【ネパール独り旅 顛末記、2007年】 小室  豊

 4月23日から5月8日の16日間ネパールを独りで歩き、ネパールの国内情勢が安定したことの確認と
秋に計画しているアンナプルナ内院トレッキングの準備を主目的とする旅であった。
 ネパールの国情はすっかり落ち着き、マオリストの中心都市と言われたポカラの町も一日中のんびりと
レンタル自転車で見て回ることができた。また、ペワ湖畔は10年程前に訪れた時とすっかり様変りし、
ホテルや土産物店が所狭しと軒を並べていた。以前訪れた知り合いのホテルも壊されたのか、見当たらず、
新しく日本語が通ずるサクラ・ゲスト・ハウスという宿に泊まった。秋に計画しているアンナプルナ内院トレッ
キングはこのゲスト・ハウスがアレンジしてくれることになった。帰国後お礼のメールを送ったら、秋には
大歓迎でカトマンズまで迎えに行くと言っていた。
 主目的は上記のように達成できたので、この機会に独りでムスタン方面のジョムソンとカトマンズの奥座敷
と言われるランタンを単独でトレッキングすることを試みた。その概要を紹介してみたい。

◆ ジョムソン街道

 当初ジョムソンへは2泊3日の予定で、飛行機で往復することにしていたが、3日目、4日目と風が強く、
飛行機が飛ばなかったため、ジョムソン街道をポカラまで歩くことにした。普通少なくとも4日間は必要と
言われているが、2日間でポカラへ戻ることができた。ジョムソンは草木のほとんどない荒涼とした土地である。
雨は少なく、しかも風の強いところである。特に風は歩いていても飛ばされそうになるほど強く吹く時があり、
砂埃がかなり舞っているため、飛行機は欠航することが多い。

 4月25日;今回はジョムソン空港近くにあるホテル・マウンティン・ビューをベースにアンナプルナ一周トレッキング
コースの途中にある町カグベニを通り越して、ムスタン方面へ足を運んだ。カグベニはムスタンの桃源郷と言われ
ており、この地方では珍しく緑が豊かな美しい町であった。ここから山を巻く道路はあるが、私は夏道であるチベット
を水源地とするカリ・カンダキの広い川原を歩き、ムスタン方向へと足を運んだ。カグベニから1時間ほど歩いたとこ
ろで、渡渉を必要とするところがあったので、引き返すことにした。引返点より下流に丸木橋があるのに後で気付い
たが、時間の関係と空腹のため、先に進むことを断念した。
 羊を放牧する牧童は見かけたが、誰もいない川原を独りで歩くのも乙である。帰りは往路と同じルートでカグベニ
からエクレバティを通り、カリ・カンダキの広い川原をジョムソンまで約3時間歩き、16時過ホテルに戻った。  

 

 4月26日;この日は昨日通ったエクレバティより山に登り、アンナプルナ一周コースの聖地ムクティナートまで
足を運ぶ計画で5時30分に宿を出発した。朝食はエクレバティのレストランで摂った(うっかり代金支払いを忘れ、
復路で払った。)。食後右手の山腹を200mほど登ると、高原状の放牧地になっていた。途中、昨日訪れたカグベニを
上から眺めると、緑鮮やかな美しい集落であることを改めて認識した。この放牧地を1時間ほど行くと、エレクバティ
からカグベニ経由の道路と合流する。この地域は自動車がないため、バイクとトラクターがこの道路を通っており、
ジョムソンから途中のジャルコットまでバイクの後に乗ったトレッカーが多くいた。この地方のタクシーはバイクなのだ。
 エクレバティから3時間ほどで城砦かと思われるようなジャルコットに着いた。この地方の特徴かも知れないが、
城砦のような集落がかなりある。ジャルコット集落の中には砦のような建物があったが、今では朽ちて人が住ん
でいないようであった。
  ジャルコットから100m程登ったが、標高3,500m位になると足がかなり重くなってきたので、11時30分に引き返す
ことにした。ムクティナートへあと1時間程度であったが、シャリ・バテもあったので、ジャルコットへ戻って昼食にした。
観光ルートということもあり、なかなか洒落たレストランであった。昼食後登ってきた道を4時間ほどかけてジョムソン
のホテルへ16時に戻る。       

 

