山以外の趣味
赤澤東洋
 
 「いやあ、映画って本当にいいもんですねー」映画評論家の水野晴郎の台詞ではないが私は映画が好きだ。時々「山登りの他に何か趣味はありますか」と聞かれる事がある。「勿論有ります。それは映画です」と答える。自転車とか読書とか他にもありますが、やっぱり断然映画です。という事でたまには映画のお話をしよう。
 映画こそ生涯の友、人生の教科書、人間勉強の場と云うのは淀川長治だが、まあそう生真面目に考える事でもなく、所詮映画なんて娯楽、楽しければそれで良しとアタマで観ずに感覚で観れば良いのであり、言い換えれば理性ではなく感性を第一にして楽しむのが映画なのだ。確かに映画は70~80年の人間の生き様をわずか2時間に短縮してみせる人生の縮図であり、様々な男女の愛の形を語って人生を考えさせるという面もあるのだが、折角お金払って観るのだもの楽しい方がいいに決まっている。そういう面からみても私はハッピーエンドの多いハリウッドの映画が大好きだ。
 先年中道さんと7500mのムスターグ・アタに挑んだが、凡そ1ヶ月間何もない山の中でのキャンプ中、BCではそれこそ何もやる事もないのだが、中道さんも映画好きという事が分かって退屈しないで済んだものだ。共に西部劇ファンである事で話は弾んだのだが、そういう中で私は悔しい思いをしたのだった。
 マリリン・モンローの「帰らざる河」(1954年)は傑作とは言い難いが、モンローの歌うノーリターン、ノーリターンという歌声と激流下りのシーンが強く印象に残っていた。中道さんは「あの激流の川はどこか知ってるか」と聞く。「あれはカナダ・バンフのボウ川なんですよ。私ははるばる出かけて見てきました」という。こちらが松竹の「惜春鳥」に感動して友達と磐梯山に登り白虎隊の墓参りしてきたのとは大きな違いがある。当方羨望の目眼で「えっ」と悔しがるのみ。撮影中モンローはBunff Springs Hotelに滞在した。
さらに「シェーン(1953年)は観ましたか?」と聞かれて、「そりゃもう3~4回は観てます」というと、「あれはワイオミングのグランド・ティートン国立公園がロケ地なんです。あそこにも行ってきました」という。アメリカに留学していた中道さんは休みの時は映画のロケ地巡りをしたという。ウーン、参ったなあ もう。さすがです。このギャップいかにせん? ちなみにグランドティートンの意味は(でかいおっぱい)だそうな。
 ワイオミングを舞台にした映画ではヘンリー・フォンダの「スペンサーの山」(1963)も忘れがたく、もう一度観たい青春のレクイエム。
「シェーン」で忘れられないのは雪村いずみの歌う「遙かなる山の呼び声」(The call of far-away hills・作曲ビクターヤング)だ。当方確かあの頃小学生で5~6年だった。

 青いたそがれ  山が招くよ
            呼んでいるよ
 広い草原に  陽は落ちて 
 胸に迫る   はてない悩み ~

 この時雪村いずみ 16歳






 映画主題歌といえばドタバタ喜劇B級映画ボブ・ホープの「腰抜け二丁拳銃」(1950)のバッテンボーは訳も分からず小学生の頃よく口ずさんでいたものだ。これが原語ではButtons And Bowsなのだと知ったのは高校に入ってからの事。日本では池真理子が歌い大ヒット、ラジオから流れるバッテンボーを懐かしく思い出す。
 中道さんのお気に入りはジョン・ウエインの「勇気ある追跡」(1969年)との事。これは一昨年リバイバルされ「トルー・グリット」。ジョン・ウエインの役をジェフ・ブリッジス、 キム・ダービーの演じた女の子役はヘイリ-・スタインフェルドが演じていたが、どちらも甲乙つけがたい好演で満足度は80点以上。
 今は映画館まで足を運ぶのは年に6~7回しかないが、「TSUTAYA」のお陰で年間80本以上は観ているかと思う。学生時代はアンパン囓りながらの名画座巡りで1日6本観た事もある。今は洋画ばかりで邦画はまず観ないが、わが生涯ベストテンの中には黒沢明の「7人の侍」が入っている。しからばベストワンは何かと問われると、1本だけに絞るとなるとこれがなかなかに難しい。
 ちなみにベストスリーはオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」(1953年)、グレゴリー・ペック「大いなる西部」(1959)、アラン・ドロン「冒険者たち」(1965)である。 ついでにわがベストテンは上記に加えてジャイアンツ、風と共に去りぬ、禁じられた遊び、12人の怒れる男、ウエストサイド物語、シンデレラマンとなるのであるが、話し出したら止まらなくなるのでそれは又の機会としよう。

 



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