TSUTAYA】のお陰で劇場公開で見逃した映画がほんの何ヶ月か待てば家庭でも見られるようになり実に有難い。今日ご紹介したいのは世界第
2位の高峰「K2」初登頂にまつわる話で、制作は2012年、イタリアの作品である。

ヒマラヤ登山史上、初登頂までに一番多くの試登を要求し犠牲を強い、ドラマを作ったのはエベレスト、K2,ナンガパルパットの三山だった。第二次世界大戦が終了して5年後、フランス隊(エルゾーグとラシュナル)のアンナプルナ(8091m)初登頂を皮切りに、世界の8000m峰への挑戦は加熱し、国をあげての競争となり、1953年のイギリス隊(ヒラリーとテンジン)によるエベレスト(8848m)、ドイツ隊(ヘルマン・ブール)のナンガパルパット(8125m)と続き、K2(8611m)も遂に19547月イタリア隊にその頂きを許したのであった。K2初登頂のニュースは世界を駆け巡り、イタリア隊の前に、アメリカ隊が3度挑戦して撃退されていただけに、敗戦国イタリア国民は熱狂した。まさにヒマラヤの黄金時代、 わが日本も敗戦の痛手の中、その渦中に首を突っ込み1956年マナスル(8156m)を落としたのだから、これは快挙、まあたいしたもので誇っていい事であろう。

さて、K2だが、登頂成功はチームの団結によるものとして、登頂者の名前は長く公表されなかった。それはそれで一つの見識として世に受け入れられてきたのだが、そこには隠された真実があったのだった。後で判明した登頂者の名前はコンパニヨーニとラチェデリの二人だったが、8000mを越すC9でのコンパニヨーニによるサポート隊のボナッティ*への卑劣な仕打ちを表沙汰にしたくなかったかららしいのである。この件は後に裁判沙汰となり実に54年後にようやくボナッティの主張が認められたという。この辺、何があったのかは見てのお楽しみとしよう。映像も綺麗で登山場面もなかなか迫力あり面白い。

 イタリア隊から遅れる事23年、第2登を果たしたのは1977年の日本隊だが、この時も登頂を巡るゴタゴタがあった。誰もが望むサミッター、登山家の本心は他人を差し置いても自分が登りたい、チームの団結なんて糞くらえ、誰が第一番目の指名を受けるか、そこには隊員達のエゴと反目があり、指名に漏れた森田勝は恨みと怒りで下山してしまうのだ。

何もそこまでしなくてもと凡人は思うが、女性としてエベレスト初登頂の田部井淳子さんの活躍ぶりをみればまあ分かります。他の隊員は綺麗さっぱり忘れられています。

*ヴァルテル・ボナッティ(19302011
K2の山頂には立たなかったが、初登頂に於ける真の英雄とされる。
81歳で永眠。生涯を共にしたのはセクシー女優のロッサナ・ポデスタである。
「トロイのヘレン」「黄金の七人」で悩殺された男共は多いはずだ。

アー悔しい!! 我がオナペット。


参考文献: ヒマラヤ登攀史    深田久弥 (岩波新書)

      ヒマラヤ探険史    フィリップ・パーカー (東洋書林)

      K2に憑かれた男たち 本田靖春 (文芸春秋)
      狼は帰らず      佐瀬 稔 (中公文庫)

                     (AKA)
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