 4月27日;ポカラへ戻る日で、空港で飛行機の飛来を待つ。2時間ほど待ったが、結果として風が強いので
欠航となった。まあ、こういうこともあるわいと、ジョムソンでもう一日のんびりするのも結構だと思うことにした。
したがって、この日はジョ ムソンからマナンに抜けるアンナプルナ一周コースのサブルートにあたる5,099mの
メソカントゥ峠方面に足を運ぶことにした。
  カリ・カンダキの吊橋を渡りジョムソンの対岸にあるティニィという小さな集落を通り抜けて、対岸の山を登る。
ティニィは標高2,800m位(ジョムソンは標高2,750m)であるが、山を登ると3,000m位になり、山の裏側を巻く道
を進む。3,000mの高さになると、ジョムソンは当然であるが、カリ・カンダキの下流にあるシァンやマルファの集
落も望むことができた。
  誰もいない道をさらに2時間ほど進むと、3,200m付近で6軒ほどの無人のカルカに出っくわした。ここからさらに
100m登り、3,300m地点で引き返した。この日も朝食はパンとミルクティー程度しか摂らなかったため、やはり
シャリ・バテになっていたようだ。15時50分ホテル帰着。午後から雲が多くなってきたため、太陽熱で沸かす
シャワー湯は冷たかったので、シャワーは断念し、夕食を早々に摂り、早く就寝した。
 ジョムソンからアンナプルナ方面の山々は7,061mのニルギリ北峰、7,134mのティリィチョ峰、7,485mのカンサ
ール・カン峰、7,454mのガンガプルナ峰等7,000m級の峰はよく見えるが、アンナプルナはこれら山々の陰にな
って望むことができない。明日はこれらの峰々を空港の上70m位の高さにあるリゾート・ホテルへ登り、澄み切
った朝の写真を撮影してポカラへ戻ろうと計画し、ベットに入る。

 4月28日;朝起きてみると快晴である。昨日計画した通り5時40分にホテルを出て、リゾート・ホテルまで登り
写真を写す。しかし、ホテルに戻ってみると今日も風が強いので飛行機は飛ばないとのことであった。そのまま
ジョムソンに滞在しようかと思ったが、風が強いジョムソン空港から明日飛行機が飛ぶと誰が保証するのだろうか。
この機会にポカラまで歩いてみようと決心し、ホテルの一階にある搭乗予定のゴルカ・エァ・ラインの空港事務所
へ赴き、ジョムソン〜ポカラ間、ポカラ〜カトマンズ間の搭乗券のキャンセル手続きをして、7時25分にシァンに向
かって歩き始める。
  欠航ということで、かなりのトレッカーがバイクの後に乗ってタトパニ方向へ向かう。歩いているのは3,4人であ
る。シァンの集落はカリ・カンダキの右岸の小高い丘の上にあり、その麓を歩く。畑の麦畑は実りの時期少し前で、
沿道は結構快適である。シァンから40分程で、マルファという集落を通るが、町の中ではなく、500m程左側に離
れたところである。遠方から眺めてもなかなか小奇麗な町で、資料によるとユニークな町とのことで、数日間滞在
するトレッカーもいるようだ。この町はダウラギリの前衛6,000m前後のタシカンT・U・V、リトルトウクチェピーク、
ダンプス・ピークなどへの登山基地にもなっている。同じようにこれら峰々への登山基地になっているトゥクチェまで
はマルファから1時間程度である。
  私はこのトゥクチェのレストランで軽い食事を摂った。トゥクチェからは広い川原の左岸を歩く。右手(右岸)にコー
バン、ラルジュンの集落を眺めながら歩くが、その上にダウラギリの大氷河の末端を望む。ラルジュンを過ぎるあ
たりからカリ・カンダキは渓谷の様相を示し、ダウラギリから派生した山にカリ・カンダキはぶつかり、左に折れる。
歩道は左岸の山の中腹を巻きながら左に折れ、やがてコケンタンティに着く。この町で昼食を摂るが、ダウラギリ
の登山基地であることを知り、改めて左岸を見るが、高い丘に遮られてダウラギリを望めない。昼食後左岸を進む
が、直ぐ川原に出て、ダンプから右岸のカラパニの町へ吊橋を渡って入る。
  カラパニを過ぎてレーテという集落の外れで「ナマステ」と声を掛けられ、振り向くとムスタン・アンナプルナ入域
許可証の提示を求められる。その後カイク、ガーサを通り左岸へ吊橋を渡り、1時間ほど歩いて、鄙びた集落で宿
泊する。宿泊した場所はコプチェパニと思ったが、その手前であった。 

 

