■山での突然死予防対策研修会 講義概要

【講師】日本山岳会・医療委員会委員長 野口いづみ先生
                (鶴見大学歯科麻酔学科助教授)

1.山での突然死とは?

(1)山岳遭難事故の原因分類と突然死

 山での遭難事故は転落・滑落によるものが56%で一番多いが、病気によるものも15%を占めていて、山で
の病気も遭難事故の看過できない重要な要因となってきている。長野県警山岳事故集計に基づいた高山守正
氏の推定によれば、心臓突然死による登山中の死亡者は年間2.5人である。また、国内の山での突然死症例
6例のうち、心筋梗塞と脳卒中が多く、それぞれ3例、1例となっている。登山中は運動負荷によって血圧が上
昇し、心拍数が増加して、安全限界までの余裕が少ない状態になっている。一般的に心臓突然死は、寒い時
期と時間的には朝8時、夜8時頃の発生が多いので、朝の歩き始めが特に要注意である。

(2)心疾患と脳卒中の危険因子

 それでは、突然死の重要要因である心疾患と脳卒中の危険因子は何であろうか。年齢、遺伝、性別(男性)
という宿命もあるが、高血圧、高コレステロール、運動不足、糖尿病、肥満などの生活習慣病に起因するもの
が多い。このうち、高血圧、高コレステロール、糖尿病と肥満は「死の四重奏」と言われている。なかでも、高
血圧は諸悪の根源で、血管に慢性的にストレスを与え、種々の病気の原因となる。脳に対しては脳卒中・高
血圧性脳症、心臓に対しては高血圧性心疾患・虚血性心疾患・不整脈、大血管に対しては解離、腎臓に対
しては腎不全などをそれぞれ引き起こし、これらの合併症が突然死の要因となっている。因みに、4大疾患(
狭心症、心筋梗塞、一過性脳虚血発作、脳梗塞)の高血圧症の合併率は実に57%を占めており、糖尿病
の30%、高脂血症(高コレストロール)の17%を大きく凌いでいる。しかし、生活習慣病は自分でコントロー
ルできるので、日常の体調管理を怠らないことによって、突然死はある程度回避できるものである。また、
喫煙は百害あって一利無し。喫煙は一過性血圧上昇、心拍数増加、運搬酸素量の減少などにより、若者が
10kgの荷物を持って歩くのと同じ負担がかかり、心筋梗塞の原因となる。

【 ニアミス症例(1)】

42歳女性。3、4年前から標高4〜5000mで前胸部痛を自覚。心臓検査では異常なく、投薬もなかった。
今回コトパクシ山5500m付近で前胸部痛を自覚⇒ニトログレセリン噴霧したら痛みが消失し、そのまま登頂。
 (登山の続行は中止すべきであった)。
⇒【狭心症の疑い。下山後の診察では異常は発見されなかったものの内服治療が必要か?今後の
高所登山では予防的にアスピリンを内服すること】
 

(3)虚血性心疾患

 虚血性心疾患には狭心症と心筋梗塞がある。前者は比較的軽症の部類に属し、冠状動脈狭窄または攣縮
による心筋の酸素不足が原因である。症状としては前胸部痛(持続時間2〜15分)で、これはニトログリセリン
服用で消失し発作は収まるが、同じ胸部痛でも心筋梗塞、不安定狭心症(後述)の症状である場合もあるので、
様子の観察を継続することが大切である。狭心症は可逆的症状である。一方、後者は冠状動脈閉鎖による心
筋壊死が原因で、前胸部痛が急速に増強し、嘔吐、悪心、冷や汗、不整脈が生じてショック状態となる。ニトロ
グリセリンは無効。非可逆性。心筋梗塞の前駆症状はその50〜60%に存在し、狭心痛のみ(37%),狭心痛
プラスその他(呼吸困難、冷や汗、吐き気、嘔吐など)(51%)と言われているが、この前駆症状をとらえることが
重要である。胸痛をきたす疾患には、急性冠症候群、不安定狭心症もあり、前者は心臓突然死に至る。後者は
狭心症と心筋梗塞の過渡期的症状であり、胸痛が狭心症より長く継続する。突然死のうち心臓突然死が占める
割合は、瞬間死では98%(大半が致死性不整脈、心筋症)、1時間以内の死亡では64〜88%(大半が急性
心筋梗塞、大動脈破裂)、24時間以内の死亡では75〜78%であり、すぐに死亡するのは心臓によるものが殆
どである。

