ヨット乗りの独り言
福寿
 
 オーシャンブルーの海、抜けるような青空、水平線の彼方には入道雲が真夏の太陽を受けて輝き、そよ風は気持ちよく肌をかすめて過ぎさっていく。波は所々に小さな白波。“ウサギが飛ぶ”と表現するこの位がセーリングには最良だ。デッキにはビキニのお嬢さんが二人、長い髪を風になびかせマットの上に寝そべり頬杖をついて白縁のサングラス越しに緑豊かな島影を眺めている。白のジャケットに白ズボン、白のデッキシューズに白のキャプテンキャップでクルー(乗組員)達にきびきびと的確に指示を出す。“方位273度に転進、・・・およそ1時間で前方の岬を通過し、右手に港の灯台を確認したら報告せよ。”
 先ほど飲んだワインが心地よく体中を巡り、すわり心地の良いキャップテンチェアから船脇を見ると引き波が飛ぶように過ぎ去っていく。空にはぐんかんどりが二羽、上になり下になり戯れながらついてくる。船室からはハワイアンのギターの音がかすかに聞こえ、時折、無線局が本船たちと連絡し合っている話声がする。“わー、イルカ、イルカ”と彼女たちが騒いでいる。特に珍しいことではない、日常のことだ。港に着いたらいつものレストランでブランド牛のステーキか。はたまた寿司屋で地魚の刺身にしようか。うとうとと眠気がさし至福の時間がゆっくりと流れている。女たちがマストに吊るした水袋からシャワーを浴びている声が聞こえる。こともあろうに悪ふざけをしてキャプテンチェアに筒先を向けた。「冷てえ〃何すんだよう・・・」。
 ほんの少し居眠りした間に風速が上がり波が勢いを増して船首で砕け、波しぶきが後方まで飛んできて顔にかかり我に返る。まだ目的地までは遠い。今のうちにセール(帆)をリーフ(縮帆すること)しなければ・・・。まずエンジンをかけよう。スターティングロープを引くが始動しない・・・何回か行うもクスクスという音だけむなしく残る。こんなことを繰り返しているとカブってしまう(点火プラグがガソリンで濡れてエンジンがかかりにくくなる状態)。木の葉のように揺れる船の上では作業はことのほか大変で・・・ああ、気持ちわりい・・・ウーロン茶、ウーロン茶と船室に飛び込みザックを掴んでコックピットに飛び出し、ラダー(舵棒)を掴み船の方位を修正してザックからウーロン茶を出して一飲み・・・、またエンジンをかけてみる。
 ルルル・・・と回りだすと船尾から泡交じりの水流が勢いよく噴き出して一気にスピードがあがり、船首からスプレーが激しく飛んでくる。助かった・・・。オートパイロットをラダーに固定し船方位を風上に向けてスイッチを入れる。船には他に人は乗っていないのだからオートパイロットだけが頼りだ。
船を風上に向けた為、帆が真後ろにバタバタとはためく。マストの根元に行ってメインセールを半分くらいまで引き下ろして固定しコックピットに戻り、ストームセール(荒天用の小さい帆)を船室から引っ張り出し、デッキに張ったライフラインに命綱のカラビナを短く掛けて匍匐前進のごとく前に進みジブセール(船の前に張る帆)と交換する。激しく上下する船首のデッキで、足はその辺の金物に踏ん張り片手はステー(マストを支えているワイヤー)かライフラインを掴み一法の手でセールを下して小型セールに取り換え、這って後部のコックピットに戻る。落水したら命はない。厳しい緊張感に船酔いなどはしない。オーとパイロットを外し、目的地に向けてシート(帆足綱)類をセットし直すと15度ほどのヒール(風下に船が傾くこと)角で安定した。さらに風速が上がる可能性ありと判断し機帆走で、登り角度も(風上に進むことを登るという)多少は無理してエンジンに任せる。何度かタック(登り風で方向を転換する作業)を繰り返していると岬の向こうに目指す白灯台が見えてきた。安堵する気持ちはない、まだ時間はかかる。
 足元には道具やロープ、ザックなどが散乱し、手足、衣服は汚れ、油や排気ガスの匂いはするし、船酔い気味でも腹は減る。なすべきことは山ほどある。港に着くまではどんなに辛くも走り続けなければ終わらないのだ。白、赤灯台の間を慎重にすり抜けると波の無い港内は何事もないかのような別世界で到着を実感し、ほっとする。
 岸壁に船を舫うと疲れがどっと出てくる。歳を取ったもんだ。さて今夜の飯はどうしようか。食材は持ってきたが・・・飲めないビールを無理やり飲んでカップラーメンをすするとやたらと眠くなり瞼がおりてくる。さーて、今夜はどんな夢を見るのだろう・・・。
 沖で優雅に浮かぶ白帆を見ても決してうらやむことなかれ。中は戦場なのだ。何を好きこのんでこんな趣味にのめりこんだのだろう・・・いや待て待て、ヨットは素晴らしい。風向、風速、進行方向、等々数枚のセール(帆)を使い微妙な計算と船の知識や海の法律、気象海象、無線、GPS、ロープワーク、経験を駆使して己と対峙する崇高なるスポーツなのだ・・・??
 それにしても、疲れるなァ~・・・。

 



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