  4月29日;宿泊地を5時20分に出発する。対岸で道路建設工事をしていた。宿泊地を出発して20分位でコプチェパニ
に着き、ここから急降下の山道となる。下ってしまうと昨日宿泊しようかと思ったルクセ・チャハラである。地図上では
右岸に渡ることになっていたが、道はそのまま左岸を進み、温泉保養地のタトパニ手前で右岸に入り、タトパニに着く。
温泉保養地だけあってかなり大きな町であった。ここで昼食を摂るが、そのレストランの中学生くらいの息子がこれか
ら車の出るティプリヤンまで貴方の荷物をRs200でポーターしようと言い寄ってくる。私は自分の足で歩くのでポーター
は不要と断るが、結果として大失敗 であった。
  タトパニから車の出るティプリヤンまで2時間程歩く。ここでジープに乗車する交渉をすると“Rs2,500”と言う。邦貨
で\5,000である。タトパニで少年にポーターを頼めば、Rs1,000程度になったものと後で後悔しなければならなかった。
ティプリヤンからラグガートまでジープで40分程。ラグガートから徒歩10分ほどのところにあるガレスウォールからベニ
経由ポカラまでバスで約3時間で、さらにRs2,500と法外な料金を支払わされたが、予定通りジョムソンからポカラまで
計画通り2日間で歩くことができた。帰りの宿サクラ・ゲスト・ハウスのマネージャはこの行程に驚愕していた。
 ムスタン・アンナプルナトレッキングにはRs2,000の入域許可書が必要で、ポカラのペワ湖ダムサイトのACAPで取
得することができる。ジョムソン周辺を歩いてみると、車道はあるが、自動車は走っていない。走っているのはトラクタ
ーとバイクのみである。バイクはタクシー代りで、ジョムソン空港前には沢山バイクが待機していた。ポカラからティプ
リヤンまでは車は入れるが、それより上流へ車道がない。ムスタン地方(ジョムソンも含む)で最低限必要とするトラ
クターとバイクは空輸したのだろうか。現在道路建設工事がティプリヤ〜タトパニ〜ガーサの間で行われていたが、
建設が終わってもその保守維持が大変であろう。ジョムソン付近は勿論舗装はされていないので、タクシー代わりの
バイクの後に乗ってトレックする人は疲れてしまうだろうと他人事ながら同情してしまった。

◆ランタン・トレッキング

  計画より3日遅れたが、4月30日ポカラからカトマンズにミニバスで戻り、会員の岡田捷彦さんに紹介されたフジ・
ゲスト・ハウスに泊まり、翌5月1日ランタンに向かう。フジ・ゲスト・ハウスは多くの日本人が泊まり、日本語で対応
できる宿泊場所で、今後利用 したいなかなかよい宿である。

 5月1日;カトマンズ発7時のシャブル・ベンシ行のバスに乗り込む。トリスリに10時前に着いたので、目的地シャブル
・ベンシには13時頃に着くものと思われたが、トリスリからは舗装のされていないデコボコ道で、時速5km位のスピード
である。しかも左右に激しく揺られ続け、体のあちこちを座席の肘掛や前の椅子にぶつける状態。凄い道というより、
よくもこのような道にバスを走らせるものだと驚く。需要があるから走るのであって、安全無視で命の保証がないと言
えよう。シャブル・ベンシに着いたのは何と16時過ぎ。
  シャブル・ベンシではバス停の前のブッダ・ホテルに宿をとる。横浜から来たという日本人が3名泊まっており、
歓談する。彼らはランドクルーザで来たが、7時間かかったと言っていた。それほど凄い道である。ランタン入域にも
許可書が必要で、途中ゴサインクンドの登り口ドゥンチェの手前でRs1,000払って取得でき、バスはそこで待ってい
てくれる。

 5月2日;4時20分起床、5時20分出発。ボディ・コーシを渡る手前のチェック・ポストで許可証のチェックを受ける。
ボディ・コーラを渡るとシャブル・ベンシの本村である。ここからランタン・コーラに沿ってキャンジン・ゴンバに向かう。
途中ドミン、ランドサイド・ロッジ、バンブー、リムチェを通過し、ラマホテルに着く。普通はここで泊まるのが一般的
であり、高山病対策の常識であるが、私は一気にランタン村まで上った。2,340mのラマホテルからはかなり急な
登りとなり、グムナチョクを通りゴラ・タベラに着く。ここからは高原状態になり、ランタン村が遥か彼方に佇み、
ランタン・リルンなどランタンを代表する山々を拝むことができた。
  ゴラ・タベラから100m程登ると陸軍のチェック・ポストがあり、チェックを受ける。ここからチャムキを経由して
3,500mのランタン村に着いたのは16時53分であった。1,460mのシャブル・ベンシから2,000m強登ったことになる。
体調はすこぶる快調で、高山病の恐れがなかったので一安心だったが、このような歩き方は自重しなければなら
ないことであろう。途中のラマホテルで紹介されたブッダ・ゲスト・ハウスに投宿する。ランタン村はランタン・リルン
前衛の山の岸壁直下にあり、風光明媚なところである。
                                