(4)胸痛発作、血圧異常上昇への対処

 安静にして保温し、ニトログリセリンを投与する。前胸部痛の場合はアスピリンを投与。症状が改善しない場合
には心筋梗塞の疑いがあるので迅速にレスキュー・ヘリや救急車を要請しなければならない。意識が無い場合
には心肺蘇生法(後述)を行うこと。保温は血管を開き血行改善の効果があるので、殆どの病気に対する応急処
置として行うべきである。
 ニトログリセリンは、冠血管を拡張し、また、末梢静脈を拡張させて静脈内に血液を貯留させる効果がある(前
負荷軽減)。また、動脈系を拡張させて心臓の仕事量を軽減させると同時に収縮期血圧を低下させる効果があ
る(後負荷軽減)。投与法は、効果を見ながら3〜5分間隔で3錠(スプレーなら3噴霧)までとすること。投与する
と血圧が下がるので、血圧が下がっている人には禁忌。投与後に血圧が下がったら脚を挙げて寝かせること。
 アスピリン(アセチルサリチル酸)には解熱効果以外にも抗血小板作用があり、血栓性病気(脳梗塞、心筋梗
塞、肺栓塞)の予防に効果がある。バイアスピリン(100mg)かバファリン(81mg)を服用する。心筋梗塞の緊
急時には、165〜330mgを口の中で噛み砕く。アスピリンを服用すると、出血しやすくなったり、消化器潰瘍を
起こす場合があるので、消化器系潰瘍がある人やアスピリンで喘息症状が出る人は服用してはいけない。なお、
バッファリンという名前で市販されている薬にはアスピリンではなくアセトアミノフェンのものもあるので、購入時
に注意が必要。

(5)脳卒中

 心疾患と同様に、突然死の2大要因の他の一つは脳卒中である。脳卒中には、くも膜下出血、脳出血、脳梗
塞の3種類がある。前2者は血管が破れて出血するもの、脳梗塞(脳血栓、脳塞栓)は血管が詰まることに起因
する。脳出血は血圧が上昇した場合に、逆に脳梗塞は血圧が低下した場合に起こりやすい。前者では急激に意
識を失う場合があり、後者では1時間以内の死亡は稀である。治療法も前者では止血療法、後者では線溶療法
と、治療法も逆になる。現場では脳出血か脳梗塞かの判断は難しいので、直ちに救助要請をして病院に搬送し
なければならない。脳血管障害の症状の特徴は下表のとおりである。   

   病  名   頭 痛   発症時間   意識低下        年齢・素因
  脳内出血   中程度  数分〜数時間    強い        高齢・高血圧
 くも膜下出血   激しい  1〜2分    弱い    若年〜中高年。病歴無が多い
脳梗塞         
   脳血栓  軽度か無  緩徐   無か強       高齢・高血圧
   脳塞栓  軽度か無  1〜2分   無か中      心疾患・不整脈

 軽い脳卒中を一過性脳虚血発作という。これは数分から数時間続く神経症状であり、殆どの場合1時間以内
に消失する。ただし、治療を受けておかないと、5%は1カ月以内に脳卒中となる。因みに脳卒中患者のうち
1/4には既往がある。原因は脳か心臓(徐脈性不整脈)の場合が多い。治療と予防はアスピリンなどの抗血小
板薬を投与する。また、失神は血圧低下による循環虚脱によって起こる脳の血流低下に起因する短時間の意識
消失であり、通常は一過性で良性であるが、徐脈性不整脈や短時間の心停止もあるので、注意深く経過を観察
することが大切である。脳血管障害の前兆は、「軽い顔面麻痺」、「ろれつが回らない」、「めまい」、「片方の手や
足に力が入らない」、「足のもつれや突然の転倒」、「強い頭痛」、「片目のかすみや視力低下」、「意識状態の異
常(錯乱、昏睡)」などであるから、これらの前兆が現れたら注意が必要である。

