【スリル満点の裏妙義と表妙義】   鳥澤 誠

     期日:2007年4月7〜8日 メンバー:藤野(L)、川崎、赤澤、大塚、斎藤、萩原、堀内、鳥澤

   
          (裏妙義・丁須ノ頭)                (表妙義・「鷹戻し」のトラバース)

  4月7日、西八王子7時集合とのことで、久しぶりに早起きをした。こちらに集合するのは6人。大塚さん、堀内さんは存じ上げていましたが、リーダーの藤野さん、萩原さん、斎藤さんはお会いしたことがない。ワゴン車で迎えに来てくださった藤野さんは、数々の難登山をこなしてきた方には見えない、色白の優男でした。ご婦人方も、期待どうりの可愛らしい、おばさんでした。

 6人が集合して、サブリーダーの赤澤さん、川崎さんと落ち合うべく、上里サービスエリアへ向かう。順調に落ち合うことが出来て、2台連なって目的地へひた走りました。車が下仁田インターを過ぎると、前方に岩峰群の山塊が見えてくる。妙義山だ! これは表妙義。上信越道が表妙義の東端を回りこむと、裏妙義が見えてきた。これも岩峰群の山だ。松井田妙義インターで一般道へおりる。両妙義に挟まれた山間の道を上がっていく。このあたり桜はちらほら咲き始めた頃で、東京よりも遅れているようだ。妙義湖を過ぎて間もなく、国民宿舎「裏妙義」に到着。眼前に聳える岩山。ガチャ類を装備して、丁須の頭へ向かう。「木戸」まではゆるい登りだが、その上は急登になって、丁須の頭まで思いの外時間がかかってしまった。山頂直下の鎖場を登って丁須岩の根元に到着。写真でよく見た、きのこの形をした岩である。まず藤野さんが登った。どうせ登るなら早く行っちまえと、ザイルを繋いでもらって、自分が二番手で登る。初っ端は手がかりがなく、鎖を掴んで上がった。ついで大塚さんが上がってきた。てっぺんは狭いので降りねばならない。登ったのはいいが、さあ降り方がわからない。本格的な懸垂下降は四十年前のことだ。お二人があきれ顔をしながらめんどうをみてくださり、必死の思いで空間に身をのりだした。きのこ岩の傘の下は、空中懸垂。下に着いたら息が荒かった。時間がなくて、あとの人は登らずに、先を急いだ。赤岩のトラバースも、鎖はついているものの足場が狭くスリル満点だ。三方境まで来て、あとは普通の登山道を下るだけだと思ったら、ほっとした。

 国民宿舎から車でテントサイトへ移動。テント場は、妙義神社近くの「道の駅・みょうぎ」。三方境あたりから降り出していた雨が、本格的な雨になった。売店は既に閉まっていたので、屋根の下にテント2張り。女性たちが用意してくれた夕食と「おいしいお水」。十時まで歓談は盛り上がった。

 翌朝は晴天。昨夜、予報以上に雨が降ったので、そのぶん天気の回復が早まったのかもしれない。朝食後、中之岳神社へ向かう。体調がよくない大塚さんと堀内、萩原両嬢は帰京。今日は五人である。駐車場から見上げる表妙義は岩峰連なる怪異な山容を呈している。さあいくぞ!闘争意欲がわいてくる。見晴台までは普通の登山道である。これから行かねばならない稜線を確かめる。大小の奇岩,奇峰が逆光の中に、黒々とそして延々と続いている。少々不安になったが、藤野、赤澤両リーダーがいるのだから大船に乗ったつもりになればいいのだ。金洞山辺りから岩場、鎖場の連続になった。茨尾根の途中までくる間、鎖が付いているとはいえ、私にとっては、クラミングと懸垂の連続であったような気がしてならない。要所要所でリーダーがザイルを使ってくれたので、無事に歩いて来れたけれど、どこもかしこも一歩間違えれば大怪我ではすまされないところで、そんな場所が何カ所あったのか覚えていないくらい、夢中で歩き、いや登り降りしてきた。特に圧巻だったのは、鷹戻し。まず藤野さんが先頭に行き、ザイルをセットしてくれる。高度感充分の、湿ったトラバース。その先端の足場の悪い所での懸垂下降準備。ここでは赤澤さんにお世話になりました。そこから空中へ身を投げ出して懸垂に入る。必死でした。ザイルの末端に見える小さな光景。着地したときの感激。この体験は一生忘れることは無いだろうと思った。
 帰路の高速道の車の中で思った。今回は、両リーダーに「命を助けられながらの山行だったな」と。 皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。


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