 

 5月3日;ランタン村から3,800mのキャンジン・ゴンバまでの4時間の歩行時間で、7時10分にホテルを出発した。
正面に6,387m のガンチェン・ポを始め5〜6,000m級の山々を臨み,周囲の美しい景色を眺めながら歩く。
10時45分にキャンジン・ゴンバに着いた。宿はキャンジン・ゴンバ入り口で声を掛けてくれた人のゲスト・ハウスで
あったが、主人一人で切り回しており、食事はお世辞にも美味しいと言えるものではなかった。宿泊代はRs100と
安いが、食事は結構高く、一品Rs200前後であった。早く到着したので、キャンジン・ゴンバより奥のランシサ・カル
カ方面まで足を運ぶことにした。キャンジン・ゴンバからは人家はなく、周囲の山々とランタン渓谷を眺めながら5時
間近く歩いたが、飽きることがなかった。しかし、かなり疲れが出てきたので、残念ながらランシサ・カルカ手前1時
間程のところから引き返ことにした。キャンジン・ゴンバからは誰にも逢わなかったので、静かなトレックとなり、
周辺の風景を十二分堪能することができた。        

 

  5月4日;当初キャンジン・ゴンバに二泊3日の計画であったが、ジョムソンの飛行機の関係から
一泊しかできなかった。キャンジン・ゴンバの近くにある4,550mのキャンジン山に登って周辺の山々を
展望してからシャブル・ベンシへ下山することにした。6時13分宿を出発し、ガイドブックに書かれている
近くのゴンバから登り始める。道らしい道がなかったが、途中から立派な登山道に合流した。キャンジン・
ゴンバの宿舎街の裏手から直接登る道である(ガイドブックは間違って記述)。麓から頂上まで4時間で
登り、ランタン・リルン、ヤラ・ピーク、ガンチェン・ポなど周辺の山々を同定し、これらの山々から流れ落
ちている氷河をしばしの間眺めてから下山した。下山時間は1時間30分と予定より早く宿へ帰り着いた。
荷物を整理して10時43分キャンジン・ゴンバを後にした。宿を出発し30分ほど下ったところで、シャブル・
ベンシで逢った3人の日本人に出会った。彼らは乗馬で上ってきた。
 下山は周囲の景色を堪能しながら、渓谷に入る手前のゴラ・タベラで泊まることにした。ゴラ・タベラの
宿の宿泊料はRs50と邦貨にして100円程度であった。この日は終日太陽が照っていたので、太陽熱に
よるシャワーの湯加減も上々で、シャワーを浴び、洗濯して、速めにベットに潜りこんだ。                 

 

 なお、ゴラ・タベラに着く手前の陸軍のチェック・ポストで、2日前の往路でチェックを受けていたが、
下山届のサインを要求された。

 5月5日;この日はシャブル・ベンシまで下るだけで、宿を8時30分に出発し、シャブル・ベンシに
14時25分に到着した。途中ランド・スライドに温泉があると聞いていたが、今はないようだった。

 5月6日;7時発のカトマンズ行のバスに乗車したが、長い長い一日とはこのことであろう。ふたたび
8時間揺られ続けたのである。カトマンズに到着後、バス停からタクシーで宿舎のフジ・ゲスト・ハウスに入る。

 5月7日;午前中ターメルを散策し、午後の飛行機で、バンコック経由帰国の途についた。

 16日間と長い旅であり、天候の関係でフライト日程が遅れるというハプニングはあったが、結果として計画通り
の旅を終えることができた。そして再び秋にアンナプルナ内院トレッキングでネパールを訪れることを楽しみにし
ている。
 今回ネパールを訪れて気付いたことは、宿泊料はゲスト・ハウスであれば、かなり安いが、食費は日本に比較
してそれほど安いとは言えないような気がした。外国に行くと日本料理は高いと言われるが、ネパールでは日本
料理を食べた方が安上がりである。衣料品についてはどこまで値切るかである。かなりディスカウトントをして呉
れたと思って喜んでいても、割高な品物を握らされることが多い。しかもフランスやイタリーの山用品が多く売られ
ているが、ほとんどが偽ブランドである。私は欲しくないものを売り込まれたら、表示価格の半値を言うが、それで
も高い買い物になることがしばしばある。
 今回はガイドもポーターも雇わず、自分の家の庭のような感じで歩かせてもらってきた。それほどネパールに馴
染んでしまたったような気がする。ネパールに何度来ましたかとの現地の人から質問があったから、数えてみたら
7回目であった。「それならば自分の庭ですね」とお世辞を言われ悦に入って帰国した次第である。


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