【ニアミス症例(2)】

 65歳男性。霧カ峰スキー。前夜かなり飲酒。朝、シールで歩き始めて20分後突然意識喪失して倒れた。2、3
分後に回復。脈拍正常、瞳孔の左右差なし。言語も正常、顔色正常。見当識も正常⇒暫く休んで水分を補給し、
登山を継続した。(登山を中止して、安静・保温にすべきであった)。
⇒【下山後メディカルチェック、異常なし。一過性脳虚血発作か失神と推測。

【ニアミス症例(3)】

 75歳男性。吹雪のニセコでスキー後、レストハウスに下山してビール1本と昼食、温泉入浴後、気分不良とな
った。一人で床に横になって休んでいた。迎えのバスに乗車しようとしたが、左半身に麻酔感。左足が座席から
抜き出せず、背負われて下車。救急車を要請し保温して搬送。意識明瞭、脈拍不整なし。移送中顔色改善、
麻痺感軽減、左手足の挙上回復。⇒病院のCT検査で脳出血なし。一過性脳虚血発作と診断、アスピリン投与。
1時間後退院。
⇒【入浴により血圧低下。アルコール摂取により脱水と血圧低下。食事により血圧低下。
⇒教訓:飲酒、食事後に入浴しないこと。異常があったら早く伝えること】

(6)山での心筋梗塞と脳卒中の対処法

 わが身に異常を感じたら隠さないこと、周囲も異常の察知と確認を行うことが重要である(前兆をとらえること)。
症状があったら、保温して水分を摂らせることが肝心。登山は中止し、症状が続くようなら、直ちに救助要請をし
て医療機関に搬送する。意識消失があれば気道確保、心肺蘇生を行う。脳梗塞には発症後3時間以内のt−PA
治療が非常に効果的であるからヘリなどの救助要請を躊躇してはならない。

2.山での病気を防ぐためには?

それでは、以上のような山での病気にならないためには、どのような心掛けが必要であろうか。重要なことは、
◆わが身を守るための日頃からのメンテナンス、メディカルチェック、◆登山に際しての留意の二つが最低限の
必要事項となる。山で病気を起こさないための対策は、下界で行う(行える、行うべき)ものが9割である!!。
日常の体調管理が重要!

【登山に際しての留意事項】

(1)当然のことであるが、登山前の過労、睡眠不足、体調不良、ストレス、飲酒に注意すること。
(2)登山中は、過度な活動をしないこと、体調に十分注意を払い、不調時には無理をしないこと。また、飲酒、
   喫煙をしないこと。
(3)マイペースを守ること。目安の目標心拍数=(220−年齢)×0.8。心拍測定機能付き腕時計が便利。
   自分が無理しないで続けられる心拍数を把握すると良い。
(4)脱水に注意すること(下痢、嘔吐、発熱に注意)。脱水症状は喉の渇き、舌の乾燥、疲労感、食欲や意欲
   の低下、脱力感など。脱水すると血栓ができやすくなり、諸悪の根源となる。飲酒も脱水を促進する。
(5)水分を充分に摂取する。水分だけでは駄目で、電解質やビタミンC・E、アミノ酸などを併せて摂ることが大
   切である。ビタミンC・Eは抗酸化物質で、活性酸素を除去する働きがある。

3.山での蘇生法はどうするの?

一般人が行う救急蘇生法の手順は下図のとおりであるが、「救命の連鎖」が重要である。「救命の連鎖」とは、
現場で行われる@迅速な通報A迅速な心肺蘇生B迅速な除細動、ならびに医療機関で行われるC迅速な
2次救命処置
であり、この4ツの環がつながって初めて効果を発揮する。

              傷病者発生
                 ↓
            周囲の安全の確保
                 ↓
              反応があるか? ⇒⇒あり⇒⇒応急手当(心停止以外の手当て)
                                         止血、頚椎固定、傷・やけどの手当、
                 ↓                      骨折・捻挫の手当て
                なし
               ↓
            119番通報
               ↓
            一次救命処置
  気道異物除去、気道確保、心肺蘇生、人工呼吸、心臓マサージ、AED(電気的除細動)
               ↓
           医療機関への搬送
            二次救命処置            

