【台湾 玉山・・・昔の名はニイタカヤマでした】

 木村 修

今春の中国全人代の大会で「反国家分裂法」の採択があった。これには台湾の独立は認められないと牽制する狙いがあり、再び台湾海峡に緊張が走った。時代を遡ると明治の頃から日本統治時代が終戦まで続いた。この為、お年寄りには日本語も堪能で好日的な人も多い。この時代、玉山は富士山より高いことから明治天皇勅令により「新高山」と呼ばれていた。太平洋戦争の開戦となった日本軍の真珠湾攻撃の暗号となった「ニイタカヤマ、ノボレ」にもその名は使われた。戦後、本来の名に戻した玉山3952mは、勿論台湾の最高峰である。

この歴史的背景のある玉山に強く引かれるものがあった。しかし、比較的日本人登山者も少なく、規制も多くて延び延びになっていた。つまり、中華民国山岳協会に事前の登山申請をし、現地山岳ガイドの同行、4人以上のグループ登山であること、山小屋は自炊すること、シュラフを持参すること、入山人数にも制限があり平日90人、週末130人で、ハイシーズンは倍率が高い抽選とのことである。 しかし、日本から近く、4日間という短期間で登ることができる。台湾は、その面積3万6千平方キロと九州の90%程の小さな島に、南北に中央山脈が走り3千メートルを越える山々が130以上もある。師走、富士山は白い衣裳を纏うが、北回帰線のすぐ北にある玉山は未だ全く雪は無い。
12月7日出発予定で組まれたスケジュールは、月初に台風が台湾に襲来、直ちに入山禁止となった。玉山は国家公園に指定されていて、このエリアは徹底的に自然保護がなされており入山規制やルート整備が完備し、台風などで一旦入山禁止になれば解除されるには最低3日以上かかる。ルートチェックの後、1週間遅れて入山許可となった。12日成田を出発する。往復4日間のうち、山行日程は2日間、1泊2日のトレイルが始まる。

登山口の塔々加鞍部(タタカ)2630mから9合目の排雲山荘3402mまでの8.5kmを9時間かけて登るのが1日目の行程である。ガイドの林さん、松さんと合流、日本統治時代に整備された約1mの幅の斜面をトラバースして登る。歩き易い登山路を進む。天候に恵まれ快晴の下、正面に小南山の展望が開け心地好い。やがて孟禄亭(モンロー)のあずまやで一休み。ルート中、トイレは此処と西峰観景台の2ケ所。攪拌にソーラーと風力を使った水洗バイオトイレは清潔で、登山路から意識的に離して建てられている。
高度が上がるにつれ鉄杉や冷杉など亜寒帯針葉樹林が並び黒い森となった。観景台で休憩し展望を楽しむ。正面には玉山主峰を望み、縞枯れ現象の白木林が見える。現地の登山者も眺望を楽しんでいた。台湾では登山は裕福な人達の特権として考えられ、紳士、淑女の嗜みとか。やがて、つづら折りの路を経ると前衛・圓峰の稜線が現れ 、きつい階段を登ると、そこが排雲荘だった。山荘前から観る夕焼けが赤く染めた雲海は素晴らしいの一言に尽きる。気温が下がってきて寒い。

午後10時頃まで賑やかだった山荘は、ひと時の静寂を破って午前2時には準備の音で目覚める。山頂でご来光をと、真っ暗な路をヘッドランプの光跡を頼りに登る。森林限界の3560mを越えるとニイタカビャクシンの低樹木、さらに直登のガレ場が続く。既に富士の頂上を越える高度になると崩れかけた絶壁との格闘となる。うっすら明るくなった先に山頂が見え、3952mに神戸産の一等三角点があった。山荘から2時間半、2.5kmの行程。玉山の由来は、白い積雪が玉の如しという先住民のバトンカンから付けられたとのこと。
それにしても山頂への11kmは、まさに自然その儘の姿を楽しむことができた。日本最高峰の富士山の現状と照らすと、チリ一つ無い厳格なまでの環境保全を徹底している玉山は、高く険しく気高さの中に自然のやさしさを満喫できる山であった。(山行年:2004年)


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