も時ならぬシャワーを浴びる。

ここから山頂までは800段の石段を登る。登り易く自然の岩盤を削ったようだ。30分足らずで登頂する。未だ午前4時を過ぎたばかり、日の出までは長い。ザックから防寒具を出して岩の上で星を眺める。山頂にはユダヤ教のモスクがあり世界中から巡礼者が集まるとか。この日も多くの人が来光を待つ。この登山者を目当てに化石や加工石を広げる商人もいる。やがて東の空がオレンジ色に染まり、周りの岩山が浮かび上がってくる。全く荒々しい岩々山々が褐色になって全体に広がる。力強い陽光が輝くと見渡す限り赫々と幻想的な世界が現出する。このために来たのかと感動する。この度の旅は、これで幕かと思った。

 


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