日程: 2014年5月7日(水)~9日(金)
メンバー: 赤澤(L)、川崎、大塚
報告: 大塚

 

与作岳より景鶴山[右]、左は至仏山(撮影:赤澤)
 
 学生時代まで西日本で過ごした私には、“尾瀬”という響きには何か遠い遠い異国の空の下の桃源郷のような趣があった。当時は“秘境物”が出始めた頃で、交通公社の雑誌「旅」などでも秘境特集号などが出たりして学生の間でも秘境が人気になった。それらの記事によれば、東北かどこかの人も通わぬ山奥には大きな盆地があって、そこは盆地全体が大きな湿原となっていて、冬場に獣を追って入って来るマタギの小屋掛があるだけの豪雪地帯で、逆に夏には水芭蕉が湿原一杯に咲くのだそうな。
 そこで、地元が観光地として売り出そうとその湿原の入口の峠までボンネットバスを走らせ始めたので若い男女が訪れ始めて、水芭蕉の陰で恋を囁く桃源郷となっているということだった。ラジオ歌謡で流れていた♪・・はるかな尾瀬、遠い空・・♪が郷愁を誘った。しかし、西日本から見ると東北は遥か離れた遠い地で、尾瀬が何県にあるのかも定かではなかったし、田舎の貧乏学生にはそこまで行く汽車賃も一緒に行ってくれる恋人もいなかったので、はるかな空遠くで催されているらしいロマンスを想像して指を咥えているしかなかったのであった。イヤハヤ全く・・・。
 それが、何の因果か半世紀経った後に実現することになった。老いらくのロマンスなぞへの期待は始めから抜きではあったが・・・。実は、4月に赤澤さんと谷川岳に登った時に遥か東に秀麗なピラミッドが見えたので、あれは何山かと尋ねたら、彼曰く「あれが残雪期にしか登れない尾瀬のヤブ山、有名な景鶴山だヨ。ちょっとメルヘンチックで通好みの渋い山だネ」という次第で、この夏に予定しているスイスアルプス山行のトレーニングも兼ねて人出が終わったGWの翌日に出掛けてみた。
 鳩待峠から山の鼻に下ってみると、そこはもう確かにメルヘンの世界で真っ白い雪原がどこまでも広がっており、周囲はぐるりと至仏山や燧ケ岳や景鶴山に囲まれた雪の盆地であった。処々に顔を出した木道のほとりには雪解け水の池ができていて気の早い水芭蕉が花を広げていた。
なるほど、ここがかの有名な尾瀬ヶ原であったか。一斉に水芭蕉やニッコウキスゲが花開くと、確かに桃源郷になりそうだ。行きずりの男女がロマンスに陥るのも不思議ではないという雰囲気。それに加えて、「背中アブリ山」だとか、「カッパ山」だとか、「タソガレ田代」だとか、ユーモラスな地名もある。『机上登山』、『山だ原始人だ幽霊だ』や『西丸式山遊記』で大法螺を吹いた西丸震哉センセイの命名もあるかも知れない。
 さて、閑話休題、本題に戻ろう。
 前夜泊まった見晴十字路から早朝の凍結した雪原を東電尾瀬橋まで歩き、東電小屋の裏の笹山に取り付いた。側には尾瀬ヶ原をウネウネと蛇行するヨッピ川が雪解けの水を集めて滔々と流れていた。トレースは明瞭についていたが、ところどころにヤブが顔を出していた。見晴十字路から景鶴山へは、尾瀬ヶ原の北側に連なる群馬・新潟両県国境の最東部尾根沿いに、標高差600m・距離6kmほどの残雪の尾根歩きである。この尾根筋のズ~ト先には平ケ岳があり、更にその先は越後駒ケ岳に繋がっている。
 途中の1653m峰までは相当の急傾斜で息が切れた。この稜線の東斜面は一気にヨッピ川に切れ落ちていて、滑落したら一気に三途の川渡りとなるであろうから、腐った雪の稜線を慎重に通過した。目の下には元湯山荘の温泉小屋が見え、その先には燧ケ岳がどっしりと大きい。流石、東北の最高峰、尾瀬を代表する名山の貫禄であろうか。
 傾斜がやや緩くなった雪の斜面をズンズンと与作岳まで登って行くとお目当ての景鶴山が目の前に姿を見せてきた。昨日尾瀬ヶ原から見たところでは岩山のコブ程度にしか見えず内心ガッカリしたものだったが、ここまでくれば結構大きくてそのピラミッド型もサマになっていて見応えがあった。
 与作岳からは樹林帯の中の広い緩斜面を景鶴山とのコルまでドンドンと下って行った。 コルの真下には今にも雪崩れそうな急斜面がテカテカと光っていた。事実、一本隣の沢筋には、最近発生したばかりと思われる大きな雪崩跡がついていた。
 パラポラアンテナのように見えた頂上のヌー岩を右にへツると、直ぐに2㍍程の裸岩に行く手を阻まれた。昨日出会った人達が悪場と言ってた個所で、岩の表面を雪解け水がシャアシャアと流れ、手がかり、足掛かりも無い一枚岩、 幸いにハイ松の根っこと枝が張り出していてそれにつかまりヨイショと乗っ越した。下りは下が見えず、危険なのでロープを出した。
11時丁度頂上到着。見晴十字路から5時間半。登り口でルートを見失いウロウロした事もあり、 71歳のこのメンバー、まあこんなものだろう。
 山頂からは尾瀬ヶ原が一望で、燧、至仏、平ケ岳の山々、更に遠方には越後駒、会津駒、白根山が雪の裳裾を広げているのも見えた。
 帰路は、景鶴山山頂西側から尾瀬ヶ原に直接 落ちている尾根を下る方が時間の節約になりそうにも思えたが、この尾根の状況が分からず、また下部の急斜面では雪崩の危険も予想されたので、与作岳経由の往路を戻った。朝の登りの時には残雪上を歩けた場所も、帰路ではヤブが出ている箇所がいくつかあって、アイゼンが笹に引っ掛かって歩きづらいことこの上もなかった。朝にはあったトレースも日中の雪解けで消えていた。ヨシッ堀田代からヨッピ吊橋を渡り、山の鼻に戻った。
<コースタイム> 
7日:鳩待峠12:25~13:30山の鼻・至仏山荘13:40~15:10龍宮小屋~15:55檜枝岐小屋
8日:檜枝岐小屋5:30~6:30東電尾瀬橋~7:40 1653m峰~9:50与作岳~10:30景鶴山鞍部~
  11:00景鶴頂上11:10~12:20与作岳~13:50尾瀬ヶ原~15:25牛首~16:10山の鼻・至仏山荘
9日:山の鼻7:10~8:45鳩待峠

関連記事 「円居のひろば:景鶴山(2004m)雑話」もご覧ください。

 

 
ここから見る景鶴山は端正なピラミッド
(撮影:赤澤)

 
  頂上のヌー岩と山頂直下の残雪の様子
(撮影:赤澤)

 

 



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