(1)傷病者の状態の悪化

◆「意識がある」⇒「意識が無い!」⇒「呼吸が止まっている!」⇒「心臓が止まっている!」
◆反応を確かめる方法
 “肩をやさしく叩きながら「大丈夫ですか?」と呼びかける”⇒“目を開く、口を動かす、手足の動きがあるか”、
  などをチェックする。反応が無ければ、大声で助けを求め、119番通報を行い、AEDを手配する。
◆無酸素に耐えられる時間は、大脳皮質(意識を司る部分):3〜5分、小脳:10〜15分、延髄:20〜30分、
  脊髄:45分、交感神経節:60分。よって、大脳皮質への酸素復活の為に心臓を復活させることが緊急最大
  の課題となる(心臓マッサージ&AED)。

(2)心肺蘇生法(新しく改定された方法)

                      反応なし
                        ↓  大声で助けを求める、AEDを手配する
                        ↓
                  気道を確保し、呼吸を見る
                        ↓
                普段どおりの呼吸をしているか? ⇒YES⇒回復体位にして様子を見る。
                        ↓
                        N0
                        ↓
                    人工呼吸を2回
                        ↓
           胸骨圧迫30回プラス人工呼吸2回を繰り返す
                        ↓
                AEDが届いたら、AEDを装着
                        ▼
                     心電図解析                       
                   電気ショックは必要か ⇒NO⇒⇒心肺蘇生5サイクル  
                        ↓
                       YES
                        ↓
              電気ショック1回⇒心肺蘇生5サイクル

                 ※青色のプロセスを繰り返す。     

◆気道確保は「頭部後屈あご先挙上法」で行う。
◆呼吸の確認法:気道を確保したまま、5〜10秒間観察する。胸が動いているかどうかを観る。傷病者の口元に
  顔を近づけ、呼吸音が 聞こえるか、吐く息を頬で感じるか調べる。呼吸停止なら人工呼吸を開始し、呼吸があ
  れば回復体位をとらせる。
◆人工呼吸法:傷病者の鼻をつまみ、口を大きく開けて傷病者の口を覆って密着させ、胸が上がるのが見えるま
  でゆっくりと息を吹き込む。吹き込みは2回。感染防止用マウスピース(一方弁)を使う方が安全。人工呼吸2回
  を行ったら、直ちに心臓マッサージを開始する。
◆心臓マッサージの方法:両乳房を結ぶ線の真ん中に掌を置き、もう一方の手を重ねる。肘を真っ直ぐにして垂
  直に体重をかける。強く(胸が4〜5cm沈むまで)、速く(1分間100回のテンポで)、絶え間なく(30回)圧迫
  する
。圧迫の間隔では、圧迫を充分に解除させること。5サイクル終ったら、再度、AEDに判断させる。人工呼
  吸はうまく出来ない場合や、感染の危険がある場合には省略してもよいから、心臓マッサージの方に注力する
  こと。
◆AED(体外除細動器):患者の心電図を自動で解析し、必要な指示を表示してくれるので、電極を患者に貼った
  後は、その指示に従えばよい。AEDが心電図を解析中のときは、患者に触れてはいけない。心停止後、AED
  による電気ショックをするまでの時間の多寡により、救命率が大きく左右される。例えば心停止後1分で電気
  ショックを行った場合の社会復帰率が90%近くであるのに対して、10分後では10%未満に極減する。電気
  ショックが1分遅れるごとに、社会復帰率は7〜9%の割で低下してゆく。また、心臓マッサージをしないで、
  心停止後5分で電気ショックだけを行った場合の病院退院率が50%であるのに対して、電気ショックをかける
  前に心臓マッサージを行った場合のそれは、心停止後8分でも同じ50%をキープしている。即ち心臓マッサー
  ジが如何に重要で効果的であるかということを示唆していると言える。
     (講義のデータの一部は、高山守正氏、 堀井昌子氏の論文から引用)。 以上
                                                    (文責:大塚忠彦)


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